天ぷらと塩 と 聚楽第

(1)

 

 秋の日が暮れるにも、まだ早い時間だ。金色の午後の光が店内に差し込んでいる。


 カウンターにべちゃりとつっして、目を細めてその光を疎ましげに眺める女が一人。クセの強い黒髪を異国風の帽子に詰め込んで、めかしこんだ服装がしわになるのも気にせず、べちゃり、と。


 そして、長い長い溜息をひとつ。さらに、間を開けてひとこと漏らす。


「ニホン、しゅごかった……。」




 この店、「日本酒バル マーチン's」には秘密がある。店の裏の坪庭に不自然に立っている鳥居、それをくぐれば現代の日本につながっているのだ。場所は、京都市・鴨川デルタの真ん中のちょっと上、下鴨神社境内のただすの森。


 市街地の真ん中ではあるが、平日はそれほど人気ひとけもない閑静な森だ。お祭りの前後にはここも賑わうが、そんなときは不通になる。ヨランタが居つく以前の話で、その数日はマーチンはパニックを起こして店を閉めたていたものだった。

 森から魔都へは、出てきた辺りを歩いていればそのうち戻っている。森に出現した時に人に見られていることはままあるが、普通に見間違いと思われるものか、気にされたことは今までにない。


 少し歩けば出町柳から京阪電車があるし、バス停ならそこらにある。便利な立地だ。



 このことはマーチンにとって秘中の秘だが、ある事情からその禁を破った。彼の母が重い病気で入院して手術を受けたと聞いたのだ。

 生来、情の薄い男であるマーチンだが、さすがに知らん振りもしかねて、奥の手・異世界の回復魔術師を(病院へは身内と告げて)連れて行ったわけだ。


 始終ニヤつきっ放しのヨランタに、相手の女性が母であることは伏せたが、顔を見ればあまりにも一目瞭然だ。

 母にしてみれば、息子がいきなり中学生くらいに見える外人女を連れてきたものだから大興奮だったが、手術痕から各種不調、サカムケ、おできに至るまで治していったものだから、あの出来事は夢だったと判断させることに難はなかった。

 ただ、病院側には謎の奇跡を解明すべく無駄な検査をさせてしまうことになるだろう。申し訳なくはある。


 その後、大丸で服の一式を買わされ(本人は店員にチヤホヤされて大満足の顔だった)、せっかくだから祇園を観光させてやって、帰ってきた。

 アクシデントとしては、この店を離れるとヨランタは日本語を全くわからなくなる問題が発生。事前に多少の打ち合わせをしていた以外は身振り手振りだけの対話で、少なくともヨランタには憤激ものの消化不良感があったようで、帰還してからというものうるさくて仕方ない。




 マーチンの故郷、ニホンのキョートに連れて行ってもらえた。驚くべき場所だった。彼にしてみれば「それほどのもんじゃない」とのことだったが、じゃあ、彼にとっての上等な街ってどれほどだろう。絶対、またニホンに行く。

 でも、あの瘴気に満たされた建物だけはゴメンだね。私だったから良かったものの、この国の人間を連れて行ったら100を数える間に全身の穴という穴から血を吹いて死ぬことだろう。

 空気が殺意を持っている空間に病人を集め、病巣を無理矢理に切り取り、しかも生かしつつ、それでも中途半端に病が残ってる。

 病の原因の究明、なんて魔法があれば考えないで済むことにあれほど情熱を持って血道を上げることはスゴイといえばスゴイけど。商機がある。

 私があの国の言葉を覚えちゃえば、あの病人たち全員がおまんまの種じゃないか。うはっ、夢が広がるッ!


「キミは魂の根っこが邪悪なんやから、悪い顔をしたらあかん。ほんで、今晩食べたいものはあるか。何でも良かったら……」


「それなら、アレ!ランチで食べた、 テンプㇽ…「天婦羅?」そう、それ!」

 

「天ぷらかぁ。エビ、あったかな?……あ、あった。よかったね。じゃあ、旬の天ぷら大会と洒落込もうか。仕込みに時間はかかるよ。」


「見てる。見せて。」



「え、それヤバい。エビの化け物?」


「普通の海のエビ。ブラックタイガー。伊勢海老とかロブスターとか、もっと大きい上等のエビもあるけどそういうのはもっと上等のお店でね。」


「タニシの池のヌマエビとか…」

「小さいのはかき揚げにするからね。あ、舞茸と小エビのかき揚げにしてもええな。丹波黒豆の枝豆とにしょうかと思てたけど、どうしょうかいな。」


「あ、枝豆は、前に食べさせてもらった。おいしいよね。沢山めにちょうだい。

 他は? 他には何が?」



「うるさい。他にはね、さつまいも、れんこん、かぼちゃ、しいたけ、ごんぼさんはオールタイムやけど旬でいえば今頃やね。銀杏は今年はまだちょっと早い。庭の紅葉もまだまだ青いしなぁ。せや、栗。栗は初物を仕入れてた。天ぷらにしたら意外に旨いねん。野蒜のびるは春だけやなくて秋にも出る山菜で、これもぜひ天ぷらにしたい。あ、今日は無いけど。

 天ぷらには変わり種やけどカブなんかもある。ごく小さいやつを、実ィと茎ごと揚げるの。シャキシャキで旨いんよ。夏野菜の名残なごりの秋ナス、秋ミョウガも天ぷらには欠かされへん。

 魚でいえばサンマ、サバも秋が旬で、今日の冷蔵庫の具合ならサバかな。あと、旬には関係ないけどエビは無いわけにいかへんし、豚やかしわも、キミ、ほしいやろ。

 もうだいぶ盛り沢山やな。まだ足りひんかったらギョニソでも6Pチーズでも、あ、この間の柿なんかも天ぷらにできるで。」



「柿は、そのまま食べるよ。待ってる間、今ちょうだい。あ、皮は自分で剥くよ。…え、皮ごと食べられるの? 別に美味しくはない、って、まぁそうだろうけど。一度やってみたい。」




 料理人の鮮やかな手さばきを肴に柿をかじるヨランタ。

 その脳裏に浮かぶのは、日本の町並み。商店から文字通りに道端へ溢れ出た色とりどりの商品を、呆れるほどたくさんの人々がまるで無視して通り過ぎる。

 道路には数え切れないほどの自動車が列をなす。

 そして、ラーメン屋さん、とんかつ屋さん、その他、味の想像もつかない食べ物屋さん。


 ずるい。許せない。生まれる世界がちょっとズレただけで、過去の私はタニシ池の泥水をすすってお腹を壊し、彼らはラーメンの汁をすすって満腹して生きる、こんな不正義がこの世にあるか。あれは完全にこちらの世界の神の罪だ。

 できることなら復讐としてこの世界の神を滅したい気持ちだが、マーチンを呼んできたのもその神だ、おそらく。

 

 深く考えると、きっと気が狂う。精神がきしむ嫌な予感を感じて、和歌山県産の柿の甘みに意識を集中させる。

 ジューシー。今が幸せなら、それでいいか。この幸せが失われたなら、またその時に神を恨もう。

 柿の皮はたしかに旨いものではなかったが、この世の果物に比べればずっと薄くて瑞々しく味わい豊かだ。あの頃の自分ならこの皮だけを与えられても狂喜しただろう。その程度には旨い。


 *


 ニホンでのことをさらに思い返す。

 あの老女は、笑っちゃうくらいにマーチンそのものだった。彼の母親だと思って間違いないと思う。その割には、抱き合って愛を確かめあうどころか、短い言葉を数言交わしただけだったし、病を治してもマーチンは大した反応をしなかった。

 たぶん、それくらいの貴族的な親子関係なんだろう。こっちでも珍しくない。たいした恩を売れなかったのはガッカリだ。


 次に、服を買いに連れて行ってもらった大商店。

 こちらのローブ姿で向こうに行ったら、色んな人に遠巻きにクスクス笑われていたっぽいのは大いに傷ついた。でも、アレを見たらそれも納得せざるを得ない。

 化粧品、装飾品、この国の男は買い物をしないのかと思うほどの女の楽園。

 見立ててもらった服装一式はどう考えても肌を出し過ぎなんだけれども、すでに私はマーチンに全裸をも見せている女。何を気にしても、今更だ。


 ところで私は今回、ひとつのニホンの言語を覚えた。「カワイー」。服飾店の内でも外でも言われた。発言者の表情から類推して、褒められたのだろう。たぶんこちらの言葉の「ბედნიერი」だな。カワイー。忘れないよう、折にふれて使っていこう。私は “カワイー” ヨランタ。


 そして、ギオンの町並みを観光させてもらった。歴史的な風景、と言われてもピンとこなかったが、見ごたえがある異世界らしいキレイな風景。それにしても人が多くて賑やかなのには参ったね!



「いま考えたら、ヨランタさんを向こうに連れてったら、カップ麺をここから持ち出したみたいに消えてしまうかも知らんかったな。いやはや、無事で良かった。

 ところでその服も、そのまま外に出たら消えるんと違うか。気ぃつけや。」


 マーチンが呑気な調子でボソリと話す。前段の話のヒドさにはいま初めて背筋が粟立つけれど、たしかに大事なのは後段だ。この服は大事。次に日本に行くときまで残しておかなきゃ。


「一大事だ、着替えてくる!」




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