第18話 この想い……受け入れて

「……」


 気の利いた言葉一つ出てこない。ボキャブラリーのなさから無言を貫くしかない俺に気付いた彼女は、慌てて笑顔を作る。


「ほ、ほら、アタシってこんなだからさ! 誰も近寄って来ないっていうか、まあ、目つきも悪いし? 声もちょっと低いし? ガタイもいいし? おまけに結構ズケズケとものを言っちゃう性格だし?」


 ポリポリと鼻頭を掻いて、九鬼さんは横目で俺を見る。


「だから昔から友達を作るのが下手でさ。せっかく話してくれる奴ができても、すぐに離れちまうんだ。子供だったから余計に辛くてさ。そんな時だよ、お前と出会ったのは」


 懐かしむように頬を緩めた彼女が言葉を継ぐ。


「また傷つくのを怖がってビクビクしっぱなしのアタシに、しつこく話しかけてきてさ。泣きながら怯えてる理由を話したら、そんなの気にすんなの一言だよ」


「…………」


「そのあとだよ。どーんと突っ込んでみれば意外となんとかなるって言い出してさ。アタシの話を聞いてたのかよって本気で唖然としたのを今でも覚えてるよ。そんなアタシにお前は強くなれって言ったんだ」


 眩しいものを見るみたいに、彼女は少しだけ目を細める。


「キラキラの目しててさ。それを見てたら無理なんて言えなくなって……アタシもこんな人間になりたいって思った。そのあとすぐ引っ越して、もう遊べなくなっちまったけど、ずっと忘れてなかった。だからこっちの高校を受験したんだ」


 家族は仕事があるので、彼女だけがアパートで一人暮らしをしているらしい。十分な仕送りを受けているので、金銭に困ったりすることはないそうだ。


「そうだったのか……」


 知らなかった九鬼さんの境遇にしんみりした直後、彼女は露骨にニヤリとした。


「やっぱり!」


「……え? 何が?」


「今度は否定しなかった! アンタがアタシに強くなれって言ったって部分に!」


「さすがに強引すぎるだろ! これだけしつこけりゃ、誰だってそのうち引っ掛かるって!」


 懸命な弁解をするも、どうしても俺を思い出の少年扱いしたい九鬼さんは席から立ち上がって肩を掴んできた。


「頼むから! 正直に答えてくれよ! 何より大切なことなんだ! 十年以上ずっと会いたくて……会ったら強くなったぞって言いたくて……アタシ……アタシ……」


 感情の昂りが彼女の瞳を濡らしていく。


 とても綺麗で。


 とても切なくて。


 とても抱き締めたくて。


 俺はもう、頷くことしかできなかった。


「……そう、だよ。多分だけど……俺が九鬼さんの探してる男の子だと思う」


 表情を明るくしたあとで、九鬼さんは悲しそうに目を伏せた。


「じゃあ何ですぐに言ってくれなかったんだよ! アタシが不良なんて呼ばれてるせいか?」


「ち、違うよ! その……情けなかったんだ。九鬼さんには強くなれとか言ってたくせに、今の俺はこんなだしさ」


 近所では飛びぬけた存在でも、学校に入ればもっと凄い奴がいる。


 世界が広がれば広がるほどそれは顕著で、気付けば自信を失っていた。子供時代にはよくある話だ。


「実際のところ俺は強くなんてなかった。九鬼さんが憧れる価値なんて――」


「――違う!」


 額と額がぶつかりそうな距離。視界全体に広がる彼女が本気の叫びを観覧車内に響かせる。


「お前はアタシの王子様だった! 優しくて恰好良くて……それは今でも変わらない! だって、昨日もあんなに恰好良く助けてくれたじゃないか!」


 俺を想っての言葉に、胸の奥がジンと痺れる。


「その時に似てるって思った。お前ならいいなって思った。でも違うって言われて、悲しくて……だけど気になって……」


「九鬼さん……」


「……そんなお前が女と図書室に入った挙句にもう一人女が増えてとどめに授業をサボりやがって何してたのか聞いてもすっとぼけやがって」


「あ、あの……九鬼さん?」


 九鬼さんの瞳からどんどん光が失われていく。


 怖い怖い怖い!


「お、落ち着いて! 観覧車の中で暴れたりしたら危ないから!」


 言った矢先にタイミングよくグラリと揺れる観覧車。覗き見好きな天使でもいて、こっそり悪戯してるんじゃないだろうか。


 もしそうだったら、後でしこたま説教する。というより殴る。


「あっ、わ、悪い」


 バランスを崩した九鬼さんが俺に倒れ込み、ぽよんとした甘美なクッションが顔面に押し当てられる。


 覗き見好きな天使が悪戯したんなら、後でしこたま褒める。というより崇め奉る。


 はらりと流れた九鬼さんの赤髪が俺の頬を擽り、それを指先で優しく払いながら撫でると、なんとも可愛らしい「あっ」という小さな声が聞こえた。


「……お前に会えたら、ずっと言いたかった言葉があるんだ」


 鼻腔を擽るのは、ふわりと漂う女の子特有の甘い香り。


 緊張と興奮に脳が蕩け、九鬼璃菜という女性に吸い込まれそうになる。


「アタシ……初めて会った時にもう……お前を……その、す……好き……に、なってたんだ」


 途中でつっかえながらも愛の言葉を紡いだ彼女は、潤んだ瞳で俺を見つめる。


「この想い……受け入れて……」


 不良だと恐れられているが、九鬼さんは美人だ。お婆さんを助けていたり、性格も悪くない。


 スタイルもグラビアアイドル顔負けで、何よりこんな俺を好いてくれている。本来なら一も二もなく頷くべきシチュエーションだ。


 けれど俺の答えは違った。


「ごめん……」


 謝られた瞬間、九鬼さんはこの世の終わりみたいな顔をした。


 うっ……さすがに罪悪感が。


 しかし、俺にも信念というか、ほんのちょっとかもしれないけどプライドがある。


「アタシが嫌い……なのか?」


「そんなことはないよ。九鬼さんは噂と違って素敵な女性だと思う」


「す――っ!? そ、そそんなことは……じゃなくて! だ、だったら、どうして!」


 縋りつくような彼女の腕にそっと触れ、


「嫌いじゃないから、九鬼さんの優しさに甘えっぱなしじゃ嫌なんだ」


 俺は昔の彼女に強くなれと言った。


 その時と同じ言葉を、今のヘタレた俺にぶつけたい。

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