魔術

 ◆


 エリオの一件から数日が経ち、最低限の聞き取りなども終わってフィルスたちの身辺も落ち着き、日常は束の間の平穏を取り戻していた。


 ライデルは彼の師が大枚を叩いて霊薬を購入し、極々短時間で新人講習へ戻ってきている。


 無茶をしたことで叱られると思っていたライデルだが、彼の師はむしろ激賞し、エリオがすでに死んでいる事を大いに悔やんだという。


 ──『妾の弟子をその様に痛めつけた下手人ならば、手ずから葬りたかったものを』


「──なんて言ってた! ししし師匠は、戦闘狂なな、んだ。きき! き、綺麗なひと、なんだけけど」


「それで鼻の下を伸ばしてるってわけね」


 カレンがなぜか不機嫌そうに言う。


「なな、なんでそうなるんだ!」


「そういえば……ねえ、カレン、ライデル。ヘイズはどうしちゃったのかな? いつの間にかいなくなってたし」


 フィルスは2人にそんなことを尋ねた。


 エリオとの一件以来、3人は自然とつるむようになっていた。


 カレンもライデルもフィルスのについて深くは聞かず、フィルスもそれに感謝し、ともに死線を越えたという経験もあって三人は妙に仲が良い。


 それはともかくとしてフィルスの質問に2人は怪訝な表情を浮かべた。


「どうしたの?」


 フィルスが尋ねると、カレンが口を開く。


「ヘイズって誰?」


 口調にふざけた様子はない。


「ライデル、知ってる?」


「い、いいい、や、わかららら、な、いけど」


 フィルスは2人の様子に不審なものを覚えたが──


 ──あれ? 


 自身もまた"ヘイズ"を思い出せないことに気づいた。


 髪の色は? 


 目の色は? 


 武器は何を持っていた? 


 そもそも自分は本当に"ヘイズ"という人物を知っていたのだろうか? 


 まるで夢に出てきた誰かを思い出す様な心地で、"ヘイズ"を思い出そうとすればするほどに記憶が掠れていく。


 フィルスは我知らず唇を舐めた。


 理解ができない、どう対応するべきか分からない事に直面した時、フィルスが見せる仕草であった。


 ◆


 宿に帰ったフィルスはゲドスに自身の妙な違和感について尋ねようと思ったが──


 ──なんか、変な風に思われたら嫌だな


 頭がおかしくなったとか正気を疑われたりしたくないという思いもあり、結局口には出さなかった。


「おや、どうしましたかな、フィルス殿」


 ゲドスは寝台横の壁にもたれ掛かって書などを読んでいる。


「あ、いや……そうだ、ゲドス、何を読んでいるの?」


 フィルスは話をごまかすように尋ねた。


「所謂魔導書と言うやつですな」


「え! 読んだら魔術が使える様になるってやつ?」


 フィルスが目を輝かせてゲドスの寝台へ走りより、僕も見せてと体を寄せる。


 しかし


「ん、ん~……なんて書いてあるか読めないや……」


 と早々に脱落。


 フィルスもこの時には多少の文字を読める様にはなっていたが、魔導書に書かれている文字はフィルスが知るものではなかった。


「別に読んでも魔術を使える様にはなりませぬ。まあ、そうですな……例えばこの頁です」


 ゲドスはぺらぺらと頁をめくり、フィルスに指し示す。



 ──『太古の昔、神はこの世界を創り給へり。然れども、「火」を造ることを忘れ給ひき。故に、世界は暗く寒く、生きとし生けるものは皆、苦しみに喘ぎぬ。


 ある時、神の造り給ひし生き物の一人、深く思ひ巡らし、この世界には「火」が欠けてゐることに気付きたり。彼は神の御許に参りて、切に願ひ申しける。


「神よ、この世界に火を賜はり給へ」


 神はその願ひを聞き入れ、火を創り給ふ。すると、世界は暖かさを取り戻し、生き物たちは歓喜せり。


 然れども、火の光は互ひの姿を照らし出し、生き物たちは己と他とが異なる存在なることを知りぬ。それ故に、彼らは相争ふことを始めたり。


 斯くして、火は世界に暖かさと光をもたらすとともに、争ひの種もまた蒔きしなり』



「……と、書いてありますが、これを読んで何を想像しますかな。ある者は火に対して破壊的な側面を見出すかもしれませぬ。しかしある者は火に対して何某かの導きを感じるかもしれませぬ。まあ人それぞれ好き勝手に想像をするわけです、火とは何かというものを。その思考の過程は "火"に対する思い、願いの補強に役立ちましょう。そこに魔力を流し込んでやれば──」


 ゲドスはその太いソーセージの様な指で、宙に丸を二つ並べ、それぞれの円の中心をつつく様に人差し指を躍らせた。


 すると……


「わっ」


 フィルスが思わず声をあげる。


 宙空に、青白く燃える小さい炎の輪が描かれていたからだ。


「……と、この様に魔術としての形が成されるというわけです。ちなみにこれは、儂が今即興で創った炎のおっぱいの魔術です」


 なにそれ、とフィルスはジト目でゲドスを見る。


「要するに、魔導書とは魔力を願いの形へ導く事を手助けするだけのものですよ。読んだからといって魔術が扱える様になるわけではありません。まあ、魔術の発現のさせ方は他にも色々あります。例えば先日フィルス殿が使ったという炎球の魔術などですが、魔術のまの字も知らぬフィルス殿がなぜ使えたと思いますか?」


「え、そんな事言われても……ライデルがあんな風に手を動かして撃っていたのを見たから……」


「それで自分も同じ様にすれば使えると思ったわけですな」


「うん……だめだった?」


「いえ、そういう方法もあるという事です。これこれこうすれば魔術を扱えると一片の疑問も持たぬ事──それもまた魔術の発現の条件です。それはそれで利点ばかりでもないのですがな。例えば自身で思い込んだその所作を正確になぞりきれなかった場合。魔術は失敗して自身を傷つける事になるという事も珍しくありません。これこれこうすれば魔術が使えるのですから、これこれこうできなかったら失敗するというのは至極当然の事です。ライデル殿が負傷をしたのはそういう理由です」


 そう言ってゲドスは隣に座るフィルスの頭に触れ、髪の毛をかき混ぜる様に撫でた。


 フィルスはされるがままだ。


 妙に神妙というか、ポーっとした目でゲドスを見つめている。


「魔導書の中には禁書と呼ばれるものもある。ただ、そういったものはそれ自体が何かをしでかすわけではなく、内容が酷くおぞましかったり冒涜的であったりするのです。そこから導かれた魔術もまたおぞましく、冒涜的です。十分な魔力を持つ者が扱えば、国一つを平気で滅ぼせる程度には恐ろしい」


 ゲドスの声は真に迫っており、フィルスは我知らずぶるりと震えた。


 そんなフィルスをみたゲドスはにたりと笑みを浮かべ、手をスーっと頭から胸元へ移動させ──


「さきほどの話は本来魔術師が金をとって教える事です。しかし儂は勇者殿から金を取ろうとは言いませぬ。ちなみに儂はおっぱいが好きですぞ」


 などと言う。


 フィルスは呆れ……る事はなく、「ああ、それくらいなら」といった風情で神秘を纏い、おっぱいを大きくした。


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