第41話 僻み根性ここに極まれり

「けど、ま……瀬能の言う通りかも。自分を偽らずにバカやれるのって結構楽しいし。ウチさ、意外と絵本の世界で騒ぐの好きなんだよね」


「私も概ね同じね。妄想するだけでなく、実際に瀬能君を誘惑するのは楽しいもの。璃菜さんが目を光らせているせいで、なかなか肌を重ねられないけど」


 当たり前だと叫ぶ璃菜の視線を、白河さんはどこか楽しそうに受け止める。


「親の期待や周りの評価。無視できれば簡単だけど、私には決して無視できないもの。だから想像の世界ではめを外すことで、精神の均衡を保っていられた。それで十分だと思っていたけど、実際に自分を曝け出せる友人たちと出会えて、こんなに楽しい生活もあるのだと知った」


 思い出の一つ一つに感謝するように胸に手を当てていた白河さんが、いつになく鋭く新堂先生を睨みつけた。


「先生にはそんな友人がいますか? いないですよね。裏切られた経験から、作ろうとしなかったでしょうから。辛い思いをした分、最初から諦めていた私とは乗り越えるべきハードルの高さは違うと思います。でも……諦めたらそこで試合終了ですよ?」


 先生! と叫びたくなる台詞とともに、白河さんは悪戯っぽく笑った。


「私に想いを寄せられても応えることはできませんが、少なくとも先生が同性愛者だと知ったからといって、これまでと対応を変えることはありませんよ」


「小うるさいのは勘弁だけど、ウチもかな。ま、ウチの場合は好きになったらそれこそ男でも女でも構わないタイプだし」


「彼女持ちでも、桃太郎でも、ロミオでも?」


 白河さんが話の流れをぶった切って、とんでもない質問をしやがった!


「じょ、冗談じゃないわよ! そ、そりゃ、意外と話せる奴だってのはわかったけどさ……」


 即座に否定するかと思いきや何故か水島はありえないほど動揺し、その様子を見ていた璃菜から表情が消えた。


「詳しく聞かせてもらおうか」


 拘束する鞭を引き千切って迫りくるのは、怒れる乙女。


 ひいいっと悲鳴を上げた水島が慌てて俺の背中へ隠れた。


「亮太ぁ~? どうしてその犬を庇うんだ? まさか近くにアタシがいるってのに、浮気しようとしてるわけじゃないよなぁ?」


「誤解だって! 俺は璃菜にベタ惚れしてんだから!」


「……いい加減にしてください」


 慌てて恋人の機嫌を取っていた俺は、ようやく絶賛放置中だったレズ教師の異変に気付いた。


「見せつけるようにイチャイチャイチャイチャ……そんなに私を嘲笑いたいのですかそんなに私を絶望のどん底に叩き落したいのですか私を励ますふりをしておいて自分たちの充実ぶりをアピールしたいだけでしたか私は私はわたしはワタシはわだじはあああ!!!」


 狂ったように髪の毛を毟り出した女教師の肩が、異常なほどに盛り上がる。


「何が起きてんのよ!」


 悲鳴を上げる水島に、俺を背に隠すようにした璃菜が答える。


「ブチ切れたんだろ。僻み根性ここに極まれり、だな」


「鬱憤を溜め込んできた年季が違うということね」


 白河さんが身構え、俺も変貌する女教師に刀を向ける。


「どうしてワタシには愛してくれる人がいないの? どうしてワタシには微笑んでくれる人がいないの? どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてえェェェ!!」


 ついに引き千切った髪の毛から色素が抜け、花吹雪のように巻き散らすと、新堂は先ほど倒した鬼みたいに巨大化した。


「うがあああ! 憎い憎い憎い憎い憎いいいいいい!!!」


 白い鉢巻きみたいなのを額につけ、両脇に炎の灯った蝋が刺さる。白装束に変わった服はところどころに不気味な赤い染みがあり、目全体が金色に変わっている。


「お、鬼婆……?」


 誰かが緊張と恐怖に震える声で言った。


 そうだ。今の新堂はまさに鬼婆だ。


「どうせワタシを愛してくれないんだ。バラバラに切り刻んであげようねえ。そうすれば、ずうっとワタシのものになるものねえ」


「口調まで変わってやがるぞ。これ、意外とヤバいんじゃないか?」


「意外どころか完全にヤバいわよ」


 後退りしながら言う俺の隣で、白河さんが忙しなく吐く息で眼鏡を薄く曇らせた。


「どう見てもコイツがラスボスじゃん。本の連中が呼んだ助っ人ってのは――」


「――ああ。新堂先生のことだったんだ」


 水島の台詞を引き取るなり、先手必勝とばかりに璃菜が猛然と駆ける。


「ああ、嬉しや! そっちから飛び込んできてくれるなんてねえええ」


 長くなった腕が鞭のごとくしなり、璃菜が懐へ入る前に両手で持った包丁で迎撃する。


 鬼の猛攻すら難なく止めていた木刀があっさり真っ二つにされ、慌てた璃菜はリンボーダンスをするような体勢で、水平に振るわれた包丁をなんとか回避した。


「遠慮しないで切り刻まれておくれねえ! お湯で煮て、たあんと食べてあげるからねえ!」


 本気にしか聞こえないのが怖すぎる。それに――。


「確かこの世界での経験って、現実にも反映されるんだよな?」


 震える声で、俺は仲間うちで一番の識者である白河さんに問うた。


「……危惧しているのは、この世界で死んだらどうなるのかということかしら」


 さすがと言うべきか、白河さんも俺と同じ疑問に辿り着いていた。しかし――。


「答えなら、わからない、よ。実際に死んでみるわけにもいかないしね」


「それじゃ、取り返しのつかない事態になる可能性もあるわけ!? 冗談じゃないんだけど! ちょっと天使! 詳しく説明しなさいよ!」


 水島の叫びは空しく木霊するばかりで、天使が現れる気配はない。


「神様から力を奪われているせいで、絵本の世界に干渉できないのではないかしら」


 もっともな白河さんの予測に、水島が「使えなさすぎ!」と声を荒げた。


「今まで聞かなかった俺たちにも問題はあるか」


「仕方ないわ。これまではこんなにも死の恐怖を感じたことはなかったもの」


「……もしかして絵本世界のキャラだったから……とか」


 何気なく漏らした俺の予想に、白河さんはそれよと声を弾ませた。


「現実の住人である私たちがこの世界で鬼退治をしても、現実感はあまりなかった。それが隔たっている世界の影響だと考えれば辻褄があうわ」


「だから痛かったけど、こっちで怪我しても平気だったわけ? なら今回も平気じゃん」


 楽観論を唱える水島に俺は警鐘を鳴らす。


「よく考えろ。俺たちを本気で殺そうとしている鬼婆は、元々どこの住人だ」


「あっ――!」

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