第13話 いきなり鼻を押さえてどうした

 一撃で気を失った最後の一人は、マッチ棒が倒れるみたいに地面に転がった。


「おい、大丈夫か?」


「な、なんとか……」


 肩を貸してもらい、神社から近くの公園に移動する。


 座らされたベンチにもたれていると、濡れたハンカチが頬に当てられた。ピンク色の可愛らしい花柄デザインだ。


「な、何だよ。アタシがハンカチ持ってんのは変だってのかよ」


 照れ隠しに九鬼さんが唇を尖らせる。喧嘩してる時とは違って、なんとも可愛らしい。


「女の子らしくていいと思う」


「ま、また……! ったく、変な奴だな。不良からも化物呼ばわりされてるアタシを、女の子扱いするなんてさ」


 そう言いながらも、彼女はどことなく嬉しそうだ。


「酷い有様だな」


「はは……男の勲章だとでも言っとくよ……」


 身体のあちこちが痛いが、幸いにも骨が折れてそうな感じはない。


「礼を言わないとな」


「いいよ、別に」


「遠慮すんなって、お前のおかげで助かったんだ」


 正面で笑う九鬼さんが、さらに屈んで俺の傷口にハンカチを当てて……。


「……ふぐっ」


「いきなり鼻を押さえてどうした。痛むのか!?」


 慌てる九鬼さんはさらに前屈み。動揺する俺の視界で健康的なふくらみがたゆんと揺れる。


 何でもないと繰り返し、極太の誘惑の鎖をなんとか断ち切って楽園から目を逸らす。


「鼻の骨は……折れてないよな」


 近い! 顔が近い! でも九鬼さん、超美人! おっぱいも大きいし!


 風に揺れる赤色の前髪。意外と大きな瞳。人の顔を覗き込むような仕草。


 一つ一つが絡み合って、脳裏にぼうっと浮かんだのは今日と同じような夕暮れ。


 似てる……昔、あの神社で遊んだ女の子と……。


 そういやさっきの連中、九鬼さんが王子様を探してるとか言ってたな。


「……なあ」


 九鬼さんが真顔になる。


「お前……あの神社で昔、誰かと遊んだことないか?」


 やっぱりいいい! この人、あの子だ!


 ってことは……ってことはだよ……!


 桃太郎世界でのキジって、九鬼さんだったの!?


 道理で強いはずだよ! だからって、あっさり鬼にも勝てるのはどうかと思うけど。


 ……絵本の世界ってことで、色々と強化されてたっぽいけどな。犬も猿も生きてたし。


「答えてくれよ。アタシにとっては、何よりも大切なことなんだ」


 泣き出しそうな顔。不良連中には決して見せなかった顔。


 変な感情が内側から胸を叩く。殴られた頬が強い熱を持つ。


「入学した頃から、お前に面影を見てたんだ。アタシは約束を守ったよ」


 それはきっと、幼い頃の俺が一人ぼっちだった彼女に告げた『強くなれ』というもの。


 だけど成長した俺はその言葉と裏腹に、見事な軟弱者になっていた。


 今更……認められるわけがなかった。彼女の思い出を穢したくなかった。


 だから俺は静かに首を左右に振った。


「悪いけど、覚えてない。人違いだと思うよ」


「……そうか」


 ガッカリした九鬼さんが俺から離れる。


 これで良かったんだ。彼女の憧れを壊さずに済む。


「でも、さ」


 肩に手を置かれ、反射的に俺は顔を上げる。


 去り行く夕日の欠片に照らされた彼女が、朗らかに笑っていた。


「あの人じゃなくても、今日のお前は恰好よかったぜ」


 とても美しかった。


 一瞬で目を奪われ、ありがとうを紡ぎながら、



 俺は彼女に恋をした。



     ※


 その日の学校は、朝からちょっとした騒ぎになっていた。


 顔面を腫れさせた俺に、学校で最強の女不良が照れ気味に「よう」と挨拶したのが発端となった。


 殴り合いの末に心を通わせただの、一緒にヤクザの事務所に乗り込んだだの、好き放題な言われようだった。


「おい、瀬能。ついにこの休み時間で、お前は裏で九鬼を操る黒幕になったぞ」


「だったら逆に挨拶なんてされないだろ」


 楽しそうな友人に対し、机に肘をついて俺はげんなりする。


「どこ行くんだ?」


「トイレだよ」


 歩くだけで葦の海の奇跡みたいに人が割れる。気分いいどころかドン引きだ。


 そんな環境でも、普段と変わらない連中もいた、


「うっわ、マジで顔面ボコボコじゃん。超キモイ」


 通り過ぎようとする俺を、水島がからかう。


 せっかく無視しようとしたのに、わざわざ水島は金髪を揺らして回り込んできた。


「キツく甚振られたわけ?」


「楓ってばマジ鬼畜すぎ。瀬能、カワイソー」


「だってさ、気になるじゃん。どんなふうにボコられたのか、ウチに教えてよ」

 水島が好奇心で丸い瞳を輝かせる。


「もうやめなって。ドSすぎ!」


 ギャル仲間は笑うが、俺を見上げる水島の雰囲気はどちらかと言えば……。


 そうだ! この感じ、あっちの世界で散々暴れたあの変態犬にそっくりなんだ!


 けど……まさかだよな。ただでさえ九鬼さんがキジっぽいのに、同じクラスに関係者が集まってるなんて、さすがにご都合主義すぎる。


「なんだったら、今度はウチがおんなじように虐めてあげよっか?」


 グッとネクタイを掴んできたので、俺は試しに彼女だけに聞こえるように告げてみる。


「黙ってろ、アホ犬。便所に連れ込んで、お尻ぺんぺんすんぞ」


「――っ!」


 驚きで見開かれた金髪ギャルの目が、次の瞬間、一気に蕩けた。

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