9/16時点の感想

 前回の感想から、東宝YouTubeでキャスト製作陣のインタビューを見たり、アニメーションガイドや小説版を買ったり、また劇場に足を運んで気づいたことが増えた。映画を見る回数が増えればそりゃ気づくものは増える。本感想の注意事項として、前回引き続き、ネタバレがある。加えて映画以外の情報も出てくる。

 なので、映画以外の媒体での情報を自分で確かめたい方はそちらを先に見てほしい。

 さて感想に入ろう。


 この作品では、嘘をついている時の仕草について丁寧に描いているなと感じた。なのでまず、嘘について書いていきたい。

 嘘というと良くないイメージがあり、特にきみとトツについてはミッションスクールに通っていて宗教的にあまり良いものではないように思う。

「ミッションスクールの学生について描こう」というのは山田尚子監督が最初から考えていると述べていたため、嘘について絡めていこうというのも恐らく念頭にあったのだろう。

 自分が特に共感したのは、最初に3人が旧教会で会って帰ってきたきみが祖母に話しかけるシーンだ。祖母に話しかける時、ギターを廊下と台所を隔てる壁に立てかけて祖母から見えないようにしていた所だ。

 自分の話になるが、自分も両親に言ってない趣味がある。そのグッズを持って帰った時、家族に言及されたくなくて、玄関に置いて手ぶらで自分の部屋に帰ってから時間を空けて自分の部屋に持ち帰っていた。これ俺もやったわと思いながら共感してた。

 そこからきみが嘘をついているときの仕草に注目した。

 きみは実家に住んでいて、祖母とは毎晩食卓を囲んでいる。食卓とリビングは別になっており、食卓にはテレビは置いていない(アニメーションガイドのきみの家の美術設定にもそのように描かれている)。食卓で家族は言葉を交わすものという家のルールがあるのだろうか。だからこそ、祖母と食卓で言葉を交わすたびにうっかりボロが出てしまわないか不安だっただろう。きみはボロを出さないように余計なことは喋らないようにしていた。祖母から聖歌隊や学校の話があるたびに、「うん」と返事だけしている。元々きみが口数の多いタイプではないのかとも思ったが、トツ子が廊下のベンチに座ってきみのことを目で追っている時、クラスメイトとテストの話をしたり、聖歌隊の後輩から慕われている様子が描かれている。なので無口なタイプという訳ではないだろう。

 嘘に綻びが出ないようにしてるとは言っても、聖歌隊や学校の話を祖母がするたび、眉が下がって悲しそうな表情をしてるので祖母にはバレているような気がする。バレているけど、きみの口から聞くのを待っている、そうあってほしいという僕自身の願望はある。

 そんなきみの嘘のつき方と対照的に描かれているのがトツ子の嘘のつき方だ。

 きみと寮で探す夜にシスター達の巡回を終えた後に「嘘に嘘を重ねてしまった……」とこぼしてしまったこと、その後、きみを安心させるため、早口で「大丈夫!」と言うところから、嘘を重ねて隠そうとしがちなのだろう。トツ子は他者を色で見て感じるという特性をずっと隠して過ごしてきたから、嘘を言葉で隠すことにきみより慣れてしまっているのかもしれない。


 続いてトツ子とバレエについて書いていきたい。

 映画はトツ子がバレエをしている幼少期の描写から始まる。恐らく、金髪の少女が幼少期のトツ子だろう。他の子の動きにワンテンポ遅れていて、どうやらめちゃくちゃ上手という訳ではないようだ。トウシューズが写された連続写真が途中で一足消えることから、途中で辞めてしまったことがその時点でも示唆されている。

 映画の中ではトツ子がバレエについて話しているシーンは少ない。

 トツ子が口にしたのは、帰省で地元に戻ったトツ子が母と一緒にバレエ教室を見ているシーンと、クリスマスに旧教会でジゼルを踊るシーンだろうか。

 母とバレエ教室を見ているシーンでは、母の会話に生返事で応えている。(そういやこの生返事の仕方はきみが祖母にしていたものに似てる。たまたまなのかな)。バレエを見ているトツ子の目は揺らいでいることから、バレエに対して何か感情を秘めているのだろう。羨望なのか無力感なのかは分からないけど。

 旧教会では、ジゼルがバレエを踊る上で憧れの歌であることを2人に話す。話がずれるが、ここでルイが「ジゼルを弾ける」と言ったことに違和感を抱いた。ルイがテルミンでジゼルを弾けることを2人に自慢したい訳でもないだろうし、トツ子は自主的に(?)踊ったのだから踊ってもらうために弾いた訳でないのだろう。なぜルイはそのことを言ったのだろうか。現時点ではよく分からない。

 だが、トツ子の踊りに対して、ルイが褒めてくれたりきみが拍手してくれたことが、トツ子がバレエに対するイメージを良いものにさせたことは違いない。

 ライブの後にトツ子が中庭でジゼルを踊るシーンがある。あの時になって、自分がジゼルを踊るにふさわしい人──たとえ誰かに見せるわけでもないにしても──になれたと実感できたのではないだろうか。他者を色で感じる自分をきみとルイが認めてくれて、自分でも自分自身を認めることが出来たからこそ、トツ子は自分の色を見ることが出来たのではと思う。


 小説版を読み始めたら、オープニングのトツ子の回想シーンについて、言葉による細かい描写があった。映画は時間が限られるから取捨選択が必要になる。小説版ではより丁寧な描写があり、考えていた前提と違う事実が書かれていて、これ以上読み進めると今持ってる感想が変わっちゃうと思って、読むのをやめて急いで今の感想をまとめた。なので、小説版で出てくる情報と、今回や前回の感想と異なる点もあるがそこはご容赦ください。

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「きみの色」の感想 夕波汐音 @yuunamisione

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