「な」

 ◆


「ほら森に来る途中君とライデルはあれを飲んだろ? 紫色の、ほら。あれが種だよ。効いてくるまでに結構時間があるんだけど、調合にコツがあってね。ある程度は効いてくるまでの時間と効いている時間を操作できるんだ。悪いんだけどいくら時間を稼いでも状況は悪化するだけだよ」


 エリオはそういうと、フィルスに近づいて剣を持つ手を蹴り飛ばす。


 がらんがらんと音を立てて剣が転がり、フィルスは悔しそうな表情を浮かべた。


「自分でもこうしてベラベラと種や仕掛けを明かすなんてバカみたいだなと思うんだけど、どうしてもやめられないんだ。性格が悪くてごめんよ。まあでもバカな僕に嵌められた君たちの方がよっぽどバカだからいいよね」


「ぼ、くたちを、どする、つもり……?」


 フィルスはかろうじて声を出す。


「ああ、安心して。別に殺したりはしないから。もう少しすれば君たちの身柄を受け取る者が来てくれるんだけど、まあもう暫くは待つかんじになるよ」


 それにしても、とエリオはへらへらしながらフィルスへ近寄っていく。


「なんていうか、僕はそっちのケはないけれどさ」


 フィルスの髪を掴み、無理やりおとがいを上げる。


 そして露わになったうなじを見て、自身の唇をべろりと舐めた。


「男でもない、女でもない。そんな不思議な魅力があるよね。ライデルがのぼせるのも何となくわかる気がするよ」


 そういって──


「ん、むぐっ……!?」


 フィルスの唇を奪い、一しきり口内を凌辱する。


 エリオの舌が蠢き、上あごの敏感な部分をなぞり、フィルスは背筋に震えが走るのを感じた。


 嫌悪感と快感──後者のほうがやや大きいか。


 しかし。


「ん、ぐ!? て、てめぇ!」


 エリオは激昂し、フィルスを殴りつけた。


「クソが……ふう。まだそんな力があったのか……ちっ、痛ぇな」


 エリオの口元から血が流れている。


 倒れ込むフィルスの口元にも血──そして笑み。


 エリオの舌を噛んでやったのだ。


「立場ッてやつを! 弁えろッてな!」


 エリオは叫び、倒れるフィルスを何度も何度も蹴り飛ばす。


「毒の効きも鈍いし、随分頑丈じゃないか! なあ! だったらこんな蹴り、痛くもかゆくもないだろッ!?」


 頭を、腕を、腹を。


 何度も何度も蹴りつける。


 まともに体が動かせないフィルスはやられるがままだ。


 ただぐっと歯を食いしばって耐えるだけだ。


 視界の向こうにはライデルが倒れ、カレンは尻もちをついており助けを期待できそうにもなかった。


 しかし一つ気になる事もある。


 それはライデルの腕が僅かに動いている事だ。


 掌をこちらに向け、握ったり、開いたり。


 何かのサインなのかと思い、フィルスはライデルを凝視したが何を意味しているのかは分からない。


 その間もエリオの蹴りは続く。


 エリオはフィルスを痛めつけるのをやめようとはしなかった。


 これ以上傷つけるのはまずいとは思っていても、苦悶に表情をゆがませるフィルスの得たいの知れぬ魔性に魅入られている。


 暴力は延々と続く様に思えたが──


「なっ!? ぐ、があああ!」


 エリオの背に人の頭程の火球が直撃した。


 見てくれだけ整えたという感じの稚拙な火球の魔術を放ったのは、ライデルである。


 ・

 ・


 ライデルはうつ伏せに倒れたまま右腕を突き出し、掌をエリオに向けている。


 ただし、常の様子ではない。


 ライデルの右腕は酷い火傷を負っていた。


 これはライデルの詠唱が不十分だったことによるペナルティだ。


 ◆


 ざまあみろ、とライデルは彼に似合わぬ不敵な笑みを浮かべた。


 詠唱に拠らない、所作による代替詠唱。


 吃音のせいで詠唱が苦手な彼は、師より詠唱所作を学んでいた。


 とはいえ麻痺のせいで十分な所作が取れず、威力に欠け、自身も傷つく羽目になってしまったが。


 憤怒の表情で向かってくるエリオだが、ライデルは少しも怖く感じる事はなかった。


 やってやったぞ、という思いが彼の精神を太くしている。


 ライデルは呆然と自身を見つめるカレンを見つめ、脇の木陰に視線をずらした。


 ──『逃げろ』


 そう言ったつもりだ。


 しかしカレンにはライデルの意図は全く伝わっていなかった。


 ・

 ・


 ◆◆◆


 ライデルの腕はめちゃくちゃだった。


 火傷なんていう言葉じゃ言い表すことは出来ない。


 私はあのクソッタレに殴られて泣いてしまったけれど、ライデルときたら殴られるよりよっぽど痛い目に遭ってるっていうのに笑ってる。

 ライデルはテンパると何言ってるかわからなくなるし、テンパらなくても何言ってるか分からない。


 しかも顔はイモいし、背も低い。


 だけどあのクソに豚みたいな悲鳴を上げさせた時のライデルは少し格好良いと思った。


 そんなことを考えていると、私の手はもう一度弓を握っていた。


 あのクソッタレが近づいてくる──ライデルは殺させない。


 ◆


 カレンは矢を同時に二本掴み、素早い動きで弓につがえた。


 こういった射法は命中率に欠ける。


 だが射る方にとっては余り信頼が置けない方法だが、射られる方は別だ。


 次々とダブルショットを放つカレンに、エリオはやりづらそうにしていた。


 普段より大きく回避行動を取り、を防ぐために剣で払ったりはしない。


 距離を縮める際はカレンが矢をつがえる瞬間に詰め、矢が自身を向いている時は回避に意識を割く。


「畜生、フィルス! あんたも根性見せてよ!!」


 カレンは叫ぶが、フィルスは倒れたまま動かない。


 二射、二射、また二射。


 一矢も当たらないまま、エリオとの距離が大分縮まった。


 ◆


 全身の激痛、麻痺。


 フィルスはタフだが、そんなタフな彼でももはや指一本動かす事も難しい。


 ──僕に、残っているのは


 何か武器を、何か作戦を。


 必死で考えて、考えて、考えて。


 それでも何も思い浮かばなくて。


 最後に残ったのはただ一つだった。


 ──そういえば、こんなモノがあったな


 前の夜、女の体でゲドスに散々に犯されて気絶するまで嬲られても、翌朝男の体に戻って講習に行くときにはけろりとしていたのはなぜだろうか? 


 上手くいくかどうかもわからない。


 上手くいってもいくつも問題があるだろう。


 ──まあ、でも。は度胸と言うしね


 神秘がフィルスの体を変貌かえる。


 ・

 ・

 ・


「クソッ……」


 カレンは毒づく。


 もうエリオとカレンの距離は一足飛びといった所だ。


「下手糞だね、カレン。そんな短弓じゃ矢の速度もでない。まあもういいや、最初は君らの事を殺すつもりはなかったんだけど、別に殺しちゃいけないわけじゃないんだ。君たちはついでさ。僕としては収入が減るけどフィルスだけ生かしておけばいい。まあだから──」


 死んでくれ、とエリオが言った瞬間。


 頭の中で警鐘がガンガンと鳴り響く。


 やばい、まずい、やばい、まずい、危機感がそう叫ぶ。


 しかし何がやばくてまずいのか。


 エリオがまさかと思い後ろを振り返ると、もはや回避も叶わない距離と速度で、青い炎の大球が迫り来ているではないか。


「な」


 エリオの最期の言葉である。


 恐ろしく熱く、更に絡みつく様な青い炎がエリオの全身を食い荒らす。


 灼熱はエリオに断末魔の声をあげる事すら許さない。


 カレンとライデルは口をあけ、呆然とエリオが燃え尽きるのを眺めていた。


 そして見た。


 フィルスが立って掌を向けている姿を。


 しかしその姿は──


 ◆


「最初に使う魔術は、ゲドスに教えてもらいたかったんだけれどな」


 淡く桃色に色づいた唇の端にこびりつく血を拭いながら、フィルスは呟いた。


 全体的にすらっとし、男特有の骨ばった感じがなくなっている。


 フィルスはその性を転換させる時、疲労や負傷を持ち越すことはない。


 ゲドスとのハードでラフなファックが無ければ気付く事はなかっただろう。


 フィルス♂はフィルス♀へと成っていた。

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