第29話 ようやく男の顔になったじゃん

「璃菜さん、おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」


「寝れたよ。先生が相談に乗ってくれたから」


 仲睦まじそうに話す璃菜と新堂先生。互いの目を見つめ合い、けれど璃菜だけは少し恥ずかしそうで――。


 もしかしたら、もう俺の入り込む余地はないのかもしれない。


 だけど!


 それでも!!


「ハッ! ようやく男の顔になったじゃん」


 学校前で俺を待っていたのか、水島と白河さんが姿を見せた。


「よくそんな上から目線で言えるわね。夜通し、言い過ぎたかな? 様子を見に行った方がいいかなって、それこそ乙女みたいに人に電話してきたくせに」


「し、してないし! 捏造だし!」


「何なら通話記録を見せてあげるわよ?」


「白河、性格悪すぎなんだけど!」


 いきなり繰り広げられた口喧嘩に、たまらず吹き出してしまう。


「水島、顔、真っ赤だぞ」


「アンタまでうるさい! けど……ちょっとは吹っ切れたみたいじゃん」


「まあな。ところで……もしかして、新堂先生がジュリエットの母親か?」


 俺の問いかけを白河さんが肯定する。


「私と水島さんは、あの二人と一緒に九鬼さんのマンション前に戻ったからわかったの。昨夜のうちに伝えておきたかったのだけど……」


「俺が拗ねてたからな」


 苦笑するしかない。後で白河さんと水島にはきちんと謝らないとな。


 真っ直ぐに見据える想い人。こちらを気にする素振りを見せていた彼女だが、目が合うとすぐに逸らしてしまう。


「まだアンタにも希望がありそうじゃん。けど、黙って見てれば――わかるわよね?」


「怯える必要なんてないわ。瀬能君たちの喧嘩なんて、さっきの私と水島さんの言い合いみたいなものなのだから」


 二人の手が肩に置かれる。暖かくて……とても力強かった。


「昨夜から散々、心配してもらって悪かったな。お詫びじゃないけど、見せてやるよ。俺の生きざまをな!」


 わけのわからない桃太郎を経て、いつの間にやら同志みたいになっていた二人から勇気を貰い、前だけを見て歩を進める。


 しかしそうはさせじと、一人の女がスッと立ちはだかった。


「おはようございます、瀬能君。何があったかは璃菜さんから聞きました。ショックなのはわかりますが、しつこくするのはマナー違反です」


「なら一発で決めるとしますよ、お義母さん」


 皮肉を込めて先生を義母と呼んだ俺は不敵に笑い、ビシッと璃菜を指差した。


「九鬼璃菜! 俺とタイマンで勝負しろ!」


 丁度通学時間だったのもあり、周囲の生徒が一斉にザワついた。


「タイマン!? アイツ、死にたいのか?」「でもあれって一年の奴だろ、確か九鬼と付き合ってるって噂の……」「もしかして痴情のもつれとか!?」


 男女問わずに好き勝手に盛り上がる。


「教師としてそんな真似は許可できません! 璃菜さんもいいですね!?」


 強い口調で詰め寄られた璃菜は反射的に頷きそうになるが、その前に俺は言ってやる。


「逃げるのか? 誰かの言いなりになるのがお前の強さだったのかよ。ガッカリだな」


「……っ! アタシにワンパンでのされたのをもう忘れたのかよ……!」


「璃菜さんっ!」


「まあまあ、落ち着きなって。子供の喧嘩じゃん」


 悲鳴じみた声を上げ、俺と璃菜を引き離そうとした新堂を、水島が邪魔する。彼女の姿に気付いたギャル仲間も面白がってると勘違いして、ぞろぞろと周りに集まりだす。


「先生に守られてないと、決断一つできないのかよ。そんなところは幼稚園を羨ましそうに見てた頃と、何も変わってないんだな」


「……上等だよ! 弱いくせに恰好つけたことを後悔させてやる!」


 野獣のごとく吼える不良の剣幕に、好き勝手に雑談していた野次馬が一斉に黙り込む。


 対峙してる俺はもっと怖いけどな!


 それでも逃げずに済んでいるのは、九鬼璃菜という女性を心から愛しているから。


「そっちこそ覚悟しとけよ。全力で思い知らせてやる!」


 西部劇のように舞い上がる砂煙。最初の休み時間、タイマンの舞台に選ばれた校庭で俺は璃菜と向かい合っていた。汚れてもいいジャージ姿の俺と違い、彼女はブレザーのままだ。


 退屈な学校生活における一大イベントを見ようと、各教室の窓から多数の生徒が身を乗り出している。教師連中は最後まで止めようとしているが、水島率いるギャル連中と、白河さん率いる図書委員軍団がさりげなく邪魔して時間を稼いでくれている。


「余計な妨害が入る前に、さっさと始めるか」


 ポキポキと指の骨を鳴らす璃菜に、同感だと俺は頷く。


 言葉巧みに、他人の心を誘導しようする新堂に割って入られるのだけは避けたかった。


「おらあ!」


 咆哮を空高くぶちまけ、勢いよく繰り出された拳が俺の腹を打つ。治ったばかりの傷跡がズキンと疼いた。


 噴火するように胃液がこみ上げ、口全体が酸っぱくなる。腹筋に力を入れてみたが、普段から鍛えてなかっただけに、たいして役に立ってくれなかった。


「朝の威勢の良さはどうした!」


 脹脛を蹴られ、上体が沈んだところで今度は太腿をキックされる。


 本当に女性かと疑いたくなるほど重く鋭い。すぐに俺の足は悲鳴を上げて、立っているのもやっとになる。


「弱えくせに調子に乗るからだ! これに懲りたら――」


「――もう終わりか。やっぱりたいしたことないな」


「このっ! どうなっても知らねえからな!」


 致命的な一撃を防ぐために両手で顔面だけをガードするが、容赦なく繰り出される拳で瞬く間に腕どころか上半身全体が痺れだす。


「何で俺を気遣ってんだよ。ボコボコにするんだろ?」


「上等だよ、ちくしょう!」


「どうした……一方的に殴ってるわりには、ずいぶんと辛そうだぞ?」


「うるさいっ! うるさいうるさいうるさい!」


 だだっ子みたいに振り回される腕。泣きそうなのを我慢している顔。不謹慎だが、とても可愛く思えてしまう。


 こんな時だってのにな。苦笑しながらもはっきりと俺は自覚していた。もうどうしようもないほど、九鬼璃菜という女性が好きなのだと。愛してるのだと。


「早く降参しろよ! お前がアタシに勝てるわけないだろ!」


「最初から知ってるよ」


「だったら何で!」


「こうするためさ」


 動揺して緩くなった相手のパンチをすり抜け、懐へ飛び込む。


 覚悟を決めたように璃菜は目を閉じ、俺はそんな彼女に――。




 ――キスをした。



 時間が止まった。


 窓や校庭から囃し立てていた生徒たちも、喧嘩を収めようと現場介入しようとしていた教師たちも、それを必死で食い止めている水島や白河さんたちも。


 驚きに目を見開いている璃菜も。


 俺以外のすべてが時間の流れを無視したように硬直している。


 璃菜の唇は柔らかい。優しくて、温かくて、幸せな気持ちになる。


 だがいつまでも浸ってはいられない。


 ゆっくりと唇を離す。


 パチクリとしていた璃菜の頬に朱色が宿り、爆発前の気配が周囲に渦巻いたのを受け、俺はドヤ顔で言ってやる。


「思い知らせてやるって言ったろ。どうだ! 俺の璃菜への愛情を思い知ったか!」


「な……あ……」


 ぺたりと。璃菜が膝から地面に座り込み、荒れ狂う歓声が一気にグラウンドへ降り注いだ。


「うわ、何やってんの、アイツ……」


「けれど、最強の一撃ではあったわね」


 呆れながらも、どこか微笑ましそうにする水島と白河さん。


 もはや喧嘩どころの騒ぎじゃなくなったグラウンドに、璃菜を立たせる。


 唇に指を当ててポーっとしていた璃菜が、我に返ったように口を開く。


「ど、どういうつもりだよ!」


「理由ならさっき言った」


「ふざけんな! 納得できるわけないだろ」


「じゃあ、もっとはっきり言ってやる」


 大きく息を吸い込み、腹の底から叫ぶ。


「璃菜は俺の女だ! 心から愛してる! 誰にも渡さない!」


 からかいの声が一段と大きくなるが、構うものか。これが俺の本心なんだ!


「お、おま……おま……」


「宣言した通りだ。なんやかんや理由をつけて璃菜の告白を断ったけど、あれは俺が弱かったせいだ。ちっぽけなプライドなんかにこだわって、本当に大切な人を失うところだった」


「亮太……」


「強いとか、弱いとかってさ、きっと腕っぷしとかじゃないんだ。どれだけ自分らしくいられるか、どれだけ相手のことを思いやれるかなんだと思う。俺にはそれが足りなかった。だから璃菜を傷つけた」


「ちが……! アタシだってくだらない意地張って、嫉妬ばかりして、亮太を困らせた。自分でもわかってんだ。アタシの方こそちっぽけで、弱い女なんだよ!」


「だったらさ」


 涙を零す彼女をそっと抱き締め、頬と頬を重ねて目を閉じる。


「一緒に強くなろう。璃菜を失いたくない。俺の……そばにいてほしいんだ……」


「……っ! ひくっ、うぐっ、で、でも、アタシ、嫉妬深いから、きっとまた亮太を悩ませちまう……!」


 両手で璃菜の頬を挟み、またキスできそうな距離から真っ直ぐに目を見つめる。


「嫉妬なら俺だってするさ。それに……それが璃菜の愛情表現だっていうんなら、受け入れてやるさ。男らしく、強くなってな」


「亮太……亮太あああ!」


 ワンワンと泣く彼女の前髪を指で掻き分け、俺は微笑む。


「授業時間も色々と心に残りそうな台詞を考えてたんだけど、駄目だな、全部忘れてる」


「……?」


「だから、使い古されてそうだけど、今ある言葉を言うよ」


 音が消える。


 大勢の生徒や教師の姿が消える。


 まるで世界に二人だけになったような錯覚の中、俺はありったけの想いを込めて、最愛の女性に告白する。


「九鬼璃菜さん、大好きです。愛してます。俺と……付き合ってください」


「……っ!」


 ぶわっと璃菜の両目から涙が溢れ、俺の首に力強く手が回された。


「アタシも愛してる……! もうずっと離れてやらないからな!」


 怒ったように言い、照れ臭そうに拗ね、幸せそうに笑い、そんな大好きな恋人と、俺はこの日、二度目のキスをする。


 互いの息遣いが支配する世界の中で、お互いの温かい愛情を確かめ合う。


 そして。


 そして――。


 当たり前だけど、騒ぎを起こした元凶の俺は三日間の停学になった。

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