第43話 目が、目があああ

「アタシはさ、自分が嫌いだったんだ。仲間に入れてほしくても、素直に頼めない。一緒に遊んでも、すぐつまらなさそうにする。本当は楽しいのにな。とんでもなくひねくれてるだろ? けど、アタシにも出会いがあった。強引に手を取って、心から楽しそうに笑うその男の子はまるで王子様みたいだった。悲恋な話ばっかり好きだったアタシが、幸せなお姫様を夢見るようになったのはそれからだ」


 遠くを見るような目で、璃菜は懐かしそうに語る。


「変われると思った。でも引っ越した先では、それまでと変わらなかった。変わりたかった。またその男の子と会った時に、今度は自分から手を握れるように。だからアタシは強くなれという言葉に縋った。けれどいつの間にかそれだけが目的になってた。空手や柔道、色んな武術を習い、喧嘩もして……」


 過去の自分をフッと鼻で笑い飛ばし、璃菜は泣きそうな目で俺を見つめた。


「きっと気付いてたけど、見えないふりをしてたんだ。本物の強さは腕っぷしで決まらないってことに。弱いけど不良に囲まれたアタシを助けてくれて、勝手に拗ねていたアタシに公衆の面前でキスをして、愛の告白までしてくれて、そうしてやっと理解できたんだ。何者にも負けない心。自分を貫き通す想いこそが強さの象徴なんだ」


 閉じた目を開け、腕を振る。璃菜の右手には自然回復した木刀が握られていた。


「アタシはその強さを亮太に見た。とんでもなく憧れた。それで改めて大好きになった。だからアタシは亮太だけを想ってる。誰にも邪魔させない!」


「甘っちょろい戯言はもうたくさんさね!」


 俺たちの心からの言葉に胸を打たれるのではなく、新堂は髪の毛を逆立てて激昂する。


「大人になれば嫌でもわかる! 現実の理不尽さがねえ! そうして少しずつ壊れていくんだ。ワタシも、お前たちもねえええ!」


「それで?」新堂先生から目を離さずに俺は言った。


「まだわからないのかい! 夢見るだけ無駄だって言ってるんだよおおお!」


「だから先生は負けるんだ。夢を見るのが子供の特権だとでも? 子供の愚かさだとでも? 違うな。それこそが想いだ。甘っちょろくていいじゃないか。困難だからとすぐ諦める辛い人生よりよっぽどマシだ」


「だあああまあああれええええ!」


 ついに会話に応じるつもりがなくなった鬼婆が両手の包丁を俺に振り下ろす。


「アタシの亮太に手を出させるかよ!」


 目の前に出た璃菜が強化された木刀で防ぐ。


 そのタイミングで左右から水島と白河さんが飛び出し、攻撃を仕掛ける。


「ちいいっ! 邪魔だよおおお!」


 髪の毛が大蛇みたいな太さで五本に分かれ、バラバラに俺たちを狙う。さらには背後に炎の壁を作られ、後退するのも封じられた。


「本気も本気ってわけか!」


「その分だけ余裕がなくなっているとも言えるわ」


「だったら今がチャンスじゃん! いいとこ見せなよ、桃太郎!」


 璃菜が、白河さんが、水島が期待と激励を込めて俺を見る。


 だが――。


「亮太……刀、縮んでないか……?」


 璃菜の声が震えた。


 気のせいや見間違いではない。確かに俺の刀は小さくなっていた。


「……真面目なこと言ってたから」


 俺がポツリと言うと、意味を理解した女性陣が揃って頭を抱えた。


「こんな時に萎えないでほしいわ」


「瀬能の奴、絶対、大事な時に立たないタイプじゃん」


 さんざんな言われようである。でも、君たちも初めて組だよね?


 そんな中で璃菜一人だけが、ため息をつきつつも笑った。


「仕方ねえな。楓、沙織、悪いけど少しの間、頼む」


 頷いた二人が鬼婆の注意を引きつけるのを見てから、彼女は俺の目の前に立った。


「頼りになるんだか、情けないんだか」


「……ごめん」


 素直に謝る俺の頭をふわりと優しい感触が包んだ。


 大きな胸の中にすっぽり収まって、熱くなる顔が上向きにされる。


「謝るなよ。誰にだって情けないとこはあるし、そこも含めてアタシは亮太が好きなんだ」


「俺も……璃菜が大好きだ。きっと初めて笑顔を見せてもらったあの時から」


 両手を伸ばし、互いに頬を捕まえた状態で顔を寄せる。


 触れ合った唇の隙間から吐息と一緒に、胸を焦がす璃菜の想いが俺の中に入ってくる。


 熱い。


 血が滾る。


 愛しさが募る。


 奔流となった想いが暴走し、貪るように彼女を俺の中に取り込む。


 どちらからともなく二人の時間を終わらせた時、璃菜は潤んだ瞳で俺を見つめ、


「続きは……帰ってから、ゆっくり……しような」


 甘く囁いた。


「ああ。改めて俺が璃菜をどれだけ愛してるか教えてやるから、覚悟しとけよ」


 笑って離れ、高々と刀を掲げる。


 まるで虹みたいな七色の輝きが、世界を包むように広がっていく。


「や、やめろ! 眩しいっ! 目が潰れるううう!」


 両手で目を押さえ、苦悶する新堂に言ってやる。


「それは先生が諦めたものを、俺たちが持っているからさ」


「だまれえええ! ワタシだって! ワタシだって持ってたんだ! 憧れてたんだ! でも手に入らなければ、諦めるしかないだろおおお!」


 投げ放たれた包丁を俺は避けない。


 逆に前へ出ると、溶けるように包丁は掻き消えた。


「ぎい!? おおのおおれえええ!」


 次々と生まれては消える包丁。大蛇のような髪も、炎も七色の世界では存在を許されない。


「ほら、ごらん! お前らも結局はワタシを拒絶してるじゃないかあああ!」


「違うな。先生が俺たちを拒絶してるんだ」


「そんな……そんなこと……!」


「本当に好きな人がいるなら、正面から打ち明ければよかった。それをしなかった先生は自分の想いをすでに否定してたんだ。そんな人間が、想いが力になるという絵本の世界で俺たちに勝てるはずないんだよ!」


「うるさいっ! うるさいうるさいうるさい!」


「耳を閉じるな、目を閉じるな、口を閉じるな! 逃げたっていい。この場にさえいなければ景色は変わるんだ。でもさ、先生のようにひたすら蹲ってたら、同じ景色が……辛い記憶が延々と続くだけだ。そんなのは悲しすぎるだろ」


 隣に立っていた璃菜が俺の肩に手を置いた。白河さんと水島もいる。


 すでに新堂先生からは戦意が失われていた。


「もう自分で歩けないって言うなら、俺たちが連れ出してやるよ。さあ、手を伸ばして」


「ワタシ……は……うう、うあああああ!」


 ガックリと膝をついた鬼婆は泣き崩れ、しゃくり上げるうちにどんどん身体が小さくなって――!?


「教え子に教えられるなんて、慰められるなんて、私は駄目なきょう――どうしました?」


 くわっと目を見開いまま凝視する俺にきょとんとする全裸の新堂先生。


「み、み、見るなあああ!」


「ギャアアア! 目が、目があああ!」


 どこぞの大佐みたいに叫び、のたうち回る俺を後目に、女性陣が先生に駆け寄る。

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