童貞を捨てる

 ◆


「二人とも大丈夫? って……大丈夫じゃないか。特にライデルはすぐに手当てをしないと……」


 フィルスの言葉にカレンもライデルも一切の反応を示さない。


「マカク先生は……駄目、かも……いや、でももしかしたらってこともあるか。運ぶから、ええとカレン、手伝ってよ」


「え、ええ」


 カレンの視線はフィルスの胸に注がれている。


「ライデル、少し待っててね」


「う、ううううん」


 ライデルの視線も同様だ。


 二人の視線をフィルスは強く意識していたが、努めて無視をした。


 愚かにも、ワンチャンバレてませんようにと願っていたからだ。


 ・

 ・


「──駄目か」


 フィルスは悔しそうに漏らした。


 マカクは両目を見開き、事切れている。


「せめて遺体だけでもルーサットへ戻してあげたいけれど……」


「フィルス、それは……」


 カレンの言いたい事がフィルスにも分かった。


「分かってる。エリオが言っていた事が本当なら……まあ本当なんだろうけど、他に誰か来るんだろうね。マカク先生は体も大きいし、とても運んでいる余裕はないから……」


 更に言えば埋めている時間もないかもしれない。


「……このまま置いて行こう。ライデルはまだ余り動けないかもしれないから、僕とカレンで協力するんだ。ライデルまで置いて行くのは僕は嫌だからね?」


 釘を刺す様に言うフィルスに、カレンは目を剥いて怒鳴る。


「当たり前よ! 私だって嫌よ」


「冗談だよ、でもほら、カレンはライデルがあまり好きそうに思えなかったから」


 笑いながら言うフィルスに、カレンは難しそうな顔をする。


「前はね。私ダサいの嫌いだし。まあ、いまはダサいとは思っていないわよ……」


 カレンの様子に何かを感じるフィルスだが、それ以上聞くのも野暮な気がして口を閉ざした。


 ◆


「マカかかク先生は、どどどどうだった?」


 ライデルが脂汗をだらだらと流しながら言う。


「だめだったよ、それよりライデルもかなり良くないね。急いで手当しないと……とにかくここを離れよう。とりあえず僕が背負うから、疲れちゃったらカレンが代わってくれるかな」


「駄目よ、私が背負う。魔物がでてきたら私一人で対応できるかわからないもの。フィルスなら……平気でしょ、多分。それにしてもあんな魔術が使えるなんて……」


「あ、そうか、うん、じゃあ頼むよ。魔術はライデルに教わったんだよ……。ごめんねライデル、君が魔術を使った所を見ちゃったから。ああして手を動かして魔術を使えるのは話には聞いていたから」


 あれ? 僕なにかやっちゃいました? みたいなフィルスに言いたい事は山ほどあったカレンだが、そんな事を話している場合ではないので急いでライデルを背負う。


「痛いかもしれないけれど根性見せなさいよ、折角助かったのにここで死んだら馬鹿みたいだからね」


「うううう、うん」


 根が陰の者であるライデルは、「カレン、君っていい匂いするね」などとは言えず、大人しく背負われる。


 ・

 ・


 幸いにも、帰路では魔物と出会う事はなかった。


 運が良かったというよりもフィルスのせいだが。


 フィルスが垂れ流しにしている魔力が周囲を威圧していたのである。


 寄ってくるな、近づくなというフィルスのが、微弱ではあるが魔術としてのていを成して作用していたのだ。


 そして──


 ◆


 一行は無事にルーサットの街にたどり着く。


「ほ、本当に疲れたわ……ライデルの汗も沁み込んで、体中からライデル臭がする……」


 カレンが舌打ちをしながらそんな事を言うと、ライデルは少し傷ついた様子を見せた。


「酷い事いわないの。じゃあギルドへ連れていこう」


 それからは流れる様に事が進んだ。


 ライデルは攫われるように職員にどこかへ連れて行かれ、カレンとフィルスは別室で事情聴取。


 北の森へ調査の早馬が飛ばされ、二人の背後関係が徹底的に洗われる。


 ただ扱い自体は悪いものではなく、休憩や食事などはちゃんと世話をされた。


 それは何故かと言えば勿論理由がある。


「儂の信用自体はもはや証明するまでもないでしょう。これまでに幾つの魔族の首を届けたかを考えれば、儂が信用に値する男であることは天の理にして地の自明でしょう。まあしかし、何ですかな。儂が信用し、師弟の契りを結んでいるフィルス殿が事もあろうに犯罪行為に手を染めている可能性がある、と言いたいのですかな。フィルス殿は儂が見込んで弟子にしたのです。長じれば、より効率よく魔族共やそれに与する犬畜生どもをぶち殺す事ができると見立てましたのでね。儂の魔族抹殺計画は儂一人では成らんのですよ、それを邪魔するという事は……ははぁん、さては貴殿、 "人犬" だったりするのですかな……? 儂は犬が嫌いでしてね、見つけ次第首を跳ね飛ばして頭蓋骨を酒杯に仕立てて酒を呑むと決めているのですよ。貴殿はお美しい女性ですから、さぞ酒も美味く呑めるでしょうなあ。おお血が騒ぐ騒ぐ、聴きたい事があるならば明日にしてほしいものです。フィルス殿もそのお仲間も疲労しているのですからね」


 フィルスの帰りが遅い事を心配したゲドスが、パワハラをカマしながら圧をかけていたからだ。


 ・

 ・

 ・


「大変でしたな、まあ色々聞きたい事はありますが、明日にしましょう。今夜はゆるりとお休みくだされ」


 その夜、宿でゲドスはフィルスに布団をかけながらそう言った。


 そして自分のベッドへ戻ろうとすると──


「む? どうしたのですかな」


 フィルスがゲドスのローブの裾を掴んでいる。


「僕、初めて人を殺したんだ……」


 ああ、とゲドスは自身の禿げ頭を叩きたい思いだった。


「今宵はやや冷えますな、ちょっと失礼をしまして」


 言うなりゲドスはフィルスの返事を待たないまま布団にもぐりこみ、フィルスをそのぶよとした肉で包む様に抱きしめる。


「おうおう、ぬくいぬくい。フィルス殿は体温が高いですなあ」


 言いながら、背をとんとんと叩く。


 フィルスは何も言わないが、ゲドスに抱き着いて体を震わせている。


 しかし背を叩く所作に込められた鎮静の魔術が効いたか、あるいは他の理由か、いつのまにかフィルスは眠ってしまった。


 ◆


 そして朝。


 フィルスが目覚めると、自身がゲドスに抱き枕の様にしていた事に気付き、どうにも気恥ずかしい気分を覚える。


 昨晩優しく抱きしめられて眠った事を覚えており、「ゲドスは優しいな」というような思いが強く残っている。


 しかしそんな思いはゲドスがぐいと体をよせ、ひいては下半身を押し付けてきたことで霧散した。


「心も体も疲れはてた勇者殿に手を出す程、このゲドス、堕ちてはおりませぬ。しかし、色々な意味で一皮剥けた貴殿に、もはや儂はしんぼうたまらぬ思いなのです。勇者殿、分かってくだされ……っ」


 フィルス♀はハァと溜息をついて──


「まだ体が重いから、手でいい?」


 とおざなりに言ってゲドスにそっと触れた。



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