甘いものと甘い酒(たかちよ・にいだしぜんしゅ・ちえびじん)

(1)


「今夜は甘いものを所望します。」


 朝、出掛でがけに小柄な若い女が、神の託宣のごとく胸をそらして薄笑いを浮かべつつ、断られるなど考えもしない調子で口を開いた。


「そういうのは、他所よそで食うてきなさい。」


 だというのに、冴えない男は女の方を見もせずに一蹴する。

 女は頬を膨らまして、まるで己の生死が掛かっているかのように食いさがる。


「今日のお仕事は金払いはいいけど、ちょーーーしんどい相手がお客なの! その辺のクラッカーの蜜がけを牛乳茶に浸して食べるような “スイーツ(笑)” なんかじゃ私の身が持たないの! わかるでしょうわかって!」



 魔都の朝、陽光が燦々と降り注いでもなお薄暗い雰囲気の一角にひっそり佇む『日本酒バル マーチン's 』の、ここ最近の風景である。


 オヤジ一人がこんな土地柄でどうやって切り盛りしているのか謎の多い店だが、最近下宿人がひとり住み着いている。それも、若い女だ。

 近所に聞きつけられればいかがわしい何かではないかと勘ぐられそうでもあるが、男は近隣にまったく没交渉、女は宗教組織からのお尋ね者であるのでいちおう身を潜めている。噂になる気配は今のところ、無い。


 それにしては、今朝は賑やかになってしまった。

 女、ヨランタは騒ぐだけ騒いで「頼みましたわよ!」と妙な口調で言い残して仕事に出ていった。仕事先ではああいう口調で通しているのかもしれない、服装もいつもより悪趣味で、酷いくせ毛の髪も精一杯に整えて金細工の髪飾りを編み込んだりもしていた。

 お洒落をしてるんだろうなぁと見当をつけて2,3言の褒め言葉も口走ってみた男、マーチンだったが、どうにもこうにも不自然で空気の流れが悪くなったものだ。ヨランタがいつもよりうるさかったのも、間の悪さをごまかそうとする感じだったのかもしれない。


 やれやれ。ひとつ首を振って、いつもの仕込みにかかる前に「甘いもの」を仕入れてやるべく、裏の坪庭に不自然に立つ鳥居を、身を縮めてくぐっていった。




 日も暮れて、マーチンが表の赤ランタンに灯りをつける頃、ヨランタが帰ってき…た?


 奥の通りからゆっくり、後ろ歩きで杖を突きながら歩いている。首にいくつもつけた鈴がチリチリと鳴っている。覆面をしているのかと見えたのは、後頭部に顔の絵を描いた羊皮紙をつけているからだ。

 彼は誰時ゆうがたの薄闇の中をそんな薄気味悪いものがうごめいていれば、マーチンが昼間までうろついていた現代日本でさえも誰もが目をそらして見なかったふりをするに違いない。ましてここは魔都。面倒事はゴメンだぜ。


 なんとなく息を詰めて眺めるマーチンのもとまで、尻を向けたままじりじりと近づいてきたヨランタ。後頭部につけた、目を見開いた笑顔の絵がいっそおぞましい。


「戸を、開けてもらえませんか。」


 若干弱々しい、いつものヨランタの声で、絵の顔が口から舌をレロレロひらめかせながら話す。思わず、眉につばをペロリとつけるマーチンだがどうしてよいものか判断がつかない。


「妙なものを招き入れちゃならん、と常々いわれているんだがね。」

「後で謝るから、ゴメンだけど今だけ意地悪しないでほしいな。ちょっと、いま深刻なの。」



 声が震えている。

 悪魔祓いの作法など知らない現代日本人のマーチンとしては、とにかくなんともし難いので出入口に貼った元三大師の御札になんとなく柏手を打って拝んでから扉を開く。


 ヨランタは顔の絵と鈴を手早く外して捨てると、血相を変えて店の中に走り込む。同時に顔と鈴は緑色の火を放って燃え尽きてしまう。

「セーフ!」


 やっと正面を向いて両手を広げて足を揃え、ぴょこんと店内に飛び込むヨランタ。何がセーフで、セーフじゃなかったらどうなるのか何もわからないマーチンは言葉も出ない。

 が、一拍おいて、バサッと灰が崩れるような音を立ててヨランタのおめかしした服が塵になって消えてしまう。意外に豊満なその肢体が露わになると同時に、財布も崩れて中の金貨が床に散らばってバラバラと騒々しい音を立てた。



「あ、あ!」と慌てて全裸のまましゃがみこんで金貨をかき集めてから、上目遣いでマーチンを見上げて照れ笑いを浮かべて、


「呪いで……」

「何をどう呪われたらそないなんのんか知らんけど、大丈夫か?」


「見た?」

「何を?…あぁ、見てない。」

「見たでしょ!」

「見てない。」

「バッチリ目があってたのに?」

「見てない」


「ちぇー。

……知らないことは呪い防ぎにとっても有効だから、マーチンは知らないほうがいいよ。私も、言わないほうが呪いを散らさずに飲み込めるから、黙ってるよ。」


「困ったこっちゃ。ええから、先オフロ入ってき。飯と酒は準備しとくわ。」



 お湯に火照った赤い頬でマーチンのパジャマを借りて、湯気を立てながら油断しきった顔でカウンター席について大きく息をつくヨランタ。

 マーチンが口を開く前に「甘いものぉ!」と漠然としたオーダーを入れる。


 はいハイ、と、ヨランタの前に用意されていた小鉢と、酒器セットが差し出される。昼間の客先の油断ならなさを思うと、まるで天国。お姫様気分。いいご身分だ!



 さて、酒器はどれにしようかと眺めると見慣れないピカピカの陶器がある。これは?


「それは、今焼いまやき……ノンジャンルの現代作家もの。甘いもんにやったら合うかと思って混ぜといたけど、さすが目ざといな。」


 外側は黒くてゴツゴツしているが、内側は銀色で鏡のようにつるりとしてピカピカ、いつもよりちょっと小ぶりだがそれも可愛らしく、美しい。今日はこれに決めた!



「突き出しのかわりに、今日は栗きんとん。うちは酒場なんで、ラムレーズンも散らしてる。余計にお菓子っぽいと言えなくもないけどな。

 ほんで、酒は越後の “たかちよ”。お味は飲んでのお楽しみ。ハイどうぞ。」


 おぉー。息を漏らそうとして、よだれがあふれそうになってキュッと口を閉じる。

 容赦のない甘い香り。蜜の川が流れる黄金色の沃野。魂の溶け合う処。その、人差指と親指でつくる円のサイズのミニチュア。



 ひとつ深呼吸して、落ち着くためにまずお酒から口にする。

 なにコレ甘ぁい! 濃密に甘い!それと果実の香り?ブドウじゃない…桃?甘瓜?の果実酒、そうでしょ!マーチンってば気が利いてる。私って特別扱い!愛されてるなぁ☆


「それもお米と水だけのお酒。面白いやろ。お米って糖の塊やしな。何にでも化けられるの。」


 えぇ、今までの松の翠や乾坤一と、このお酒も材料は一緒なの?

 甘いお酒が欲しかったら普通に蜜とか砂糖を入れたら済む話じゃん、フルーティにしたかったら果汁で割ればいいんだしさ。


「お米が好きやから可能性を追求したいねん。大事なことよ?」

「そりゃ、誤魔化しに逃げないで技術を突き詰める大事さは私も学んでるけどさ。」



 うん、落ち着いた。栗きんとん、だっけ。お箸を伸ばして、小山の3分の1を崩し取って、あらためて口にする。


 豊穣! ペースト状の甘味が口の中でほどけて溶けて、脳髄をとろかす。

 そもそも、甘いってなんだろう。口に食べ物を含めば、弾けるように快楽が満ちる。同様の快楽には、できなかったことができるようになったときとか、他人を打ち負かしたりしたときも脳髄が弾けるような快楽が身体を貫く。

 でも、それらと比べると甘いものを口にすることは平和で、努力も、踏みつけにされるべき他人も必要ない、お手軽な行為だといえる。素晴らしい、甘いもの。世の中に甘いものが満ち足りてあれば、怒ってばかりだった母も恨んでばかりだった師匠も、出世欲に狂った聖堂のあん畜生も、色情狂のジグムントもあんなじゃなくてよかったんじゃないか。

 おぉ、甘いもの。世界を救う甘いもの。もう残りの一生を甘いものだけ食べていよう。あぁ、あたまがばかになるぅ……


「大丈夫かキミ。」


 あ、目が覚めた。すごいね、砂糖。完全に意識が飛んでた。

「いやぁ、干しぶどうがいいアクセントになって、栗と、お芋?似てるようで違って、面白い。いくらでも食べられそう。大っきいお鉢でちょうだい?」


「それ、見た目よりずっと重たいし、見た目と同量くらいの砂糖使つこうてるし、丼鉢は無理やと思うよ?

 他にもあるから、一周してからお腹と相談おし。」


 なんと、いろいろあるのか、さすが私のマーチン。

 今日の私の懐具合は無敵だ。なにせ金貨200枚二千万円を1人で総取りのお仕事をこなしてきたところなのさ。矢でも呪符でも持って来い、白い砂糖ならなお良し。





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