一度目の国難、大航海時代におけるスペイン、ポルトガルの日本征服計画

 いわゆる大航海時代と呼ばれる時代。日本に植民地化の危機が迫っていたことを知っているだろうか?

 15世紀以来、スペインやポルトガルは航海技術の発達によりキリスト教の布教と一体化した世界征服事業を展開していた。

 当時のスペインとポルトガルは隆盛を極めており、中南米や東南アジア、アフリカなどの多くの地域を支配下においていた。

 1549年、イエズス会の宣教師であるフランシスコ•ザビエルが来日し、日本国内でキリスト教の布教を始めた。

 この布教活動こそが日本を植民地としようとする計画の一環だったのだ。

 この計画はどのようなものだったのか、日本はどのようにして植民地化の危機を退けたのかを紐解いてみる。

 まずはスペインやポルトガルの他国への侵略の手口について触れておこう。

 この2ヶ国は他国を侵略する前にキリスト教の布教活動を行い、宗教により人々の思想をコントロールすることで統治の地盤を築く。

 このような巧妙な手口で世界中を支配下に収めていったのだ。

 また、強大な軍事力を保有していたことも他国の侵略を可能にした要因であろう。

 日本を支配しようとする上でもこの布教による手法が用いられた。

 日本で布教活動を始めた当時、 日本は各地で戦乱が頻発する戦国時代であったため、領主へ武器や火薬などの献上、貿易を条件に挙げることでいとも簡単に領内での布教の許可を得ることができたのだ。

 イエズス会の布教活動は順調に進み、自ら入信してキリシタンとなる大名(キリシタン大名)が現れる程だった。

 しかし1587年、九州を平定して天下統一に近づいていた、豊臣秀吉がバテレン追放令を発布、日本国内から宣教師を追放するよう命じた。

 秀吉はスペインやポルトガルの征服活動や、日本におけるイエズス会の役割を認識していたのだ。

 徳川の時代となっても、幕府による禁教令が施行されるなどキリスト教に対する厳しい政策がとられた。

 もしこれらの政策がとられていなかった場合、日本はイエズス会の思うがままにキリスト教国へと改造されていたかもしれない。

 しかし、布教による植民地化政策は日本には通用しなかったのだ。

 軍事的な面でも見ていこう。

 天下統一後、秀吉は明国の征服を目指し、朝鮮出兵を行った。

 この朝鮮での戦いにおいて日本軍は1ヶ月足らずで漢城を占領するなど大きな快進撃を見せ、日本の軍事力を海外に見せつけたのである。

 結果としてこの軍事行動は西洋の大国に日本への大きな恐怖心を与え、武力を用いて日本を侵略することは大変困難であるということを認識させたのだ。

 日本が植民地にされることを防いだ主な要因は、群雄割拠の時代を終わらせ、一つの国として統一され、キリスト教を禁止するという国家の意思表示を可能にしたことが大きいだろう。

 また、朝鮮出兵などの大きな軍事行動により日本は軍事大国であり、西洋の大国とも互角に渡り合うことのできる強大な国家であることを認識させたこともある。

 「日本は国としての意識を持ち、強力な軍事力を有する国家である」という大きな印象を与えたことがスペイン、ポルトガルによる日本征服計画を断念させ、植民地にされることを回避することに繋がったと考えられるだろう。


参考:平川 新著 戦国日本と大航海時代

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