手が冷たくなる魔術
◆
講習は何から何まで全て教えるという訳ではない。
必要最低限の情報に限られている。
例えば多くの新人冒険者が出向くであろう北の森についての情報だとか、あとは冒険者の立ち位置などだ。
「冒険者という職業に対して過大な夢を持つ者も少なくありませんが、実際にはその社会的立場は非常に低いと言わざるを得ません」
ある日の講習でリンベルがそう言った時、中には失望の色を見せた生徒も居た。
しかしリンベルは構わず続ける。
「どこぞの山のものとも海のものとも知れぬ輩、しかし戦う力だけはある──信用できるはずがありません。しかし、そういった扱いは皆さんが真面目に依頼をこなす事で段々と良くなっていくでしょう。魔物と戦う事ができなくても、ギルドには街での仕事が数多く依頼されてきます。そういったものに誠実に取り組んでいく事で、皆さんはこの街に居場所を作る事ができるでしょう」
「また、冒険者として高名な者になってくると二つ名を賜る事もあります。この慣例は森人や山人など、我々とは異なる種の人々の慣例を流用したものなのですが、こういった冒険者の社会的立場は時に貴族に比することもあります」
リンベルの言葉に、フィルスはふとゲドスはどうなのだろうか、という思いが湧いてきた。
単なる興味本位ではある。
「あの、 "血の月" という二つ名の人は有名なんですか?」
フィルスが質問をすると、リンベルはぎょっとした表情を浮かべた。
「 "血の月の" ゲドスを知っているのですか? 有名とも無名とも言えません、少なくとも冒険者の間では。ただし、とある勢力にとっては恐怖を以て語られているでしょうね。すなわち、魔族です」
魔族、という言葉が出たとたん、生徒たちの表情がややこわばる。
魔族とは非常にわかりやすい恐怖の象徴だ。
おとぎ話的な恐怖ではなく、実際に存在する恐怖として恐れられている。
「"血の月の" ゲドスは高名な
「どんな人なんですか? 男とか女とか……」
別の生徒が興味をもったようで質問をしたが、リンベルは首を振る。
「"血の月の" ゲドスがどういう外見なのかとか、そういった情報は出回っていません。ギルドに聞いても教えてくれませんよ。容姿などが出回ってしまうとそれだけで不利になってしまったりすることも多いですから。そういった特殊な冒険者は、むしろ社会的立場などというものは足枷でしかないでしょう」
ゲドスって凄いんだナ~、となぜか嬉しくなってしまうフィルスだが、リンベルは釘を刺す事も忘れない。
「"血の月の" ゲドスは既にある程度名前が知られているために答えましたが、冒険者の素性を確かめようとするときは注意が必要です。なぜならば冒険者は誰でもなれるからです。勿論入会の際に多少は素性を聞かれますが、そんなものはいくらでも誤魔化せます。つまり、犯罪者が冒険者の姿に身をやつして……という事も十分ありえるのです。そういった悪党が、自分を詮索している者がいると知れば──」
リンベルは表情のまま、親指を立てて喉笛を横にひいた。
誰かがごくりと息を呑む。
一しきり脅したリンベルは何もなかったかのように講義を続けた。
仲間が死んだらどうするか、大けがを負って治療するお金がない時、危機の際仲間を置いて逃げかえってしまった場合はどうすればいいか、冒険者同士のトラブル、etc……
そして最後に、『実戦講習』について触れる。
実戦講習とは文字通り、モンスターとの実戦をするというものだ。
場所は北の森の入口で、ギルドなりに安全措置は講じられるが──
「──それでは、希望者を募ります。実戦講習を希望する者は1日猶予を与えますのでよくよく考えておいてください。ただし、先ほども伝えましたが希望者の数に応じて同行する講師の数も変わります。しかし、それでも完璧にあなた方を護れると約束出来るわけではない事をご理解ください。時と場合により、護り切れない場合もあります。もしかしたら怪我をしたり、最悪の場合は命を落としてしまうかもしれません」
講師のリンベルが淡々と言う。
そして更に自分の命を守る事を最優先とすることや、どんな結果になってもギルドは苦情を受け付けないという事などを告げ、同意できる者だけが実戦講習に参加できる事も伝えた。
「同意者には署名をしていただきます。名前が書けないものは印章を使う事ができます。また、実戦講習に参加しなかったからといって、ギルドからの評価が下がる事はありません」
・
・
「や、やあフィルスちゃん……くん。君は実戦講習には参加するのかい?」
フィルスと同い年くらいの生徒が前髪をねじったりかき分けたりしながら尋ねてきた。
ライデルで長髪、猫背で根暗──挙句の果てに真っ黒いローブに身を包んでいるためにどうにも陰気な印象を与えてしまうが、悪い男ではない。
「あ、ライデル。うん、参加するよ。というかフィルスでいいよ……僕は男だし、ちゃん付けは好きじゃないから」
この時にはフィルスも顔見知りの生徒が何人か出来ており、ライデルもその一人だ。
講習に参加している生徒たちは一定以上の真面目さが担保されているようなものなので、巷に溢れている様なチンピラみたいな者は少ない。
態度が荒い者はいるが、それは舐められまいと気張っているだけだったりする。
「ふうん。ぼ、ヴぉ、僕はまだ迷ってるんだけどどうしようかな。僕はほほ、ほら、魔術師だから、ね。ぜ、前衛がいないと……」
「無理する必要はないと思うけど。ライデルなら他のパーティからスカウト来てるでしょ?」
「ま、まあね……そうなんだけど」
魔術を扱える新米というのは中々珍しく、ライデルは既に複数パーティから誘いを受けている。
吃音癖のあるライデルは詠唱に難を抱えているが、本人はそこまで気にしていない。
「そ、それを言うならフィ、フィ! フィルスもだろう」
フィルスは「あー、まあ」とはっきりしない態度だ。
というのも、冒険者としてうまくやっていく事がフィルスの目的ではないため、勧誘は全て断っていた。
しかしそれを言うと鼻につく奴と思われるかもしれないので、正直な所を言えないでいる。
「ま、まあもう少し考えて、み、みるよ。じゃ、じゃあね、ももも、もう少し話したいけど、し、ダンスの練習があ、あるから」
◆
「──って事があったんだよね。あ、これ美味しい」
フィルスはサラダをもりもり食べている。
ここはシェルミの店だ。
ローレンツが
と言っても営業時間はかなり短縮されており、手ずから育てた野菜を売る事で生計を立てていた。
そこまで広いスペースではないのに店で出す分や販売する分をまかなえているのは、森人の魔術によって高速成長させているからである。
「まあ吃音自体はさほど問題にはなりませんがな……しかしダンスとは。そのライデルという御仁のように、発音に難がある者が所作によって魔術を扱おうとすることはままありますが、それにしたってこの様なものですよ」
ゲドスはフォークを置き、右掌と左掌を互い違いにがっしと組んだ。
そして合致した両掌を僅かに掲げる──それはまるで祈りのようでもあった。
「儂の手に触れてみてくだされ」
言われたままにフィルスが触れてみると──
「あ、冷たい……あ、待って! これどんな魔術なの!? 僕の手、壊れちゃったりしないかな……」
フィルスが焦った様に言う。
ゲドスの魔術をこれまで見てきているフィルスとしては、なにかとんでもない酷い効果があるんじゃないかと不安になったのだ。
「儂を何だと思っておるのですか……この魔術は今考えたもので、単に手を冷たくするだけの魔術です」
「今考えた?」
「左様。例えば剣を振るとします。世には様々な流派があり、剣の振り方一つとっても色々とあるでしょう。しかし、別に振ろうと思えばどのようにでも振れるわけです。片手でも両手でも、器用な者なら柄を両足で挟んで振る事もできましょうな。魔術もそのようなものです。もっとも、未熟な者が儂と同じ様な事をやれば大けがをしますぞ。不器用な者が足で剣を振ろうとして、誤って取り落とし怪我をするとか、そういう感じですな」
「はぇ~……すっごいんだねぇ、ゲドスは」
「なんだか緩い返事ですな」
・
・
その夜。
フィルスはゲドスが考えた手が冷たくなる魔術で、乳首を散々いじられて嬌声をあげる羽目になった。
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