閑話 : しじみの味噌汁の朝食


 草の匂いに包まれて、寝覚めが近いことを感じる。

 穴だらけの床から草が生えてきた実家の寝床だろうか? 300年前には草だったタイタンのベッドだろうか? いや、もっと清潔で温かで明るくて、そう、ここは……どこだ?


 ガバッと跳ね起き、本能的に壁を背にしてクラウチングの姿勢で周囲を確認しながら魔法の準備詠唱を起動。物々しいが、ひとりの朝のルーチンだ。

 で。ここは、……マーチンの酒場の物置き部屋だ。そう、結局、ゆうべ泊めてもらえたんだった、有料で。一気に脱力して、腹ばいにベッタリ大の字で倒れる。

 あぁ、安心、安心。


 枕元には寝酒に拝借したガブガブくんの先日のボトルの残りと柿ピー小袋の空袋。

 まったく、昨晩は素敵な夜だった。何を警戒する必要もなく、心の底からあらゆるガードを降ろした寝姿を晒せるなんていつ以来だろう。実家だって結構、油断ならなかった。

 マーチンに嫌われないために今日には宿に移る必要はあるが、楽園を体験させておいて一夜限りで追放するなんて酷すぎる。博愛精神に欠けてる。私は帰ってくるぞI shall return


 寝転がったまま這いずって、部屋の柱に小さく ”ヨランタ” と名前をいたずら書きする。結縁けちえんおまじないというにはショボいが、こういうのが案外バカにならないんだ。


 ニヤリとひとり会心の笑みを浮かべたとき、部屋の扉が無遠慮にガラリと開いた。

「起きてた? 朝飯食うか?」

「な、ななな、乙女の寝室になにを!」


「いや、そこは、ウチの物置き。寝室ちがうの。自分の部屋みたいに思わんでや。」


 どうも、この男は女の子の扱いがなってない。人は、モテないとこんなにもなってしまうものなのか。理解に苦しむ。

「飯。」

「いただきますっ!」



 食事はお店スペースでいただく。いつもは夜なのに、朝の光が差し込んで薄明るいと不思議な感じだ。

 といっても、ここで朝食をいただくのは二度目。慣れたもので、マーチンが用意したものを私がテーブルまで運ぶ。こういうささやかで家庭的な作業も、いつもの穴ぐらでひとり干からびたパンをかじる朝に比べて心に血が通う思いがする。



 朝食は、朝日に輝く白いご飯、石の入ったお味噌汁、ふっくらとしただし巻きの卵焼き、みずみずしくも独特の臭気が癖になる胡瓜のお漬物。

 浮き立ったところのない渋さだが、ある種の完成された美学めいたものを感じる。ただ、石の入ったお味噌汁だけが不審だ。


「石ちゃうよ、よぅ見よし。小さい貝。シジミのお味噌汁。味は汁に出てるから、貝の身は食べんでも大丈夫。…それで足りひんかったら、どっか外で適当にやってや。」


「はぁい。…で、お酒は?

……そんな、化け物を見る目で見ないで。つい言っちゃっただけよ。外じゃ、ここみたいに飲めるお水はないし、お湯にするには薪も必要になるからエールを買い置きするのが早くて安全なんだってば。

 飲んでもイガイガしないおいしいお水!マーチンは贅沢者だねぇ。」


「俺、どうせ来るならもうちょっと文化レベルが高い国が良かったなぁー…」

「引っ越すなら私も連れてってよ!」



 文句が多い2人が食卓に着く。なんだか特別にキラキラしているように感じられて、擦れ枯らしのヨランタも子供のようにソワソワして、険のとれたあどけない表情になっている。

 マーチンが静かに手を合わせて、ちょっとマジメぶって言う。


「功の多少をはかり彼の来処をはかる。成道のための故に今このじきを受く。いただきます。」


「ごにょごにょ。イタラキマッ。…ねぇ、なにそれ。」


「食べ物の、命と、ここに並ぶまでにくぐってきた人の営みをちゃんと自覚して、食べるからにはちゃんと生きよう、という食前のお祈りやね。」


「そんな、「めんどうくさい」と「イヤ」が口癖のマーチンが、そんな立派っぽいことを。」


「言うだけはタダ。それに、ちょっと上等な気持ちになるでしょ。ありがたみが出たら、飯も旨く感じるし。一人やったらわざわざせぇへんよこんなん。」


 話を打ち切ってマーチンが味噌汁をズズズとすする。まだちょっと言い足りない気分だが、ヨランタも続いて椀を両手で持って口をつける。途端に、濃密な生命の香気が鼻腔と口腔を満たす。



 あ、これは、覚えがある匂いだ。

 小さい子供の頃、お母さんにご飯がもらえなかった日は、山の溜め池のタニシで命をつないでいた、あの匂いに似てる。伊達に腹痛を癒やすჯანმრთელობა魔法と虫下しの魔法ჭიების-გამწმენდიのエキスパートになったわけじゃない。

 だとしても、今この食事であんなものを思い出させるなんて、あんまり意地悪じゃないか。


 急に動きが固まってしまった私を、マーチンが怪訝ケゲンそうな目で見ている。

 気を使わせても悪い。アレっぽい匂いがしても、沼や泥の悪いニオイは不思議なほどにしない。勇気を奮い起こして、口に含む。

 おいしい。もし、あの沼がタニシのスープでこんな味をしていたら、今の年齢としまでその水をすすって生きていたことだろう。だけど、そんなことはなかった。だからこの回想はおしまいだ。


「泣くほどマズかった?」

「涙が出るほどおいしかった。あと、思い出の味じゃなかった。大丈夫、おいしい、ありがとう。」



 彼の来処をはかる、か。面白いことをおっしゃる。

 私の子供時代のことは、誰だってそんなもんだろうと思っていたけれど、屈強な冒険者たちに語って聞かせたら一様に耳をふさいで「もう聞きたくない」と言う。だからか、なんとなくマーチンには知られたくない。

 でも、今、生きてる。おかげで、このだし巻きみたいな大ごちそうも食べられるし、スープもおいしいし、ご飯やお漬物にも神様のほほえみを感じる。

 何のためのゆえに、この食をいただく? 敵みたいな神様や他人なんか知らないけれど、そうね、今日は知り合いやお客にはちょっと優しくしてあげられそう。つくづく、私って安い人間だわぁ。


「ねぇマーチン。今晩はアナタの子供の頃の思い出の味が食べたいな。用意しておいてよ。」


「え、なに? 急に思い詰めたような顔して。そうゆうの、”死ぬ旗信号”ってウチらでは忌まれてるんやけど。

……ほな、カップ麺あげるからお昼にお食べ。お湯かけるだけやから。ちょい待ち。………ほら、これ。」


「わぁ、理解を超えるスゴイものなのにビックリするくらいぞんざいな感じ。えぇー、これがマーチンの思い出の味? …まぁ、生タニシの十万倍、人間の食事なんだろうけど。」


「マルちゃんバカにすんな。生のタニシの文明度はゼロやから千万倍しても追いつかんわ。って、え?そんなン食べてたの?」



 やばっ、言っちゃった! いや、ごまかす!

「ヤだなぁ、生で食べても死なないヤツだよ、私、生きてるでしょ?」


「あ、そんなこともあるんか。せやったらええか。いや、あんまりひどい生活が普通の基準デフォルトやったらさすがに泊めたげるくらいは

「ゴメンナサイ嘘です文明度ゼロですっ!一生ご厄介になります!肩こり腰痛から歯痛も虫患い、痔、癌も魔法でさっぱり直せますよっ!」


「いや、それは、え?いやいや、おかげさまで体は丈夫やけど、癌まで?ちょっと詳しく。」



 関わりが深くなれば、必然的に文明の衝突とやらも起きることが、あるかもしれないようなないような。

 およそ問題を引き起こすことになるような気配がない2人の、この先の運命は味噌汁のようにむやむやとしている。



 あと、カップ麺は店外に持ち出したら消えた。ヨランタが怒り狂ったので、今晩のメニューは特製ラーメンだ。



🍶







食レポの語彙が尽きてきたので、この先の更新は不定期になります。

好みの酒の味が似通うのは当然といえば当然だけど、これがまたなかなか書くのは楽しくて。

先の予定は「ひやおろし」と「燗酒」、「新酒の生原酒」、年末年始ネタほか。

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