第42話 着実に人間辞めてんじゃん

 ようやく事態のマズさに気付いた水島が、顔を蒼くした。


「ってことは璃菜だってヤバイじゃん! 早く助けないと!」


「さっきからそうするつもり全開だよ!」


 苛立たしげに叫ぶ。八つ当たりなんて最低だが、そうしたくなるほど現状は手詰まりだ。


「手助けしたいけど、璃菜と新堂の動きが速すぎてついてけねえんだよ!」


 俺も白河さんも、璃菜がどうでもよくて会話に興じていたわけじゃない。むしろその間も鬼婆に隙ができないか、じっと観察していた。


「体が大きくなっただけではなく、不自然なくらいに手足が長いせいで間合いが掴み辛いのよ。それでいて動きは俊敏なのだから、喧嘩の素人である私たちには手に負えないわ」


「想いは力になるっつってたじゃん! ウチは黙って見てらんない!」


 伸びた爪を光らせ、地面スレスレの超前傾姿勢で水島が突撃する。


 犬らしいスピードと嗅覚で鬼婆に迫るが、


「カアアアアアッ!」


 新堂の一喝に合わせて、頭に刺さっていた蝋の炎が揺らめいた。


「キャア!」


 女らしい悲鳴を上げた水島の足元に炎の波が出現した。


「考えなしに突っ込みすぎよ!」


 炎の波から逃げきれずに泣きそうだった水島を、壁に張りついた状態で尻尾を伸ばした白河さんが猿らしく救い出した。


「た、助かった……沙織、マジありがと……」


 白河さんに連れられて戻ってきた水島が、地面にガックリと両手をついた。


 さすがのマゾ犬も炎で焼かれるのは、気持ちよさそうと思えなかったようだ。


「アンタたちが、手を出せずに立ち尽くしてた理由がわかったわ……」


「あんな裏技があると予想してたわけじゃないけどな。しかし、先生はどうして不良相手にも勝てる璃菜と互角に戦えるんだ?」


 俺の何気ない質問に、白河さんが得意げに眼鏡をクイと持ち上げる。


「璃菜さんとの一件があった時に少し調べてみたけど、どうも学生時代に柔道部に所属していたみたい。特に寝技では誰も敵わなかったみたいよ」


「柔道……」


「寝技……」


 俺が呟き、水島が身震いする。


「押さえ込まれて、絞められて、皆の前で恥をかかせられたらどうしよう……」


「そっちかよ! 恐怖で震えてんのかと思ったじゃねえか!」


 っていうかコイツ、やっぱ虐めてくれる相手なら誰でもいいんじゃないのか?


「ともかく柔道部だっただけに、体さばきは素人よりも優れているでしょうね。寝技の方は……あれだけ体格差があるとかける側も大変だから、さほど心配しなくていいでしょうね……別の意味で危機にはなるでしょうけど」


 わざわざ意味深に言って、ぺろりと下唇を舐めるエロ猿さん。まさか鬼婆と寝技で対戦したいんだろうか。だとしたら守備範囲が広すぎです。ついていけません。


「いつまでも調子に乗ってんじゃねえ!」


 慣れてきたのか鬼婆の包丁乱舞をかいくぐり、脛にローというか璃菜にとってはハイキックを叩き込んだ。


「ヒッヒッヒ! 熱烈な愛情表現は大歓迎だよォ!」


 覆い被さるように倒れ込む新堂。図体がでかいだけに、逃げ遅れればたちまちぺしゃんこだ。


「どうして逃げるんだあああい? 一緒に煮溶けるまで、鍋の中で愛し合うんだよおおお」


 大笑いする口からボロボロと歯が抜け落ちる。怖すぎる。


「うっわ……着実に人間辞めてんじゃん」


「……おい! それって!」


 いきなり肩を掴んだせいで水島は目を白黒させてるが、謝ってる時間はない。


「もしかしたら先生が人生諦めてるってことじゃないのか!?」


 この場にいる全員が、少なからず自身に対する認識によって姿を変えている。想いは力になるが、決してそれだけではないのではないか。


「ありえなくはないわ。私たちも想いを強くすることで、さっきは鬼と戦える力を得ていたのだし……」


「ちょっと待ってよ! この世界のことって現実にも反映されんでしょ!? だったら新堂の奴、どうなんのよ!」


「下手をすれば……廃人もありえるわね」


 白河さんの出した結論に、水島が息を呑む。


「だったら、少しでも人間の心が残ってるうちに叩きのめしてやらないとな」


 呆然としていた水島と、ついでに白河さんの頭にも手を乗せる。


「足手まといになるのを怖がってる場合じゃない。一か八かで突っ込んでやる」


「ヘタレの瀬能にしては……恰好いいじゃん」


「今さら気付いたのかよ」


 お互いにニヤリと笑う。


「見てたぞ、今! アタシだってまだいい子いい子してもらってないんだぞ!」


「……あれだけの激闘を繰り広げながら、こっちをしっかり――」途中で言葉を止め、白河さんが納得顔で頷く。「それがわかっていたから、瀬能君にもまだ余裕があったのね。璃菜さんが戦っているのに、形振り構わずに挑まないからおかしいと思っていたのよ」


「しっかり通じ合ってるわけだ。安心しなよ、璃菜! ウチらが入り込む隙なんて元々ないっつーの! けど……友達なんだから、一緒にふざけるのくらいは許してよ!」


 水島に言われ、気恥ずかしさを隠すように璃菜は顔を逸らして唇を尖らせる。


「仕方ねえな。けど、やりすぎたらボコるからな!」


 けれど声はとても嬉しそうで、こんな状況でもほっこりしそうになる。


 輪の中へ入りたそうに見つめていた少女は、大きくなって念願の友人にも巡り会えた。幼い璃菜の満面の笑みが脳裏に蘇る。よかったなと小さく漏らして、俺は前に出る。


「先生、久しぶりに会ったばかりの俺が言うのも何だけどさ、璃菜は変わったよ。俺は昔の彼女に強くなれって言った。それは彼女の勇気になると同時に、きっと呪いでもあったんだ。強くありたいと願った璃菜は、ずっとそれだけを目標に生きてしまったんだから」


「亮太、それは……!」


 反論しようとした璃菜に、片手を上げてわかってると合図する。


「人の言葉は希望にも絶望にもなる。先生もきっと好きだった人に辛い目にあわされたんだろ。でも、また人を好きになった。隣にいてもらおうとする方法はかなり歪んでたけど――俺も神頼みしたからアレだけどさ、そこには紛れもない愛情があったんだ」


「何が言いたいんだい?」


 包丁を構えたままの新堂先生が俺を見下ろす。


「どんなに傷ついても、人間は誰かを愛さずにはいられない生物だってことさ。例えそれが自分自身だったとしても、性別が同じ相手だったとしてもな」


「アンタ、変なものでも食べた? 超クサイんだけど」


 辛辣な感想を言っておきながら、水島は次の瞬間には見たことのない綺麗な笑顔を浮かべた。


「でも、瀬能らしいじゃん。ウチはそういうポエム的な考え、嫌いじゃないし」


「そうね。人には知られたくないとひた隠しにしてきたけど、どんなに特殊な性癖でも自分の一部――愛さずにはいられない個性なのだものね。フフ。あれだけ本を読んだのに、まさか真理みたいなのを瀬能君に提示されるとは思わなかったわ」


 髪の毛を掻き上げ、いつものように、だけど色っぽく白河さんは微笑んだ。

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