"麗剣の" ローレンツ


まるでデカい岩か何かに体当たりでもしたような──というのがトト村の喧嘩自慢、ミロクの感想である。


「う、ぐ……」


ミロクは肩を押さえて、無様にも芋虫のように床をのたうちまわる事しか出来なかった。


「うーむ、これは肩が外れておりますな。体当たりというのは単純に見えて奥が深い。次の動きを考えつつ、しかも相手の態勢を崩すだけの力を込めねばなりませんからな。貴殿にはまだ早い」


ゲドスは手に持つ杖の先端を床に向け、両手で柄を握りこんだ。


「ゲ、ゲドス。何をするつもり!?」


フィルスが慌てた様子で言う。


「儂の故郷には孔球という大人の遊びがありましてな。打棒で木球を打ち、地面に開けた穴に入れるというものなのですが……」


「や、やめろ!」


ミロクが慌てた様に言うが、ゲドスはにちゃりと嗤いながら杖を振り上げ──


「うぎゃあああ!」


当然のごとく肩を打ち据える。


「これで良し」


ゲドスは苦悶に喘ぐミロクを見ながら満足げな様子だ。


「良しじゃないよ!もう!ああ、えっとお兄さん大丈夫……?」


フィルスはかがみ込んでミロクに声をかける。


「大丈夫じゃ、ねえよボケカスッ……!肩が……俺の肩が、あれ?」


ミロクは怪訝そうに自分の肩を擦る。


思ったよりも痛くないのだ。


というか、むしろ先ほどより痛みがおさまっている気がする。


「肩が外れていたので嵌めなおしました。貴殿の肩など野良犬の糞よりもどうでもいいモノなのですが、フィルス殿が変な罪悪感を抱いてしまっても困りますからな。これに懲りたら新人冒険者を分からせようなどという馬鹿な真似は辞めた方が良いでしょう。ではフィルス殿、次は新人冒険者訓練の受講を申請しにいきましょう。さっそく印章を使いますので用意しておいてください」


「う、うん……えっと、お兄さん、無理しないでね……」


そう言って去っていく二人の背を見ながら、ミロクは「うぐぐ……」という負け犬めいた唸り声を出す以外の事はできなかった。


ただ──


──あいつ、フィルスっていうのか。男か?女か?声は男っぽかったけど……いや、でも悪くない感じだよな。か、かわいいっていうか!なんであんなおっさんと……


ミロクにはフィルスが妙に気になって仕方なかった。


限界集落であるところのトト村に嫌気がさして飛び出して、ルーサットで冒険者となって1年。


しかし等級はいまだ最下級。


魔物の討伐は最初の一回で辞めた──最下級の魔物、緑小鬼に殺されかけたからである。


喧嘩と戦闘は違う事を知ってからは、街の雑用ばかりをやる日々。


同期の者たちからは見下されて、承認欲求が満たされぬ毎日を送っていた。


「こいつも新人か、でもどうせすぐに俺よりも」という腐った根性で、新人にいやがらせすることをに喜びを見出す自分に嫌気が差すもやめられない。


そう、この男は──


──ま、またあったりしたら色々教えてやってもいいかもな、俺の方が先輩だし


少し気遣われるだけで相手に強い好感を抱いてしまう悲しい負け犬であった。



「はい、新人冒険者講義の受講をご希望ですか?それでは説明させていただきますね」


見事なお客様向けスマイルを浮かべた美人の受付嬢は、すらすらさらさらと説明をしていく。


襲い来る情報の洪水をしかし、フィルスは極々ナチュラルに要点を押さえて記憶していった。


これはゲドスの教育の成果だ。


なにしろゲドスという男は何かにつけて説明を長々と付け加えるので、フィルスも自然にそういったスタイルに慣れていた。


勿論彼の地頭の良さもあるのだろうが。


──メモもしてないから適当に聞き流しているのかとおもったけど、これは理解してる顔ね。ふうん


そんなフィルスは、受付嬢の心中にある "見込みのある新人リスト" に名前を書かれた事を知らない。



「と、言う事で準備等もありますから、講義は最短で明日からという事になります。明日の中天正午以降はいつおいでになっても構いませんよ。また、再度の説明になりますが、受講の際に銅50の費用が必要となりますので用意をしておいてくださいね。……それでは申請は完了です、お疲れさまでした!」


色々と手厚い様に見える冒険者ギルドだが、厳しい側面も存在する。


例えば新人講義もそうだ。


冒険者としてのイロハを教える情報に、金を払うだけの頭はあるかどうか。


この辺の感性がまったくない者は、ギルドからの評価が下がる。


逆に見込みのある新人の場合は評価があがり、簡単に言えば贔屓をされる。


一攫千金を夢見る冒険者志望の者など腐るほどいるので、早い段階で見切る判断も必要となってくるのだ。



「……と、まあこういった評価を知らず知らずの内に下されているわけです。新人だからといって、ゆめ甘えたりすることのなきように」


「全然気づかなかった……でもそうだよね、きっと職員の人より冒険者のほうが多いんだろうから、全員を手助けしようとしたら追いつかなくなっちゃうだろうし」


ゲドスの説明にフィルスは冒険者の厳しさのようなものを知る。


「とはいえ晩成の者もいるわけですから、早期に見切ってしまうのはどうかという向きもあるのですがね。……おお、いかん。腹の虫が騒いでおりますぞ。昨晩は儂もよくよく体を動かしましたからな。早く腹ごしらえをしなくては!……どうしたのです、フィルス殿。黙り込んでしまって」


「…………」


フィルスはむくれたような、拗ねたような表情をしている。


お漏らし経験が彼のプライドを甚く傷つけているのだ──それはともかくとして、二人は今、昼食を取れる店を探していた。


「粗食に慣れて置く事も大事ですから、そこまで贅沢な物はやめておきたい所ですが。まあフィルス殿の冒険者登録記念ですからな、何か食べたいものがあればそれを食べましょうか」


「え、ほんと?嬉しい」


一瞬で機嫌がなおったフィルスのちょろさに呆れるゲドスだが、この妙な可愛げのせいで必要以上に手厚く構ってしまう。



「もっとこう、あるでしょうに。肉とか肉とか、高級な肉だとか」


ゲドスは不満げだ。


食卓に並ぶ野菜、野菜、色とりどりの野菜をげんなりした様子で眺めている。


「そう?でもお野菜美味しいよ。それにしてもお店の人綺麗だったなぁ」


ゲドスとは対照的にフィルスは満足げだ。


フィルスの直感によって選ばれたこの店は、森人と呼ばれる店主が経営する野菜料理が売りの店である。


森人と言えば白磁の様な美しい肌、輝く蜜の様に滑らかな金の髪、そして尖った耳が印象的な種として知られている。


そして、森人は基本的に生まれた森から出ようとせず、森で育ち森で死ぬものとされているのだが、昨今は森の外に出る者も増えてきた。


この店はそんな森人が経営する店で、ルーサットでもそれなりに人気の店だった。


特に女性人気著しく、店内は女性客ばかりだ。


「あの辛気臭いツラはともかく、料理は不味くはないですな……それは認めましょう。確立された技術の元に栽培された繊細な味は、その辺の痩せた土地でつくられたそれのものではありませぬ。肥料にも工夫が凝らしてあるのでしょうか、僅かに魔力の残滓も染みておりますな。これも一種の魔術です。魔術とは魔力を以て為す──では魔術とはそもそも何なのか、それは "願い" であると儂は考えます。火を出したい、風を吹かせたい、そういった "願い" のかなえ方を体系化したものが魔術であり、魔力とは願いを叶えるための燃料なのです。すなわちこの野菜が美味い理由は、栽培者の願いが込められた帰結であると──」


ゴチャゴチャゴチャゴチャと語りだすゲドスを、フィルスは微笑ましい様な思いで眺めている。


フィルスはこういう時のゲドスが好きなのだ。


──いや、好きっていうとちょっと変だけど、嬉しいなって思う。なんでだろう?


そんなフィルスの気持ちを知ってか知らずか、ゲドスはむっちゃむっちゃと渋い顔で野菜を咀嚼している。


不味くはないどころか、それなりに満足そうですらあった──しかし


「野菜なぞ女子供の食い物と思っていましたが、まあ美味いには美味い。ですが、くだらない事をしますなぁ。ただ美味く在れと願えばいいものを。雑味がありますな、雑味が」


と、その時のフィルスには分からない事を言った。


しかし言っている事は分からなくても、感じ取る事が出来るモノはある。


何度も肌を合わせてきたからこそ、僅かに感じる事が出来る凄惨な気配、野獣の殺気。


フィルスはそういう時のゲドスが少し怖いと思う。


◆◆◆


 上級冒険者にして勇者、 "麗剣の" ローレンツは勇者に相応しい見目、実力、人格を持っている──というのが巷の評価だ。剣を使わせれば格別で、その余りにも美しい剣技は魔物すら動きを止めて見惚れるとされ、事実彼は強力な魔物を数多く屠ってきた。


 だがそれは表の話で、裏の話は大分異なっている。


 フィルスとゲドスが昼食をとったその日の夜。




「い゙っ、ひっ……あ゙ァ!!い゙、い゙だぁ、痛ッ……お゙、お願い、やめ゙て、ぇくださ……」


私は許しを乞う事しかできなかった。


この私が、 "降る雪に咲く銀花" のシェルミが。


定命の者に抵抗一つ出来ず、涙を流して苦悶に喘ぐ事しか出来ないなんて。


男は──ローレンツは私を痛めつける。


考えうる、あらゆる手段で。


「シェルミ、もっとそそる声をあげてくれませんか?」


「ひっ!」


今度は平手ではなく、拳が飛んできた。


拳の硬い部分が眼窩に当たる。


「ひ……ぐゥ!」


「いい悲鳴ですね、く、くくく」


ローレンツは笑いながら私を見ている。


あの時──不安と期待で胸を膨らませ、この街へと辿りついた時、声をかけてくれた彼のあの笑顔……あの目で!


そう、あの目だ。


あの目がいけないのだ。


本来なら、こんな人間など一瞬で芯まで凍てつかせてやるのに。


私にはそれが出来る筈なのに。


あの目で見られると、逆らう気力を挫かれる。


ローレンツは私の髪を掴み、強引に引き起こした。


「それで、今日はどうでしたか?私好みの女性は居ましたか?効率よく探させる為にお前に店をやらせているのです」


答えたくない。でも


「どうだ、と聞いているのです」


「ぎゃっ……!」


首が折れるような勢いで頬を叩かれて、私は怖くて怖くて泣いてしまった。


「は、はい……お昼頃、ローレンツ、様のお好みに合う様な、方が居ました。いつものように、私の、魔力を含ませています……だから、きゃっ!」


ローレンツは「なるほど」と頷いて、私をもう一度叩いた。


「背後を洗って、問題なさそうならコレクションに加えますか。シェルミ、お前の様に。まあ今は続きを楽しみますか。シェルミ、お前が最も恥ずべき事だと考えている態勢を取りなさい。これは──命令だ」


ローレンツの両の瞳に紫光を帯びる。


すると私は……ローレンツの言葉に絶対従わないといけないという思いで全身を縛られてしまった。


「や、嫌……」


口はそう言っても私の体は私の意思とは裏腹に──


「──殺してください」


こんな辱めに遭うならば、と私はそう言うが、ローレンツは笑うばかりだ。


それどころか──



助けて、と私は思う。


でも、助けはこない事も知っている。

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