第14話 どこが清楚系だよ……

 半開きの唇から湯気を伴いそうな吐息が噴き上がり、ふらふらと俺の胸元に手を伸ばしかけたところで、ようやく我に返る。


「きょ、今日はこれくらいで勘弁してあげるし!」


 仲間たちの輪に戻った水島に睨まれながら、突き当りを曲がる。


 階段近くのトイレに入ろうとして、バッタリと白河沙織に遭遇した。


「どうしたの、瀬能君。凄い汗よ」


「な、何でもないよ、ハハ」


 白河さんを見るなり、Tの衝撃を思い出したからですとはとても言えない。


「怪我のせい? それとも風邪でも引いたの? これを貸してあげるから、汗を拭いて」


「こんな高そうなハンカチ、汚したら――ん?」


 ハンカチにしては少し形が変だぞ? なんか大きな穴が一つと小さな穴が二つ空いてるし……ああ、でも手触りはいいな。まるでシルクみたいにスベスベで――。


 ――沙織はん、これ、ハンカチやない。ショーツや!


「こ、ここ、これ……これ……!」


 押し寄せるパニックに呼吸すら忘れそうになる。


 紳士を気取って返すか? 悪戯はやめな子猫ちゃんとか言って?


 駄目だ! 痛すぎるし、俺のキャラじゃない!


 あああ! どうする!? どうすればいいんだあああ!


 こねこね。のばしのばし。


「あ、あの……瀬能君?」


「は、はいっ!」


 こねこね。のばしのばし。


「わ、渡したのは私だけど、その……さすがにこんな場所でショーツを愛でないで……」


「はっ!?」


 ついうっかり形や感触をしっかり確かめてしまった!


 だが俺は褒めてやりたい。匂いを嗅がなかった強靭な理性を!


「ご、ごめん! 返すよ!」


「ありがとう」


 受け取ったあとで、さらりと白河さんはとんでもない真相を暴露する。


「ちなみにこれ、脱ぎたてだったの」


「OH、YEAR」


 なんでにおいを嗅がなかったんだよおおお! 俺のばかあああ!


「あ、鼻血が出てるわよ」


 躊躇いなく俺の鼻元に当てられたのは、鮮やかなピンク色が眩しい、本人曰く脱ぎたてのショーツという名のハンカチだった。


「ウフフ。きちんと処置してあげるから、ついてきて」


「だ、大丈夫だって!」


 顔の前で振った手を掴まれて、強引に図書室へ連れ込まれる。


 こんな人気のない場所で何をするつもりですか!? 処置ってまさかまさかまさか!


 動揺しまくる俺の耳元に、妖しげに微笑む白河さんが唇を寄せる。


「瀬能君が桃太郎よね?」


「――っ!」


 吹き込まれた吐息にゾクリとする暇もなく、俺は愕然とした。


 どうしてバレたんだ!?


「ウフフ。そんな反応をしたら、認めているようなものよ」


 カマをかけられたと悟っても後の祭り。


 それに考えてみれば、桃太郎というワードが出た時点で、こちらも彼女の弱味というか秘密を握ったことになる。


「そういう白河さんは猿……だよね?」


「あら、犬かもしれないわよ?」


「あのアホ犬なら俺をからかうよりも、自分の欲望を優先するよ」


 肩を竦めて言うと、さもありなんとばかりに白河さんがケラケラ笑った。


「クラスにいる時とはずいぶん印象が違うね」


「生きていくにはある程度の迎合は必要だもの。瀬能君だってそうでしょ? 踏切で私の下着をじっくり見たくせに、しらばっくれていたもの」


「気付いてたのかよ!」


 慌てふためく俺を見て、白河さんは心底楽しそうにする。


「罪悪感を持つ必要はないわよ。だって、わざと見せたんですもの」


「マジかよ……どこが清楚系だよ……」


「あら、お淑やかそうな女性が派手なショーツを履いていると、ギャップで興奮するんでしょ? 瀬能君はちゃんと勃起してくれた?」


 真面目にとんでもないこと聞いてきた!


 そりゃ、興奮はしたけども! したけども!!


「それより先にドン引きした」


「……何気に女のプライドをへし折る回答ね」


 なんかごめんなさい。


「まあ、いいわ」


 ふうと息を吐いてから、白河さんはカウンターにお尻を乗せた。


「瀬能君の推測通り、私があの時のお猿さんよ。欲望が具現化するとあんな姿になるのねぇ」


 わざとらしく当時の口調を真似して微笑む白河さん。現実の姿でやられると艶めかしさが三割増しで、ついつい変な気持ちになりそうになる。


「それでさっきの瀬能君の反応からすると、もしかしてワンちゃんについても――」


「――ここにいた! さっきはよくもウチをからかってくれたじゃん! で、できるものならしてみなよ! さあ! どうやってお尻を叩くつもり!?」


 水島がバンと扉を開けて入ってくるなり、図書室中に声を響かせた。


「……答えなくていいわ。わかったから」


「デスヨネー」


 俺を追いかけてきたらしい金髪ギャルは、足早にカウンターへやってこようとして、ようやく白河さんの存在に気付いた。


「げ! 二人ってそういう関係だったわけ!?」


 否定する前に、実にスムーズな動作で白河さんに腕を回される。


 うほっほ。腕に柔らかな感触が……。


「そうよ。何ならワンちゃんも仲間に入れてあげるわよ」


「はあ!? アンタ、真面目そうなふりしといて、とんだビッチだったってわけ?」


 挑むような目つきで警戒心を露わにするが……貴女、今、ワンちゃん言われましたよ?


「酷いわね。一緒に桃太郎のお供をした仲なのに。ねえ、ワンちゃん?」


「……え?」


 硬直した水島が、信じられないものを見たように目を白黒させる。


 そこへ容赦なく白河さんがとどめを放つ。


「ちなみに瀬能君も一緒だったわよ」


「え? え? え?」


 それしか言えなくなって泣き笑いみたいな表情を晒し、


「いやあああ!」


 状況を理解した水島は、顔面を真っ赤にして盛大に見悶えた。

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