魔術と剣術

 ◆


 エリオの一件から冒険者ギルドも警戒を強めたのか、しばらくの間は日中夜間にかかわらずルーサットの街には数多くの歩哨が警備にあたっていた。


「まあ人犬が跋扈しているというのも鬱陶しいですからな。そろそろ一所に落ち着いてフィルス殿の鍛錬をしておきたいところですし」


 というのがゲドスの言だ。


 その言葉通りに、フィルスは連日絞られに絞られた。


 毎朝の気絶するまでランニングはもちろん、魔術の基礎も叩き込まれる。


 と言っても、なにやらナムナムとした呪文やらを教え込まれるのではなく──


 ・

 ・


「描けたよ、どう?」


 フィルスは意気揚々とゲドスにを見せる。


 それは一枚の猫の絵……の筈だったのだが。

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「ふむ、控えめに言って酷いですな……まず、線があまりにも不安定です。手を震わせながら描いたのですか? 猫の形状もいびつで、頭が大きすぎるわりに身体は細くアンバランスです。描いている途中で猫の姿を忘れてしまったかのようで、見るに堪えません」


 ゲドスは酷評する。


「そ、そこまで言わなくても。じゃあゲドスはどうなのさ!」


 フィルスが言うと、ゲドスは面倒くさそうに紙の裏にさらさらと雑に描いてみせた。

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「これも大して上手くはありませんがな、見て、ああ猫だとそれくらいは分かるでしょう。儂は絵心はありませんが、頭の中の猫の像を描きだせばこの程度は描けるわけですな」


 フィルスは言葉がない。


 出来の差は明確であった。


「修練あるのみですな。絵の技術無しで、ある程度は形にして見せる事です。これも魔術に必要な訓練ですよ。ある現象を引き起こしたいと思った時、ぱっとその現象を脳裏に描ける様にならなければなりませぬ。繰り返し言いますが、絵を技術を磨かない方が良いのです、これは。なので変に小細工を弄さないことですな」


 ゲドスはそう言って、荷物袋から何やら怪しげにうごめく棒のようなものを取り出した。


「えっと……それはなに?」


 フィルスが恐る恐る尋ねると、ゲドスはにやりと笑うばかりで答えない。


 ただ、どうにもフィルスの目には見た事があるような何かに見えなくもない……。


「夜にご期待を、といったところですな。さ、根を詰めるのもよろしくない。少し休憩したら、次は剣でも振りにいきましょう。テキパキと進めるとしましょうか。とはいえ……儂の振るう剣は邪剣だと何度も伝えておりますがねぇ。まあどうしてもというのなら教授致しましょう」


「この世にはいろんな剣があるのは分かっているけど、僕はゲドスの剣を学びたいから。ごめんね、面倒な事を頼んで」


 フィルスはゲドスが振るう剣を玄妙で美しいと思っている。


 出来ればその剣が扱えたらとも。


 ゲドスとしては基本の型と小手先の事くらいを教えて、剣はもっとちゃんとした師をつけてやりたいという思いがあったが、本人がその気なら仕方ないとも考えていた。


 ◆


 そして剣の鍛錬。


『魔法の鏡亭』の裏手には少しひらけた庭があるのだが、そこで二人は剣と剣を持って向き合っている。


「あくまで儂にとっては、剣というのはですな、斬れれば良いわけです。刃が当たったモノを斬れれば良い。当たり前の話ですがな。ただこれがなかなか難しいのですよ、剣で斬れるものというのは案外少ない。柔らかい肉だとか、そこまで太くもない骨を割るのが精々でしょう」


 しかしまあ、とゲドスは剣を億劫そうにひゅんと振った。


 何を斬ったというわけではない、しいて言えば宙を斬ったといった所だろうか。


 すると、距離があるはずなのにフィルスの二の腕に、薄い切り傷が走った。


 痛みはない。


 しかし斬られたという事実にフィルスはショックを隠しきれない。


「え、どうして……?」


 フィルスが信じられないものを見たように言う。


「その"どうして"は、なぜ儂がフィルス殿を斬ったかということですか? それともなぜ斬れたかということですか?」


 ゲドスが尋ねると、フィルスは「なぜ斬れたかに決まってるじゃん」と答えた。


「ゲドスはただ走らせるだけでも気絶するまで走らせるんだから、剣の訓練も実際に斬ってくるに決まってるって思ってたけど」


 事も無げに言うフィルスに、ゲドスは内心で唸る。


 ──この年で、ここまで腹が据わっているというのもなかなか大したものですが


「なぜ斬れたか。それを理解するには物の理と術の理を理解しなければなりませぬ。これこれこのように空気が動けば、このような現象が発生すると理解し、そして術の理を被せてやるのですな」


 そうしてゲドスは所謂かまいたちの原理を説明した。


「風によって皮膚が切れるわけではなく、急速に冷やされた事によって皮膚が裂けるという解釈が正しいかと思われまする。剣に冷気を伝わらせ、その上で宙を斬ることにより、空気を冷やしているわけです。そこまでお膳立てすれば儂は当然ますな。敵の肉体が引き裂かれる事を。その願いが魔術を形と成すわけですな。ま、そんな迂遠なやり方をせずとも直接裂いてやれば良いという向きもありますが、こういう殺り方は相手を混乱させますからな」


「じゃあゲドスは剣術だけじゃなくて、魔術も使っているっていう事?」


「その通り。儂の剣は王道を往きませぬ。邪剣、もしくは魔剣の類ですぞ。勇者の剣としては相応しく無いように思えますがなぁ」


 そんなゲドスの言葉をフィルスは鼻で嗤う。


「勇者らしくたって勝てなきゃ意味がないし、それ以前に僕はゲドスに護ってもらったり、色々な事を教えてもらうために……」


 そこで言葉を切り、不意に黙り込むフィルス。


 ややあって顔をあげると、その頬が僅かに赤らんでいた。


「色々な事を教えてもらうために、散々えっちなことだってしてるんだよ。それのどこが勇者らしいっていうの? 今更だと思うけど」


 そんなフィルスの言葉に「おお、これは一本取られましたな」と呵々大笑するゲドスは、どこからどうみても悪辣な魔術師そのものであった。

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