血月と銀花(中)

 ◆


「貴殿を縛る児戯──魔力は過剰にして技術は過少なり。所詮は押し付けられた業に過ぎませぬな。業とは適切な力を適切に振るう事を言うのです。ところで森人のお嬢さん、儂ならば望み通りの死をくれてやる事ができますが、もう一つの道を選ぶ事も出来ます。さて如何に?」


 そう問われたシェルミは不意に意識を現に戻し、眼前の男──ゲドスを見た。


「我が名はゲドス。天輪と御影を崇め、讃えし──赤月の司祭也」


「……わたくしはシェルミ。ニルシェルを霊父、アルージェを霊母とするフェリシアのシェルミです。人間よ、お前はホラズム王国の者なのですね」


 ゲドスの名乗りはある程度森人の儀礼に則ったものである。


 ニルシェルは雪、アルージェは花。フェリシアは森人の言葉で "西の森" を意味する。


 霊父、霊母とはそれぞれ仮の父、母という意味だ。


 アルージェは水の季節にしか咲かない花で、要するに「冬頃、西の森で生まれたシェルミ」という意味になる。


 自身のルーツをある程度明かす事は、相手に対してある礼を尽くしているという事になるのだ。


「左様。儂はかつて、ホラズム王国にて畏れ多くも魔導戦士団長の位を賜りました。しかし魔王襲来に際しては我が力は及ばず。もはやこれまでと国と運命を共にしようとしましたが……」


「それ以上言う必要はありません。人間よ、お前の事はわかりました。私は故あって多くの事を語れません。しかし、お前ならば私の心の裡が分かるのではないですか」


 この時、シェルミは既にゲドスを信用する気になっていた。


 無理やりに死を選ばなくとも、浮かぶ瀬もあるのではないかと思ったのだ。


 それを可能とするだけの魔力の深奥を、シェルミはゲドスに視た。


「ぐぶぶぶ……貴殿の肉の隅々にまで棘が刺さっておるのが視えまする。東方に於いて、針を打つことで肉体を随意に操作する術がありますが、それに似た事を魔力で行っているのでしょう。そう──この様に!」


 ゲドスが目を見開き、シェルミの目を凝視する。


 するとシェルミは自身の意思とは無関係に一歩、そして二歩と前へ進み、ゲドスに寄りかかる形で体を預ける態勢となった。


「あっ……!」


 ゲドスは挨拶の際は立っていたが、今は座っている。


 畢竟、シェルミの胸のあたりに顔が埋まる事となった。


「ぐふっ! ……スゥーッ……スゥーッ!」


 チャンスとばかりにゲドスは深呼吸をするが、そこまでだ。


 まだ尻に手を回したりはしない。


「あの、何をしているのですか人間……」


 シェルミが困惑しながら言うと、ゲドスは重々しく答える。


「貴殿の魔力に混じった不逞の魔力を捉えんと試みておりました。結論から言えば貴殿を縛る鎖は解く事ができましょう、しかし……」


「……しかし?」


 ゲドスの言葉がハッタリではない事は、先ほどの邂逅によりシェルミには分かっている。


 シェルミは不安と期待に入り混じった視線をゲドスに向けた。


「我が魔力を浸透させねばならない関係上、貴殿にとって痛苦かもしれませぬが儂と交わって頂く必要がある!」


「交わる……とは」


「左様。ご想像の通りです」


 ゲドスは真実を虚偽に、虚偽を真実に見せかけた。


 前者はシェルミを縛る鎖──支配の魔眼を児戯と言った事。流石に神の奇跡だけある、というのがゲドスの評価だ。


 シェルミの行動を制限する魔力の棘は余りに細かく、そして余りに多すぎる。


 意識にまで干渉する以上、棘は脳にも刺さっているのだろう。


 こんな真似はゲドスにも出来ない。


 ゲドスは簡単に真似して見せたが、実の所はあれが精一杯だったのだ。


 そして後者。


 真似はできなくても、除去することはゲドスにとっては簡単な事だった。


 ゲドスの魔力でシェルミを洗い流してしまえばいいだけの事である。


 しかし、何も交わる●●●●する必要は無かった。


「そう、ですか」


 悩むまでも無かった。


「人間──いえ、ゲドスでしたか。お前の好きになさい。私の体は既にあの男に穢されています。今更お前一人に抱かれたからといって、何の痛苦があるでしょう」


 人間の悪意というものも散々に思い知っている彼女であるので、ゲドスの言葉が虚言である可能性もないではないとおもっている。


 しかしこれまで延々とローレンツにより凌辱されてきたシェルミは半ば自暴自棄であったし、彼女なりに一つの考えもあった。


 ──もし、私に嘘をついていたのなら殺してやる


 そんな思いがシェルミの中にある。


 ローレンツには危害を加える事ができなくとも、ゲドスに危害を加える事なら出来るのだ。


「では早速」


 シェルミの思いを知ってか知らずか、ゲドスはそのナリからは想像も出来ないような素早い動きで彼女に肉薄し、唇を奪った。


 ◇◇◇


 あの男は、私に口づけをするよりも殴る回数の方が多かった──妙に冷静な頭で私はそんな事を考えた。


 ゲドスの見た目とは裏腹の優しい所作に、むしろ困惑してしまう。


「したい事をしろ、とは言いましたが。本当にこれがいいのですか? お前は私を殴ったりしたいのではありませんか? 遠慮は要りません」


 するとゲドスは不意に動きを止め、私の目を見つめて──今度は抱きしめてきた。


 乱暴な所作の一つもない、とても優しい抱擁に私は故郷の大樹を思い出す。


「シェルミ殿が今、どういう状況に置かれているかはこのまなこでしっかと視ておりまする。儂に全て任されよ」


 その言葉を聞いた時、ゲドスの言葉が私の中に吸い込まれ、頭の中に巣食っていた何かを消し去ってくれた様に感じた。


 何かがこれまでとは違う、そんな気がする。


「シェルミ殿、貴殿を苦しめているしゅの主が憎いですかな?」


 憎いに決まっている。


 そう思ってほんの僅かな時間が経った時、私はこれまでとは何が違うのかを理解した。


 憎い、あの男が憎い。


 これまではそんな憎悪を抱いても、すぐに消えてしまっていた。


 なのに今は消えない。


「はい。私はあの男が──憎い」


 言葉に出して言ってみると、余りの解放感で白い閃光が目の前でバチバチと弾け、私は足をもつれさせてしまう。


「おっと、ご注意を。……そうですか、憎いですか。では為すべき事を為すしかありますまい。復讐は何も生まないなどと宣う者らもおりますが、儂はそう思わない。復讐とは破壊です。己を苦しめる存在を破壊することです。そして苦しみを破壊した後には自身の再生が訪れる──それが世の摂理なのです。儂は今、シェルミ殿に再生への道筋を示しました。貴殿を縛り付ける鎖を傷つけ、一部を砕いて見せました。だから儂に委ねなさい、その身だけではなく、心も委ねるのです」


 ゲドスは両腕を開き、私を招き入れるような所作を取っていた。


 もはや信じない理由はない。


 私は自分の意思で、望んでゲドスの腕の中へ飛び込んだ。


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