(2)


「カレーにジャガイモは必要ない、と、とんでもないことをいう邪宗門の信徒がいる。あ、ホラホラ、おジャガの皮剥いてって。」


 荷物運びにされた買い出しから戻ってきたら、さっそく労働力として駆り出されている。なぜだ。いや、やるけどさ。


「俺にとってカレーに必要ないものは、まず人参。まあ、これは異論も承知やから、カレー初心者のヨランタさんのために入れておく。程々のサイズでな。

 次にカレーに必要ないものは、おシャレ。これも全く主観的なもんで、いわゆるスパイスカレー専門店系と日本酒のマリアージュの難しさの問題なんでね。キミはそれほど気にしてくれなくていい。

 で、最後に〝カレーにジャガイモは要らない〟派に対するアンチテーゼとして、〝カレーに要らないのはむしろライス〟派を立ち上げたい。だからおジャガは山盛り。これは肉じゃがのバリエーションともいえるね。」



 また、マーチンがわからないことを言って、誰もいないのに何かに喧嘩を売っている。そこはかとなく楽しそうだからいいけど、ニホンに生まれ育って何が不満なんだとほっぺたをつねってやりたくもある。

 こういう浮世離れ感はちょっと樹の実人に似てるかもしれない。


 昨日、仲間たち主にジグに「マーチンとうまくお付き合いするにはどうすればいいか」を相談してみたところ「彼のようなのには甘えていくより甘えさせてやるほうがいい」という助言をもらった。甘えさせる? マーチンにゴロニャンと甘えてもらう?想像がつかない。

 聞いてもいないツェザリは「そりゃもう、チュッとしてギュッとしてピュッとさせれば男なんて何でも言うこと聞くさ」なんて言ってたけど「私が、アンタにでも?」って聞いたら目を背けやがった。奴らはダメだ。


 しょうがないから、芋の皮を剝いてる。ショリショリ。面倒なのに、やってると無心になってくるね。


「お、できた? おお、仕事が早くて丁寧やね。惚れるわぁ。じゃあ、人参もお願い。」


 え、まさか、こんなことで惚れてくれるの? だったら毎日でもやるよ。任せて!



「肉は豚肉。好みはビーフカレーやけど、とんかつと合わせるならポークでないとちょっとチグハグ感が出てしまう。そしてルゥはこだわらないことにこだわって、熟カレー。さ、作ってこう!」


 おぉー。私は何を手伝おう?


「もう、無いなぁ。漬物を切り分ける必要もないしな。福神漬やし。料理を見ててくれていいよ。切ったジャガイモがどうなるか見たいやろし。」


「見てもいい? 目障りじゃない?」


「いっつもガンガン詰めてくると思うてたら妙にしおらしいことを。したいようにすればええのんと違うの。」


「マーチンに嫌われるのは、したいことじゃないからね。」


「ん!? あぁ、日本に遊びに行きたいんね。ちょっとドキッとしてもうたわ。さて。玉ねぎと、ジャガイモと、人参、キノコ、そしてお肉を炒める。飴色玉ねぎ成分はルゥに入ってる説を、今日は信じよう。炒まったらお水とカレーを投入。お店らしくないお家カレーの出来上がり。

 こういうのがいいんだよ。そもそもウチはカレー屋じゃないしね。」



「わっ、これはすごい香り。なるほど、これをとんかつと一緒にいただくのね。絶対おいしい。もう想像の中でおいしい。早く! 早くとんかつを揚げましょう!」


「待て。まだ日は高い。お昼食べて、そんなに腹も減ってへんやろ。夜になったらみんな来るかも知らんし。」



 外は昼過ぎの金色の柔らかな日差しに包まれて、夜行性の住人はそろそろ起き出して悪巧みを始める時間帯。治安の良くない魔都のこの界隈も、今は比較的静かで平和な風景が広がっている。

 でも、店内に広がっているのは暴力的なカレーの香り。店の外にまで香りが漏れているのだろう、道行く人達が足を止めて、この店にいぶかしげな視線を送っているのが窓から見える。くっくっく、スプーンひとさじずつなら恵んであげてもいい気分だ。でも、あとは全部私のだ。ふはははは、あーっはっは!


「えらいご機嫌なアク笑いやね。おうちカレーで喜ぶ魔王様は安上がりでええわな。…ひと匙だけカレーの味見してみる?」

「ぜひ!」



 相変わらずマーチンは意地悪だけど、ひと匙だけと言いながら小鉢でいろんな具をひとつずつ出してくれるのは優しい。この男、私の心を揺さぶることにかけて右に出る者がいない。

 まずはマーチン一押しの、私が皮を剥いたジャガイモだ。熱っ、ほふっ、辛ッ! もう、熱くて辛くて…でもおいしい。何の味?たくさんの味でわからない。そして肉。うわぁ、豚肉の脂の甘味が辛味と絡まって大変なことになっている。玉ねぎ、人参もトロっと甘くて、これもカレー味と渾然こんぜんとなって押し寄せてくる。ここにキノコのコリッとした歯ごたえも嬉しい。


「日本がある世界には日本のほかにも百以上の国と何十億人の人々がおるけれど、日本のカツカレーは世界一おいしい家庭料理と認められとる。で、どう?」


「おかわり。いや、もう始めちゃおう! そんなの聞かされたらたまらない!とんかつを揚げよう!」



「ええ歳こいて地団駄踏まないの。仲間と分け合うとか無いんか?」

「無い! おいしいご飯とお酒はひとりでゆっくり味わいたい! まずいのはみんなと分け合いたい。」


「キミも、もっと人らしくマジョリティに寄っていったほうがいいかもね。…ほかの仕込みもあるから、ちょっとお昼寝でもして待ってて。」


「何さ、私も獣人の仲間扱いってわけ? …そんなことより、手伝うから早く終わらそう!」


「お手伝いねぇ。何があるかな。ひとを使うって難しいよね。じゃあ、とんかつの用意をしてもらおうか。…それもどうかとは思うけど、なんか自然に寄り切られてしもうたな。」



 ジュウッ、カラカラ。私が用意したお肉が、油に投じられた。あぁ、私のお肉。私のお肉が!


「お酒は、丹後・玉川の〝Iceアイス Breakerブレイカー〟。辛いもんにまた濁りではワンパターンやしな。オンザロックで冷え冷えにする用の日本酒。何やったら氷水で割ってガブ飲みするも良し。チェイサーと氷は用意するからお好みで。

 酒器は、すずのタンブラーにしようか。」


「おっ、おしゃれなラベルのが出てきた。…これは、何の絵?」


「氷山とペンギン鳥。丹後の冬の風景らしい。京都とは地続きの地方やのに、陸の孤島をいくつか挟んだその先となれば、そんな風景も広がるよね。

 道の遠ければ、まだ踏みもみず。ってな。」


「また、またぁ。人がお酒を作って運んでこれる範囲なんでしょ。デタラメ教えるのは…おっ、おおっ」


 金属グラスに季節外れの氷がカラリと投じられ、お酒が注がれていく。神経が集中して急激に視界が狭まっていく。マーチンのからかいなんてもうどうでもいい。



「これは、波佐見焼のエスニック柄のカレー皿。波佐見はわりと無勝手流の生活雑貨的な焼物。選びがいがあるタイプね。そこに、俺としてはむしろ予定外だったカレーを盛る。で、ラスト。」


 油の海からとんかつが見慣れた姿になって引き上げられた。ザクリザクリと軽快な音を立てて切り分けられ、具沢山カレーにオン。仕上げにソース代わりにカレーをお玉ひとつかけ回して、私の眼の前に運ばれてくる。

 待ってました!



 もう、そこから先は夢の時間だった。気がつけばお腹ははち切れそうで、なぜかマーチンのベッドに転がされてた。記憶を整理してみよう。とんかつを4枚、締めにライスでカレーを一杯、おかわりでもう一杯。

 お酒も良かった。火照る身体をキンと冷やしてくれて、でも調子よく飲んでたらぐわんぐわんだ。ヤバいヤツだよ。

 でもそれくらいで気を失うかしら。お昼が多かったのかな。いや、ジャガイモだな。あれが予想以上にお腹の中で膨らんでる。

 やっぱり意地悪だ、マーチン。せっかくベッドを貸してもらってるのに、もしいま乗っかられたら身体じゅうきたない噴水になってしまう。ゔぅー、寝よう。とにかく今は何もできない……





「……だからよ、大将。ヨランタにはしばらく外をうろつくなって言っておいてやってくんねぇかな。」


「そりゃあ、言いはするけど。言って聞くヤツかね。」


「聞かねぇだろ、な、おぉっ、こりゃめちゃめちゃ旨え!」


「せやろ。その芋の皮剥いたん、彼女やで。」


「エェッ、マジか。これ食っても大丈夫か?」


「あの子、どういう評価受けてんねん。やれやれ、前途多難やな……」




🍶



ライス抜きのカレーは〝篠峯〟の千代酒造直営の立呑屋さんの選べるお通しでもお酒のアテに選べるメニュウです。うまいですよ。











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