挿話 : 病床で朝から刺身 と 紀土


 ヨランタの朝は早い。眠りこけるという豊かな文化風習が身についていないのだ。

 夜にしっかり眠らないかわり、ふとした時間の空き間に放心して休憩することで睡眠のかわりにしている。もちろん健康的ではない、寿命を削って安全を得る生活習慣だ。


 だが、最近は少しずつ朝がゆっくりになっている。すっかり日が登ってからノソノソと寝床から身を起こし、寝ぼけたまま寝床に座り直して魔法の準備詠唱を起動する。

 もう、ここで寝起きする間はこんなことをする必要もないかなと思いつつ、やはり泊りがけの遠出の際には、どうしてもこういう習慣が生死を分ける瞬間がある。


 それはそれとして、いつもの習慣が済むと、ふたたび寝床に潜り込む。

 部屋は相変わらずマーチン酒場の物置部屋の一角だが、季節的に冷えてきたので敷布団と毛布をもう一枚支給されている。こんなに暖かく柔らかく清潔で文化的な寝床は今を逃してもう得られる気がしない。仰向けで体を伸ばして眠ったときには絶頂感に等しい快楽を感じるほどだ。



 二度寝の惰眠をむさぼるが、眠って意識を手放すのがもったいない。無駄にゴロゴロ転がりながら、いつもの朝食の知らせが来ないことには不審を感じる。

 さらに幾許いくばくかの時間が過ぎても、マーチンが朝食の準備をしている気配がない。


 背筋を嫌な感覚が這い上がってくる。まさか捨てられたってことはあるまい、ここがマーチンの城だ。でも、彼のことをそれほど深く理解しているわけではない。私もわがままが過ぎたかもしれない。捨てられたくない! 体が跳ね上がって、彼の寝室へ裸足の足が急ぐ。



「今朝はお寝坊さんですねマーチン!」


 男が寝ている。そこに居たことにまずひと安心だが、しかし見知った気配がする。病人の気配だ。

 足早に歩み寄る。マーチンの顔が赤く、玉の汗が浮かんでいる。呼吸が速いが弱々しい。首筋に触れてみる。予想通り、熱い。

 病気だ。なんてこと。私が治療の専門家で良かったね!


「魔都風邪だよ。他所から来た人の通過儀礼みたいなものだね。んもう、ちょっと体がだるくなってきた頃に相談してくれれば元気なうちに治せたのに。

 体力落ちてるから今夜のお店もお休みにしてのんびり寝てらっしゃい。」



 ごくあっさりと魔法で風邪を癒やして、布団のシーツでマーチンの額の汗を拭いながら優しげにお説教するヨランタ。そうだ、ここはポイント稼ぎのボーナスステージかもしれない。

 そう考えると、早まったかもしれない。弱ったマーチンにつきっきりで数日看病してあげれば、以後もっと違う展開が訪れたのでは。といっても、自分は治療のプロであっても看病のプロではない。恩を売るのも全力のストレートが性に合ってる。いまのまま押していこう!


 彼女がマーチンに恋しているのか、ことごとに情交を迫るそこに愛があるのか、自身にだってわかっていない。そもそも愛に縁遠い歴で育っている。だが今の暮らしを続けるためならなんだってしてみせる。


「そうだマーチン、今日は私が朝ご飯を作ってあげよう! ちょっとだけ待っててね!」


「(お前が待てゲホッ、ゲーホッ台所は俺の城だフフォッ、ケフっ………勝手をするな……………………ッ)」




「あの、朝ご飯です。」


「…ぉぅ……フぅ、これはまた、オリジナリティあふれる朝食やね。」

「かまどの使い方がわからなくて。」

「それで無理せんかったんは偉い。英断。賢い賢い、頭なでてあげようからこっちぃ。」


「何、その手の構え。親指と中指で何をする気?マーチンの国じゃそれでナデナデするの?……ピャっ!」



 特製の朝食は、メバチマグロの刺身と生タマネギの厚めのスライス。いやぁ、おでこを弾かれる程度で、あんまり怒られなくてよかった。

 なにせご飯器も温め器も触るのは怖い。もしなにか間違えて精霊を怒らせて、いつもピッピと可愛らしく鳴く箱が急に「ヨランタは呪われてあれ」とか言い出したら腰を抜かす自信がある。呪いは怖いんだよ。

 かろうじて、冷蔵庫とやらいう戸棚の中身と自分の経験でどうにかできたものが、コレだ。素晴らしい、刺身。フォーエバー、刺身。


「お酒も飲む?」

「アホか、何を朝から…いま8時半やんけ。んいや、今日はもうお休みやったとしたら、アリか? せっかくのお刺身やしなぁ。」


「そうだよアホじゃないよ!」


「ホにゃったらヨランタさんに火の扱いとお燗のつけかたも教えたげよう。ちょっと、肩貸して。」

「よろこんでー!」




「燗酒は、湯煎にかけて温かいお酒にするの。芳醇で上等なお酒より辛口方面の普通のお酒が向いてるのね。ゲフ。温めると香りがすごい強くなるから。で、いま選ぶのは紀州のコスパ無敵の酒、紀土キッドの純米。コホ、コホ。」


「おほーっ、青い火が出た! つまみひとつで、火!火ぃ!ヒャー!」


「変に浮かれてんと、わかってんのかいな。」


「卵焼きの焼き方も教えて! あの手鍋で巻くやつ!」



「卵焼きと燗酒もつけたら立派な食事に見えるな。ケホ、」


「卵焼き、われながら不格好だなぁ。もっと練習させて!」


「ダメー。今のは特別。」


 食卓には瀬戸の絵付き大皿に2人分盛り付け直したマグロのお刺身とタマネギ、備前の角皿にそれぞれグチュっとしちゃったけどホカホカの卵焼き、私のは甘い味付けにしたせいで?こんがりきつね色。

 そして、瀬戸物白磁の2合徳利とおちょこが2つ。たゆたう湯気が朝日に映えて輝くよう。ちょっとシュール。



「さあマーチンさん、まずはご一献。」

「おっとっと、じゃあご返杯、ヨランタさん。…朝の9時から何をやってんのやら。

 いやそれにしても、自分他人ひとに食事を用意してもろたんは初めてかもしらん。なかなかええもんやね。いただきます。」


「いたらきます。ねぇマーチン、」

「ダメ。」


「…こうやって2人でお酒飲むのは初めてだね。」


「あ、そういう? まあ、そりゃあそうやろ。…うーん、久しぶりの熱燗が旨い! この卵焼きも…中がカチカチで外側がゆるい、食感のアクセントが面白いね。」


「笑ってくれていいのよ?」


「別に笑うことなんかないよ。お刺身も、刃物の扱いは達者やね。」


「褒められた気はしないよ。甘い卵焼きが香ばしい…ねぇ、金貨1枚でお料理レッスンしてくれない?」


「有料なら通ると思ってんのかい。間違うてへんけど。でも忙しいからダメ!」

「嘘ばっかり!」



 お湯の作り方くらいは教えたほうが余計なトラブルも少なかろうと、ガス台の扱いは教えたが、流れで卵焼きの巻き方まで教えてしまった。これ以上なし崩しに人間関係をつくるのはリスクが大きい。相手は自称お尋ね者だ、何があるかわからない。知人まで連座で逮捕される危険だってあるのだ。


 しかし、さっきの回復魔法は驚くべきものだ。

 料理の準備中はまだフラフラしていたが、今はもう走りたくなるくらい元気が湧いてきている。利用価値、というと言葉が悪いがこれだけの技術持ちなら親切にしたくなる気持ちも起こるというもの。


「しょうがないな、甘い卵焼きとだし巻きくらいは教えてあげよう。金はさっきの治療費がわりやから、いらん。とりあえずそれだけなら。」



 迷う気持ちはあるが、次の謎病や、また腰をいわした・・・・ときの備えに、一家にひとりヨランタ。あっちだってどうせ寝床と酒の備品として俺を見てるんだ、気楽でいいさ。


 本音のところは両者もう少し湿度のこもった思いを抱いているが、ドライで納得しやすい考えをいいわけにして自分を納得させ、現状維持を認める。

 客観的には男のほうが深みにはまりつつあるように見えるが、ここにはこの2人しか居ない。あぶないぞマーチン、逃げろ!



🍶

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