(2)
「着替えてまいりました!」
「おぉ、こっちも用意でけた。ちょっと早いけど、もう始めよか。」
いい具合の西日が差す店内に、お出汁の香りと熱された油の、美味を約束する期待感あふれる空気が充満している。
たまらん!
しかし、このスペシャル感あるシチュエーションには酒器選びも慎重に……これにしよう!
「青物のてんぷら色の、これ!」
「
黄瀬戸は、薄黄色で比較的整った器肌に濃緑のワンポイントが乗せられた上品かつかわいらしい感じの陶器だ。特に緑の乗り方は同じものが二つとなく、選びぬけば愛着も強く湧く。
「てんぷら、おいしかった。マーチンが隠してたから、普通には作れない高級品なのかと思ったよ。頼んでみるもんだね。」
「せやったっけ?」
*
ヨランタ初の京都旅行では、京料理のランチをごちそうしてもらった。が、生麩、湯葉、ごま豆腐をはじめ、味が薄い以前に得体のしれない謎料理の群れが彼女の脳をもちもちにしてしまって、酷い混乱常態に
そのなかで救いになったのが、天ぷら。馴染みのあるフライものを上品な姿で、味わい深いお出汁でいただく逸品だった。
ランチコースの1メニューなのでちょっぴりだったのは無念だったが、帰ってきて聞いてみればマーチンは山盛り作れるという。なんでこんな良いものを隠していた?
「あぁ、そういえば出してへんかったな。いや、ちゃうねん。
日本には、邪悪なる “お塩で食べる原理主義” が
せやから、ここではおつゆと山盛りの大根おろし専門でいただく。」
「全然わからないけど、またマーチンのこだわりポイントなのね。」
「解説しよう。でも、先に突き出しとお酒。
突き出しは、ついでに大丸で買うてきたお漬けもん盛り合わせ。大根とお茄子と白菜の浅漬、大原のしば漬け、酒呑みのための奈良漬。
お酒は、せっかくやから京は中京の酒蔵、佐々木酒造の“聚楽第”。」
「おぉ、お大根は、柚子の皮も乗っけてくれてるけど、切り方が違うのね。
パリ、コリコリ。味わいも違うけど、いいね。…で、お酒。いただきまー……?…ん?」
「あぁ、これまで出してるような今風の流行りの酒より、クラシカルな感じやねん、そういう香りが。慣れへんかね。
聚楽第っていう名前は、4、500年前にその酒蔵の辺りにあった武家の宮殿の名前でな、そこには1200年ほど前に貴族の宮殿もあったんやけど、いまでは中流市民の住宅地。そういう歴史を感じながら味わってくれたまえ。」
マーチンがうんちくを披露する向こうで、お鍋の油と具材がカラカラと歌い出した。
もう、それ以外ヨランタの耳には入らない。
「漬物もな、もう少ししたらすぐきも千枚漬けも出てくんねやけど、ちっと早かった。まぁキミが旨がるもんかどうかは、知らん。」
客の耳に届いていないことなど承知の上でペラペラと喋る。地味にテンションが高まっているらしい。彼も、弱った親の顔を見て情緒が狂いがちな部分があるのだろう。
「海老天。「おォー!!」これはランチにもあったやろ。旬とか関係なく「ウマイ!」落ち着け。天ぷらゆうたらエビがないと始まらんさかいな。んで、揚がりが早いかぼちゃとしいたけ。全部おつゆでどうぞ。」
到着と同時にエビ2本を平らげ、子供のように上体を揺らして美味を表現するヨランタ。
「あぁ、どうしてこんなにおいしいんだろ。ハッ、食べたら無くなっちゃう!」
バカなことを嘆きながら、追加分の野菜はチミチミ食べる方向に切り替える。
“聚楽第” のお酒も、お米らしい味わいが天ぷらの油や、奈良漬の濃ゆい味と相性が抜群だ。うまい、うまい。
「妖怪アブラナメであるまいし、いくら油が上等でも、塩だけじゃ油が勝ちすぎるのよ。俺ならお出汁がよく
塩原理派でいえば、焼き鳥の皮やボンジリみたいな鶏の油を味わう料理ならええけど。世の中にはトンカツまで塩派がおる。塩で食うトンカツ!ってただの揚げパンやんけ。
あ、お次、
*
マーチンがなにかボヤいてる。トンカツが揚げパンだって。おいしそうじゃないか。でも今は天ぷらだ。サバ。皮がパリパリで、お箸で割る感触がもうおいしい。脂がにじみ出ているそれをお汁にくぐらせて、一緒に大根おろしを乗せて、パクつく。
ザクッとした衣、ギュッと身の詰まった焼き魚感、みずみずしいお大根withお汁。噛みしめると、あらゆる感触が歯を楽しませ、肉・油・塩気が舌を喜ばせ、お大根が口中を爽やかに保ち、それらが喉を通ると体から脳へ至福の震えが伝わる。
平たくいえば、最高だ。
もうひとつ、ミョウガ? 見たことも聞いたこともない食材だ(刻んだ薬味としては何度か出てたんだって)。味も……何味だろう?表現しづらい不思議なお味。でもおいしい。たまらなくおいしいのに、どうおいしいのか説明できない。なんだろう、これ。
「栗の天ぷら。さっきまでアレだけ言うてたけど、これは塩でどうぞ。これとかギンナンとか、衣を薄くしてほぼ素揚げみたいなんは、いわゆる変わり種やからね。」
そうなのね。職人の気まぐれなこだわりみたいなものは、話半分に聞いておいたほうがいいことは知ってる。
栗は、きんとんでも使ってたね。あれ?これが初物なら、あれは何だったんだ。……ム、甘さは程々で、ミッチリしてる。ホクホクしてる。違うものだ。うーむ、奥が深いな。
「ナスとかしわ。これもおつゆでね。大根おろし足りてる?
鶏肉の天ぷらなんて、俺が子供の頃にはついぞ聞かへんかったんやけどいつから広まったんやろ。でも、めっぽう旨い。野菜の天ぷらと一緒に食うてもすこぶる旨い。特にナス。ちゅうわけで、どうぞ。」
もう、予想通りに予想をはるか上回っておいしい。
「そして豚バラ肉厚切りとカブ。豚肉の天ぷらっちゅうのんも最近聞くようになったもんやね。実は中華らしいけど、和風の下味で。」
あぁ、マーチンが私を殺しにきている。
カブは私たちの国でもおなじみだけど、これはまたすごく上等なお料理に化けたものだ。とても良い。すでにお腹には十分溜まっているのに、ストップをかけられるはずもない。あ、お酒のおかわりもください。
「じゃあ、ラストスパート前の溜めの、さつまいもとれんこん。人によってはこれらが天ぷらのラスボスだとも言う。」
ペース上がり過ぎだってば。最初のお漬物で心を安らげる暇もない。これの揚げたてをひと口かじったら、ちょっと休憩しよう。
……意思弱く完食、ごちそうさまでした。おいしすぎる。途中で止められるはずはなかった。でも、今なら…
「ホイ、とりあえずのラスト。舞茸と小エビと枝豆のかき揚げ。そ、ごぼうと玉葱と納豆のかき揚げ。調子に乗ってちょっと大きめになったけど、喰えそうか?」
もう来ちゃった! が、これもおいしそう! 特に、キノコと海老と青い豆の方。
油がチリチリ鳴っていて、いま食べないという選択肢がない! いただきます。
*
「なに、泣いてんの?」
「うぅ。不平等だ。私もニホン人になりたい。どうしたらニホン人になれるの、あと、言葉を教えて。それでニホンで働くから。魔法で。」
「えーっ。密入国の不法就労で? そんな、甘くないで。ヤミの自営業ができるほど日本の官憲は甘くない、たぶん。おそらく。
魔法とかバレたら絶対ヤバいことになるから、やめとき。それより桃缶売りはどうしたん。」
「桃缶は、ぼちぼち売れ始めてる。でもマーチンのお酒で豪遊するには足りないくらいかな。もっと、ドーンと、パーッと、いかないものかしら。」
「そんな都合良い商売があったら、俺が人を雇ってそいつに働かせて、俺はのんびり好きなことだけやって生きていくわぃ。」
「それ、いいね! まずは私を雇ってよ。ニホンで、マーチンが、回復魔法カフェをするの。私が回復魔法役。流行ると思わない?」
「頭痛がしてくるわ。
…桃缶売りはどうすんねん。思いつきで投げ出すやつは信用ならんから不採用!」
「ブー。ぜったい儲かるのになぁ……」
「もう “至って” きてるやんけ、おねむやったらもう寝床にお行き。もう店開ける時間や。ほら。」
目がしばしばして、頭にカーテンが掛けられたみたいに物事が一段遠く感じる。うぅ、はしゃぎすぎて疲れたんだ。
明日もお仕事、桃缶の配達と、最近減らしつつはあるけど回復魔法の往診の予約が1件。まだまだ油断して表を歩けるご身分じゃない、体調管理は大事。
儲けたいのは本当で、貧しく正しい生き方に我慢できないのも本当。でも、疲れる。休めるときは休もう。
「歯ぁ磨いてお風呂入って寝ぇや。」
心配性な男だこと。言うことは聞いてあげるけどさ。じゃあ、また明日…。
🍶
新しい連載を始めています。
お姫様はサイコロを振る ~ 魔法学園の1d6
https://kakuyomu.jp/works/16818093087250908770
よろしくです。
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