(2)
「刺身…お刺身だ……」
あらためて、ユメさんが浸っている。表情は凍りついているのにぶるぶると震えて、取り落としたお箸もうまく拾えないまま手指をさまよわせている。
私はそれを横目に、ひとり食べ始めるのも気が引けたので、とりあえずお酒を注ぐ。
鈍い光沢をもつ黒い器肌に相変わらずの澄んだ液体が満たされると、金色の筋が浮かんで光を放つ。
割れた陶器なんて捨てるしかないものの代名詞なのに、修繕したうえで傷を模様にして、新しい価値までまといながら生まれ変わったようだ。
傷を受け入れて、改めて前を向いて歩き出せている人には、この器の美しい傷が我が身のように感じるだろう。
彼女の心の傷は、まだ血を流している。その間は、ちょっとデリカシーに欠けた存在かもしれない。私の心の傷だって、まだキレイに昇華するには時間とともに何度も膿んでまだまだ生々しい。そうなんだよ、みんなもっと優しくしてよ。
ユメさんがなかなか復活できないので、ひと足お先に盃を
「イタダキマス」と一言。彼女と一緒に積まれていた遺体の人々に祈りを捧げてから、芳醇な香りを放つお酒を一口に、ぐっと、口に含む。
あぁ、これだ。心の中にパッと花が開く感覚。感じ方はお酒によって色々あるけど、さわさわっ、と秋の黄金色の草原を波打たせる風が吹き寄せてきて、気がついたら黄金の花が一輪だけ手の中にあるような。
派手すぎも地味すぎもしない「ちょうどいい」の最上が、これだ。マーチンが超良いもの、というだけのことはある。
また、ちらりと隣を見る。彼女は少し驚いたように、少し慌てたように「いただきます」とキレイに手を合わせて、馴染んだ様子でお箸を取り直し、お刺身を一切れつまんでお醤油につけ、食べる。そのまましばし咀嚼して、ゴクリと体を揺らして飲み込む。
そして、輝くばかりの笑みとともに、
「お刺身だー!」
「せやろ、お刺身やろ。北国の港町で出るものには及ばんけど、お刺身やねん。
よかったらお酒もどうぞ。ウチはどっちかというとそっちが主役なもんで。」
*
「いつも、ヨランタさんはこんなに良いものを?」
「最近は突き出し?は、どんどんゾンザイになってきてる。こんな上等なのは久しぶりだよ。」
「人聞きが悪いな。マカロニサラダ、自分でご希望しといてからに。」
「マカロニサラダ!」
「一戸さんもお好きかね、マカサラ。」
「刺身よりも!あ、あ、ごめんなさい、すみません…」
「ええよ、16歳の感覚やったらさもありなん。ウチのんはシンプルに、マカロニときゅうりと人参と玉ねぎ、」
「いいですねぇ、いいですねぇ」「あと、普通のチーズと、」「あぁ、食べたい…」「ちょっとアンチョビを乗せたり、」「クソがッ!余計なことをッ!ふザッけんなッ!!!」
突然の怒号、店が揺れるほどテーブルが叩かれる。
彼女とて、10年もここで暮らしてきて、あんなところで倒れてたんだ。かわいそうな女の子が泣きながら生きていけるほど甘い土地柄じゃない。もちろん、持ち前の性格にそういう部分があったから今があるんだろう。
でも、驚いたなぁ。マーチンも見たことがない顔で
「うわっはっ、ごめんなさい!あぁ、もう日本に帰れても普通の仕事できないかも……」
「いや、日本でも押しの強さは必要やで。急にキレるのはどうかと思うけど。」
*
「そしてこちら。すき焼き、は準備がなかったんで、それ風の肉豆腐。牛肉にお焼きの豆腐、しらたき、エノキ。それを生卵でいただく、まぁ、ほぼすき焼きといってもいい料理。どうぞ。」
「わぁ、すき焼…じゃ、ないんですか?」
「鍋と春菊と太葱の準備がない。あと、肉も悪くはないけど特上ではない。それにウチのは関西風やけど東のお客さんに無理に出すのもどうかと思って。
でも、これが旨くないはずがない、ってやつやで。肉なんて上等なのが旨いとは限らんからな。」
うぬぬ、この新顔が私が言われるべき、私が聞くべきことを盗っていってしまうじゃないか。
良くない。これは良くないぞ。
「ねぇ、マーチン!」
「ん?」
「ん?って、冷たいなぁ!もっと、何かいい反応はないの!」
「無いなぁ。」
「それだけ!? んー、えーっと、話すこと…マーチンは、口が汚い若作りの年増とかキライだよね!」
「キミのことかね。自虐は、よろしくないなぁ。」
「違ぁう!違うけど……うぬぬぬう。」
「ところで、普通に日本人っぽいですけどマーチンさんなんですか?」
「あぁ、子供の頃からのあだ名で。マーシーになりそうだったのをなんとか止めてもらって、そのかわりがマーチン。若い子はわからんでええよ。」
「?」
「私もわかりませんっ!初耳!聞きたいですっ!」
「言わせんといて、そんなん。ほらほら、冷める前に食べて。お鉢に移してるんやからすぐ冷めるよ。」
うぬぬぬぬう、そもそも食べ物の熱さにこだわるのはマーチン流なんだってば。この国じゃあ、まだ熱い料理をむさぼるのは毒見も待てない庶民の卑しさだ、って常識だし、ニホンのランチだってそんなに熱くなかったもんね。
でも、熱いままのマーチンの料理がおいしいのは、本当。食べてあげようじゃないの。生卵をつけ汁にすればいいのね、どういう発想なのかしら。
さて、あーん。
「ヨランタさんは固まってしもうたけど、一戸さんはどう?大丈夫?」
「おいしいです。これ以上泣いたらご迷惑だと思って我慢してたんですが、泣いてもいいですか?」
「ごゆっくり。」
*
甘辛く煮た薄切り肉に生卵をつけて食べる、って、どんな人がどういう人生を辿って導き出したんだろう。でもこれは、ひとつの答えだ。正しい解答。
生卵がおいしいことは以前にもマーチンの料理で知っていたが、これほどではなかった。生命の始まりから終わるまで、そしてその行き着く先にして源である塩と発酵の味、それらを閉じ込めた、濃厚でまろやかな滋味。
「青森かぁ。青森とか四国やったら、まぁ異世界に通じてもおかしくないとは思うけどなぁ。」
「えッ!? 青森に、何かあったんですか?」
さらに、豆腐という、原料と製法を何度聞いても納得できない白い塊。味がない、とは言わない。薄味だが、染ませた醤油や出汁の味を何倍も優しく豊かにして返してくれるプレーンな塊。
これがまた、出汁の味を閉じ込めて卵を身にまとうと、真に驚くべき美味の塊へと至る。
「いや、恐山とかあるやろ。別に変化はないけど。」
「あぁ、そういう……」
さらに、しらたきという麺はラーメンの汁のごとくスープとなった卵と一体になりつつ強めの歯ごたえが楽しいし、エノキというキノコは自身が出汁になりつつ、麺に近い姿とくたくたになりながらもシャキシャキした食感がアクセントになって全体を引き締める。
彼の口ぶりからすれば、ここからもうひと準備すれば “スキヤキ” という別のごちそうになるらしい。それは、是非にも!
「隠れキリシタンがリンゴを作ってんねやろ?」
「なにゃどやら!いくら京都の人でも、それは無しですよ!」
「リンゴじゃなくて?」
「あ、梨!」
*
「…ずいぶん、お話がお弾みのようで。ユメさん、黙々と結構飲んでるよね。」
「本当においしくて。」
「あぁ、そうそうヨランタさん、この娘、今日泊まる所あるの?」
「あるの?」「ないです。」「だってさ。」
「じゃあ、ヨランタさんのとこに泊めてあげてよ。お風呂と洗濯機は、わかるやろ。」
「あの、洗濯機は、ちょっと…」
「フフーン!」
「あ、じゃあヨランタさん、教えてあげて。
一戸さん、明日からの仕事ってどうなん? ウチの店員やる?」
「マ ー チ ン! 私、怒るよ!」
「なんでよ。キミは何でも商売できるお金持ちやろうが。」
「あ、あの、そこまでご迷惑は、」
「そうだよ、それに、サラダにアンチョビ入れたらこの子に後ろから頭を割られるよ。」
「そうなん?」
「我慢します。」
「殺る気はあるんね。やめてね。ほか、何食べたい?」
「あ、もうお腹いっぱいで、食べたいものはたくさんあるのに!カレーとか、ハンバーグとか!」
「キミ、だいぶ酔ってるな。
ヨランタさん、彼女、奥に連れて行ってあげて。」
困るな。うーん、部屋代割り勘にさせたところで割に合わない。マーチンにすごい親切にされてさ。どうしてくれよう、イジメて追い出してやろうか。
「マーチンさん、私よりヨランタさんを大切にしてあげてね。おやすみなさいぃ。」
「マジで? 2匹目の犬猫かいな。」
あら、ホントにいい子だこと。いけずなのはマーチンか。
うーん、しょうがないな。まぁ、この子も明日からギルドに調査されて色々あるだろうから、今日はお風呂入ってゆっくり休めばいいよ。
異世界出身なんて上手いこと隠さないと、わりと破滅的なことになりかねないけど、帰る手がかり探しが目標だから隠してばかりもいられないのよね。
私は立場上、あまり手を貸せないからね。大丈夫かな。
🍶
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転移酒場のおひとりさま ~魔都の日本酒バル マーチン's と孤独の冒険者 相川原 洵 @aigawara
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