血月と銀花(上)
◆
『ルーサットには朝もなく、また夜もない』
そんな言葉がある通り、冒険者の街であるルーサットは早朝だろうと深夜だろうと、一定の人の出入りがある。
「おや、あれは」
ゲドスは視界の先に一人の若者の姿を認めた。
どこかで見たことがあるなと思い記憶を探ってみると、確かに会った覚えがある。
ゲドスはああと手を打った。
──あの時の若造か。ほう、ろくでなしかと思いきや中々……
若者は先日フィルスに体当たりをしてきた身の程知らずのミロクである。
ミロクは停車してある馬車の横について荷揚げの作業をしていた。
冒険者とは何も街の外に出て魔物と戦ったり、未開の地を探索するばかりではない。
街の掃除をはじめ、雑用で日銭を稼いだりするというのも冒険者の立派な仕事だ。
というより、そういった仕事をする冒険者が大多数だったりする。
そして依頼主から働きを見込まれて直接雇用をされ、冒険者を足抜けする──そういうルートもある。
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「げ、おっさんは!」
ゲドスの顔を見たミロクがまずい相手にあったというような顔をした。
「やあ小僧殿。貴殿とは先日も会いましたな。汗水流して労働、実に結構!励まれよ。貴殿の努力に免じて先日の非礼は許しましょう」
ゲドスは実に偉そうにミロクへのたまう。
「え、偉そうなおっさんだな……。小僧じゃねえよ、ミロクっていうんだ。まあこの前のことは俺が悪かったから!あの子にごめんって伝えておいてくれよ」
「これは随分と素直。儂はゲドス。偉い男です。憎まれ口の一つでも叩くと思っていましたが。貴殿、そういう風に謝ることができるのに、随分とつまらないことをしていましたな」
「いや、あの時は俺も何か色々上手くいかなくて、なんていうか……。本当に悪かったよ。ところでおっさんはあの子のなんなん……あ、やべえ!」
ミロクは自身を睨みつけるガタイの良い親父に気付いた。依頼主の商人だ。
「おっと、仕事の邪魔をしましたな、申し訳ない。じゃあ儂はこれで」
ゲドスはミロクが何を聞きたいか察してはいたものの、あえて答えず脇を通り抜けて──すれ違い様に「フィルス殿は太ももの内側に一つ、ホクロがあるのです」と言ってから去って行った。
「ふ、ふともも!?……ふともも……え、待てよ、なんであのおっさんが知ってるんだ?ま、まさか恋人同士だったりするのか?いや、でも……そもそも男だったりするかもしれないからな。畜生、どっちだかわかんねえよ……」
悩むミロクだが「おい、ミロク!てめぇサボってんじゃねえぞ!」という怒声に我に返り、仕事に戻る。
◆
「さて、次は……」
ゲドスは豚鼻を広げ、大きく息を吸い込んだ。
吸気により鼻毛がそよぎ、
──シュラルク馬の汗、地面に零れたエテル薬、ハナン地方の青草の汁、そして……降る雪を思わせる冷然とした美しい魔力
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シェルミは店の裏の家庭菜園に立っていた。
ここは店の食材を育てている菜園だが、盗難防止の為に人払いの結界を張ってある。
かがみ込み、土を掬い上げて匂いを嗅ぐ。
「うん、良いですね」
土は瑞々しい生命力に満ちていた。
野菜はどれも色彩が溢れんばかりに強烈に輝いている。
鮮やかな緑の葉が重なり合い、太陽の光を受けてその輪郭がくっきりと浮かび上がる。
黄金色の身がぎっしりつまった長い野菜などはとても大きく育ち、厚みのある葉が風に揺れてかすかな香りを漂わせていた。
野菜はどれも美味しそうに育っており、シェルミは薄く微笑む。
これらは彼女が手を掛けて育ててきた我が子の様なものだからだ。
しかしそんな微かな笑みも、立ち上がるに至って凍り付く。
腰から下、下半身全体に走る鈍痛はシェルミに嫌が応にも昨晩の出来事を思い出せた。
──このままでは良くないのに、誰かに助けを求めなければならないのに
例えば冒険者ギルドだ。
ギルドで信頼が厚い
しかしそれ以前に、今のシェルミには行動に大きく制限がかかってしまっていた。
──はあ、何でこんなことに……
全ては自分の世間知らずが原因だと分かっては居ても、シェルミは己の不運を呪わずには居られなかった。
彼女が
何十年何百年と続く森の暮らしに閉塞感を覚えた森人が、外の世界に出て悪い人間に騙されたというだけの話だ。
たまに森に交易に来る人間たちが親切なものだから、森の外の人間たちもみんな親切だと思い込んで、そこをつけ込まれた。
──それでも最初は、あの男も親切にしてくれたのですけど
以前は淡い想いを抱き、しかし今では憎んでいるローレンツの事を想う。
ローレンツは森から出てきて右も左も分からないシェルミに街のイロハを教え、森人としての長所をいかせるような仕事を与えた。
さらには資金援助まで行い、ギルドに宣伝を依頼したりして街にシェルミの居場所を作ってやった。
しかしそういった心遣いの全てはまやかしに過ぎなかったのだ。
──『全部お前を信頼させる為です、シェルミ。苦労しましたよ、お前達耳長はただでさえこの手の力が通り辛い。門は固く閉ざされている……しかし、堅固な門があるならば、向こうから開けさせれば良いのです』
そう宣うローレンツの顔を思い出すと、シェルミの精神に真っ黒い炎がぶわりと広がるが──
──やっぱり、だめ
炎はあっという間に消えてしまう。
敵意を長く維持できないのだ。
そればかりか、ローレンツに対して不利益となる行動全般が取れない。
シェルミは喉を何度もナイフで突こうとしたが、切っ先は皮一枚傷つける事もできなかった。
──でも私は、一生をあの男の性玩具として生きるなんて嫌です
「ッ…………!」
シェルミはその端正な顔を歪め、庭に置いてある鎌を手に取って首筋に当てた。
死は恐ろしい……長命種ならばなおさらだ。
しかしこのまま真一文字に引けば、心も体も解放されるのだと思うと勇気がわいた。
だが。
──なん、っで!動かないんですか……!
勇者ローレンツの奇跡──支配の魔眼の力がシェルミの自死を許さない。
絶望に暮れるシェルミだが。
魔力に敏である彼女の感覚が、異常を捉えた。
──誰かいる。結界が破られた?いえ、違う。ではなぜ……
背後でギィと音がする。
慌てて振り向くと、休憩用に置いてある木製のベンチにいつのまにか男が座っているではないか。
「ぐぶぶぶ……意思を以て意思を曲げるには、我を徹す力が必要なのです。貴殿にはそれがない──ゆえに脆弱。この程度の結界は破るまでもありませぬ」
シェルミにはその男に見覚えがあった。
──でも、この前見た時にはこんな、こんな、ああ、何てこと
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魔力と親和性が高いシェルミには
寄る辺なき死霊が苦悶し、嘆き、天を仰いで祈りを捧げている光景が。
地には草の一本も生えておらず、どこまでも荒野が広がる世界の果てで、血の様に真っ赤な月が煌々と光り輝いている光景が。
月とは死の世界だとシェルミは聞いた事がある。
しかしもしこの幻視が死の世界のモノであるならば、決してあんなところには行きたくない──シェルミは心からそう思った。
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「貴殿を縛る児戯──魔力は過剰にして技術は過少
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