第28話 そうだよ。俺のだよ!

「――はっ!?」


 気がついた時には、見覚えのある神社のど真ん中に一人で倒れていた。


「現実に戻って来たのか……?」


 いきなりタイマンを申し込まれた挙句に、ワンパンで吹っ飛ばされた。


 これでは強い男など夢のまた夢だ。恰好悪いにも程がある。


「くそ……」


 力なく掴み上げた土を適当に放り投げる。


 先ほどまでの出来事が脳裏に浮かぶたび、胸を掻き毟りたい衝動に襲われる。


「にしても……俺はどうやってここに来たんだ?」


 球体天使に連れ去られる前は、説得をしに璃菜のマンションにいたはずだ。


「まあ、天使の力ならどうとでもなるのか」


 ロミオとジュリエットの世界にまで連行できるのだ。人間を瞬間移動させられるとわかっても、別に驚きもしない。


「やあやあ、黄昏れてますね」


「うわあ!?」


「そんなに驚かないでくださいよ」


「音もなく目の前に出て来たら、普通、ビックリするだろうが!」


 いきなり現れた球体天使にひとしきり文句を言ってから、何の用だと聞く。


「いやあ、貴方の願いを叶えたつもりだったんですが、まさかこんな展開になるとは思いもしなかったもので。でも、安心してください。寝取られるシーンを目撃しなくてもいいように、気を遣ってここまで移動させてあげましたから。これでトラウマにならずに済みますよ。いやー、良かったですね」


 球体天使の声はとても楽しそうだった。


「寝取られって……まさか……おい、ふざけんな!」


「そう言われましても、貴方が気絶して向こうから退場したあと、ジュリエットは母親と一緒に城へ戻って行きましたし。そこで物語自体は終了したので、今頃は揃って現実に戻ってますから、今後の展開はお察しですよね」


 ハンマーで頭を殴られたみたいに、目の前が真っ白になった。


 寝取られる? 璃菜が? 奪われる?


「そっか……俺、振られたんだ……」


 夜になって、電気もつけないままベッドから天井を見続けていた。


 どうやって帰ってきたのかも覚えていない。パジャマ姿だということは、シャワーは浴びたのだろう。親に心配させないように普段通りの生活を心掛けたのかもしれない。


 だが心の中は空っぽだ。何もかもが空しい。


 枕横のスマホがLINEの着信を知らせる。


『さっさと反応しろっつーの!』


 激怒マークとともに、そんなメッセージが表示されていた。


「……水島?」


 四人とも桃太郎世界にいたと知ったあとで、白河さんがある意味で仲間みたいなものだからとLINEでグループを作っていたのだ。


『何か用か?』


『あ! やっと気づいたわけ!? アンタ、何してんのよ!?』


『寝てる』


『はあ!? それどころじゃないし! よく聞きなよ! あのジュリエットの母親は』


『どうでもいいよ。俺には関係ないし』


 震える指先で打ち込む。視界に涙が滲む。


 やめてくれ。思い出させないでくれ。


 そうすれば俺は璃菜に――好きな女性に振られた事実を忘れていられるから。

『うっわ、コイツ、ガチで拗ねてんだけど』


『もしかして、あの天使から事情を聞いたのかしら?』


 白河さんも話に加わった。勘の鋭い彼女らしく、あっさり事実を言い当てた。


『俺には最初から釣り合わない相手だったんだよ』


 不良で乙女で美人で一途で可愛らしい素敵な女性。過去の思い出のおかげで勘違いしてたけど、本来なら俺みたいな地味なヘタレ男が近づくことも許されない存在なんだ。


『アンタね! どうしてこんな状況になったかわかってんの!?』


『俺のせいだよ。だから放っておいてくれ』


 これ以上、辛い思いをするのはたくさんだ。高望みなんてせず、足元の地面を見ながら分相応に生きていけばいい。


『瀬能君は本当にそれでいいの? 九鬼さんが好きじゃなかったの?』


『好きだよ! でも、それだけじゃどうしようもないことだってあるだろ!』


『はあ? 十分でしょ。その気持ちを素直に伝えなさいよ』


『伝えたじゃないか! 何度も何度も! でも聞いてくれなかった!』


『だから諦めるってわけ? 情けなさすぎ。やっぱアンタ、弱いわ』


「言われなくてもわかってんだよ!」


 怒鳴りつけたスマホを適当に放り投げる。もう見ていたくなかった。


「そんなの……俺が一番知ってるよ……」


 子供の頃に出会った少女が璃菜だと知った時は驚いた。その時からずっと想ってくれてると知った時は嬉しかった。手作りのお弁当は美味しかった。一緒に過ごせて楽しかった。


 彼女の笑顔が、声が、恥ずかしがる仕草が。


 次々と浮かんでは消えていく。まるで最初から存在してなかったように。


 心の中に大きな穴が開いていた。想いを確認してから少ししか経っていないのに、思っていた以上に九鬼璃菜という存在は俺の中で大きくなっていたんだ。


 一睡もできなかった。カーテンの隙間から朝陽が差し込んできても、動けなかった。


 母親が階下から何か叫んでたが、反応する力もなかった。スマホは今もしつこく鳴っている。


「なあ、天使様。どこかで聞いてたら、俺をどっか別の世界に連れてってくれよ」


 浦島太郎になって一生竜宮城で暮らすのもいいかもしれない。ロミオとジュリエットが俺たちで好きに改変できたように、きっと他の物語でもアドリブがきくはずだ。


「そうすれば、もしかして璃菜は俺の隣にいてくれるかな」


 俺を好きだと言ってくれるかな。


 俺の彼女になってくれるかな。


 俺のために笑ってくれるかな。


 俺の。俺の。俺の。俺の。俺の。俺の。俺の。俺の。俺の。俺の。俺の。俺の。俺の――。


「――そうだよ。俺のだよ!」


 飛び起き、制服に着替えると脇目も振らずに学校を目指す。


 走る。走る。走る。


 通学路を歩く生徒たちが、怪訝そうに見てくる中、見知った顔が二つ校門にあった。

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