人犬
◆
マカクは一瞬自分に何が起きているのかわからないようだった。
胸の先から突き出ている剣の先端をまるで他人事のように見つめている。
それはフィルスやライデル、カレンも同様のようだった。
「な、何をしてるの?」
カレンの声色には狼狽が色濃く滲んでいる。
ライデルは息遣い荒く、両目を見開き──フィルスはしかし。
無言のままエリオに向かって突きを繰り出した。
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勿論フィルスにも混乱はある。
その度合いはカレンやライデルに勝るとも劣らないだろう。
しかし良い意味でも悪い意味でもフィルスは実戦慣れをしていた。
別にフィルス自身が戦ったわけではないし、ほとんどがゲドスに抱っこにおんぶの状態だったが、何者かが敵意を持って襲いかかってくるという状況にフィルスは慣れていたのだ。
「おっと、流石」
しかしエリオはフィルスの突きを流れるようにマカクの胸から引き抜いた血濡れの剣で捌き、逸らす。
「ライデル! カレン! エリオは敵だ! 構えて!」
フィルスの檄が飛び、カレンは慌てて弓を構えて矢を放つが──
「ッ……」
エリオは事も無げに躱し、射線上に居たフィルスの肩へと突き刺さってしまう。
「ご、ごめんフィルス! わ、わたし……」
カレンは動揺して弓を下げ、フィルスに詫び始める。
「だ、大丈夫だから!」
「あれを食らっちゃうのか。だったらそこまで警戒しなくてもよかったかな。まあでもそこでチクチクやられたら面倒だ」
エリオは飄々とそんな事を言って、向き直って疾走──背を向けて逃げ出そうとしたカレンに易々と追いついて襟を掴んで引き倒し、頬を一発二発と張り飛ばした。
「い、痛ッ……い、いたい!」
「そりゃ痛くしてるからね。知ってる? ビンタ一つにもコツがあるんだ。しなりを意識するのさ、ほら……こういうッ! ふうに!」
カレンは更に数発引っ叩かれ、喉笛に短刀を当てられるにいたってついには泣き出してしまった。
「泣いたって駄目だよカレン。言っておくけど君より僕のほうがずっと足が速い。次邪魔をしたら今度は殺しちゃうからね。逃げても殺すよ、分かった?」
「は、はぁッ、はい……分かった、わかったから、ひっ」
カレンは完全に心を折られている。
「ところでライデル、情けないね。女の子がいじめられてるっていうのに、おねんねかい?」
ライデルは倒れ、息を荒らげエリオを睨みつけていた。
それを見てエリオはにこりと笑い、フィルスに向き直り歩を進めていく
・
・
「やあお待たせ。それにしてもフィルスがそこでつったって見ているだけとはちょっと意外だったよ」
フィルスとてエリオの蛮行を止めたい思いはあったが、出来ない事情があった。
「エリオ、君は一体……」
「なんていうのかな、お買い得セットって感じだったから」
エリオの言っていることかフィルスにはわからない。
しかしフィルスとしては少しでもエリオに喋らせたい。
「ど、どういう事だよ……」
なるべく怯えている様に見えてくれよと思いながら、フィルスはエリオに尋ねてみる。
「薄ノロのライデルは魔術師としては無能だけど、それでも魔術師だからね。バラせば良い触媒になる。
「カレンは女だ。しかも若い。奴隷商人に高値で売れるだろうさ。そしてフィルス、君は……欲しがってる人がいるんだよね」
「なんだか最初から僕が目的のように思えるけど」
「まあそうだね。近づくのは苦労したよ、ほら、君には怖い人がくっついてるから」
その時フィルスはゲドスの言葉を思い出す。
──『血が赤い所を見れば卿らは恐らく"人犬"……ぐぶぶぶ! 人を裏切り、魔について……』
「"人犬"……」
フィルスの言葉にエリオの表情が盛大にしかめられた。
「その言い方は好きじゃない。僕らからしてみると、君らが馬鹿なんだ。一度でも魔族を見たらそう思うさ。あの方たちは僕ら人間なんて比べ物にならないほど美しく、そして強い」
ところで、とエリオがにたりと嗤う。
「体が上手く動かせないんじゃないのかい? だから走ってこれなかった。時間を稼いでるのは……多分そう深い考えでもないな。君は期待してるんだ。例えば僕に殺されたマカクが実は死んでいなくて、奇跡的に起き上がってくるとか。もしくは君のその
──正解だよ、畜生
フィルスは内心で毒づく。
痺れは指先から、いまでは肘あたりまで広がっていた。
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