辛いものと篠峯のどぶろく

(1)


 病み上がりのマーチンがすっかり体調を取り戻し、上機嫌で口を開いた。


「そういえば、こういうもんもある。」


 朝食の後、マーチンがカウンターの奥から取り出したものは、桃の缶詰。いわゆる桃缶。


「ウチでは風邪引いたからって桃缶の風習はなかったが、そういえばあったなぁ思うたら食いたくなった。一昨年の缶やけど全然大丈夫、なはず。1個開けよう。あと2つあるから、欲しかったらあげるわ。」



 昭和の薫り高い桃缶といえば、ものすごい黄色の黄金桃。

 だがマーチンのセレクトは微妙に若ぶっているので、白桃缶。


「缶…詰……ということは、お外に持ち出せるの?」

「先に試してみる?」

「9割食べてから試す。」


 今は酒も飲まずに実食。そして実験。そして。



「桃缶売りに、私はなる! 超☆儲かるよ、欲しがらない人いないよ! カタギの商売だ!闇仕事から足を洗える!」


 その足で準備を始め、行商人スタイルにモデルチェンジしたヨランタ。意気揚々と、マーチンに仕入れさせた桃缶50個をカバンに詰めて魔都の雑踏に身を投じた。




「……しばらく甘いものは見たくない。辛いのを。マーチンのように…地獄のように辛い食べ物とお酒を!」


「あかんかったんけ?」


「んもう。愚昧だ! マーチンが私たちを地虫を見る目で眺める理由がわかったよぅ。」


「そんな目をした覚えはない。人聞きが悪いわ。ぅんで? 激辛?」


「激…そんな言葉まであるのね。そう、激辛。内臓が燃えるようなのをちょうだい。」



 激辛は、マーチンの守備範囲外の料理だ。彼もオジサンなので腎臓がキュッとするほど塩辛い油料理は好むところだが、カプサイシン辛いのは、これが残念ながら日本酒にあまり合わないので熱心に追求していないのだ。

 コチュジャン等の辛味噌、ラー油、もちろんそのままの唐辛子や山椒を使った料理は日本酒との相性も抜群だ。

 しかし常識の範囲というものがある。いわゆる激辛は常識を軽々と超えている。そうなると、盃でチミチミいただく日本酒では追いつかないし、がぶ飲みするには度数も高い。


 そういうマーチン側の事情もあるが、店としては客側の能力も考える必要がある。以前、お香々こうこの鷹の爪で悶絶していたヨランタだ。当人は覚えてもいないようだがカラムーチョでもㇶーㇶー言っていた。普通に辛い程度でも喰えるのかコイツ。

 こちらの考えも知らず、女は挑発的な笑みを浮かべてカウンターの向こうを伺っている。


 野郎のグループ客なら殺すつもりで容赦ない代物を出してもいいが、この子なら本当に死んでしまうのではないか。まずは様子伺いから始めよう。



「じゃあまず突き出しね。辛子高菜と辛子明太子。

 あと、これは一味唐辛子、これはラー油。辛さが足りひんかったらちょっとずつかけてみてね。」


 マーチンがいつもの小鉢に加えて小瓶の2本を持ってきた。

 バカにして! イチミってアレでしょ、マーチンが出汁巻きにイチミマヨを添えてくれてたやつ。ラーユも知ってる。茹でブロッコリにゴマダレとラーユをかけてた。

 どっちも匕ーってなったけど、超おいしかった。だから頼んだんだ。だいたいマーチンは私を子供扱いしすぎる。私だって、その辺の町娘なら2,3人の子供をこさえてておかしくない年齢だ。舐めるな。この黒い草だって赤い粉を振ったら、ほらこんなにおいしそう。


「あ」

 フフフ。マーチン、イタズラ不発みたいな顔をしているね。ホラ、余裕の顔で「おいしかったー」か「マズい」か言ってやろう。見てろ、パクリ。



「クェッ!ケッ!ケ!フィ~~……カファ!フォァッ!シュォッッ……」


「あー、あー、けっこう辛かったやろ。はい、水。」


「ムー!ムー、ン!…ン!」


「知らんがな。そんで、お酒。篠峯しのみねのどぶろく。グラスでどうぞ。まず、冷たい水飲んで、それから、どぶろくで舌を洗うみたいに口に含んで、飲んで、また水を飲んで。

 それとタオル。汗、拭き。」



 あぁ、息ができなくて死ぬかと思った。舌がかれて、喉が灼かれて、いま、胃が灼かれている。今からでも死ぬかもしれない。心臓がバクバク音を立てて、汗が吹き飛び出るほどに湧いてくる。

 これホントに毒じゃないの?


「そりゃあ何でも、過ぎたら毒になる。トンガラシもタマネギの辛いのも、人には効き目が悪いってだけの他の生き物全般にとっての毒やし、酒かって弱い神経毒がじわじわ効いてくるのを楽しむもんやさかいね。

ちなみにこの高菜は一味振らんでもいいくらいやったから、…うわ、辛ぁ。あとでラーメン作ったげるから、それに乗っけたらええくらいやわ。」


 私が死を覚悟した、真っ赤になった高菜を無造作につまんで、ヘラヘラとマーチンが笑う。くやしい。くやしい。こんな思いをするために辛いものを注文したわけじゃないのに。

 したたる汗をもらったタオルで拭きながら、こっそり涙も拭いて、言われたようにお水をあおって、お酒を口にする。


 どぶろく。注文したのは辛いお酒だけれど、甘くてドロリとしてモロモロとしていてプチプチと発泡していて、それでもサッパリと口の中の腫れを沈めてくれる。大きく一息。



「とんがらし辛いのにはマッコルリとかラッシーとかが効くけど、日本人ならどぶやで。キミは日本人ちゃうけど、名誉日本人と呼ばせてほしい。」


 珍しく、マーチンが私に微笑みかけながら肩をペチペチ叩いてくる。どうやら、からかわれたり意地悪されたりで激辛を出されたわけではないらしい。

 心臓がドクドクして、頭がぐるぐるしてるけど、どぶろくの甘みがまろやかに心に染み渡って癒やしてくれる。叩かれた肩がほんわか感じる。これって物語に聞く、恋のキスと同じかしら。



 昼間、桃缶売りは散々だった。


 この国の文化では魔法と市民生活は相性が悪い。

 回復魔法も尊敬されるものではない。人が病気になる仕組みも難病・奇病の何たるかも誰も知らないまま、大金を強請ゆすり取って「あと3回の治療が必要です」とか言ってもマッチポンプの疑いを晴らす理屈もないのだ。

 神聖詐欺、と陰口されることすらある。

 農民にとっても、まさか家畜や作物の病気に際して、農場を売るほどの金を払って治療を頼む酔狂人もいない。まして、攻撃魔法は傭兵くずれが農村を焼き払うばかりだ。


 魔法使いの魔法が人々の生活を豊かにするなんておとぎ話にすら発想が無いもので、どちらかというと市井の人々を虐げるのが魔法だと思われ、敬遠されている。


 で、桃缶である。

 市場で、とても甘い桃のシロップ漬けは誰からも激賞を受けたが、缶を見せると誰もが眉をしかめた。ヨランタ自身、缶詰を作る技術など知りもしないので「魔法の技術で」などと売り文句を口走った瞬間、石もて打たれるんじゃないかと思うほどの敵意を投げつけられ、這々ホウホウテイで逃げざるを得なかった。


 バカどもに付ける薬はない。不特定多数に売ることはあっさり諦めて、ヤミ回復のお得意様の、穏やかな紳士や老婦人に「外国の技術で」作った缶詰だとふれこむことにした。

 紳士は軽く手を振って「外国のスパイだと通報しないことをせめてもの情けだと思え」と剣に手をかけた執事に代弁させた。老婦人は缶に印刷された “桃” の漢字を見て「悪魔崇拝国のルーン文字だろう、私に何を食べさせたのだ」と怒り狂った。



 商売を甘く見ていたわけではないが、まさかここまでとは。

 そりゃあ、良い品なら自然に売れるのだとしたらマーチンの店は今頃行列の大評判だ。それでも、あの店が流行らないのは立地のせいとマーチンにやる気がないせいだと思ってた。


 常連さんは同業者に悪い噂を吹き込まれていたのかもしれない。それでも昨日今日の関係であるまいし、もうちょっと好意的に見てほしいものだわ。

 あるいは、先日の仕事も、その前も、呪い関係の仕事に関わりすぎたかもしれない。そういう悪評はわけがわからないほどどこからともなく速やかに広がるものだ。



つらい、つらいよう。」


「やっぱり甘いもん作ろか?」


「今は自虐的な気持ちなの。この明太子くらいでお願い。」


「はい、はい。知らんけど。」

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