(2)


 記憶にないが、それだけに否定もしきれない不始末を聞かされて、ワッと叫んで逃げ出したい気持ちを必死でこらえるヨランタ。

 顔を覆って突っ伏している、その正面に小鉢料理が差し込まれてきた。たちまち、温かい芳香が指の隙間から顔を叩く。


「今日の突き出しは、鶏じゃが。ふつう牛肉か豚肉を使う“肉じゃが”の鶏肉版。それとお酒。おりがらみの酒は薄濁りなんで、ガラスの酒器でもキレイやけど?」


 そう、お腹が空いていると何もかもダメだね。食べてから落ち込もう。さて。

「お酒の器は、今日はハギヤキがいいな。マーチン、お願い♡」


 以前、本人から聞いたことがある。誰にでもは出さないマーチンお気に入りの、萩焼の酒器。「わかってるヨランタさんには」と使わせてもらったことがある。結局、良さはそれほどわかっていないけど、ちょっと媚びを売る感じでリクエスト。

 なのに、「う~ん」と煮えきらない顔。よく見れば、小鉢の器がすごく雑な安物チックだ。一度の醜態でそんなに評価を下げなくてもいいじゃないか。こっちはお客ですよ、上得意様ですよ。



 …そうそう、結局出してくれるなら、最初からスムーズに出してくれればいいんだ。

 うん、上等だと聞いて渋られた後だと、前より良いものに見える。


 もったりと厚く塗られた深い青の釉薬の陰にはザラリと赤茶けた器の地肌が顔を出しているが、不思議に二面性とはならず、優しげに調和した風情を見せている。

 そこに注がれる “オリガラミ” の酒は、酒粕の“オリ”が絡んだ白く半透明の、いわゆる薄濁りの酒だ。とろみがつくほどに濃くはなく澄み酒の清冽せいれつさのまま、さらっとしていてそれでいてまったりと甘い風味もしつこくなく含まれている。

 器の濃い色に白が入ると全体の印象もさらに和らいで、見るだけでも気持ちがリラックスするようだ。


「雁木は、西の方の山口は岩国の酒でな、あの辺なら獺祭とか、それこそ萩の東洋美人が有名やけど、俺はこれが好きかな。」


 店主の好みはさておき、この酒は良い。鶏じゃがの甘辛くホクホクした味わいに、甘味と酸味の相性が抜群だ。魚との相性は、お手並み拝見といったところだね。

 薄濁りの酒だというが、ヨランタは濁り酒というのも呑んだことがない。これが薄いのなら、それは濃いのだろう。と、しか想像がつかないが。



 むふー。

 自然と吐息が漏れる。多少でも腹に熱が入ると、下ばかり向いていた気持ちが湯気と一緒に上を向く。



「そしてこれが “なめろう”。刺し身を粗みじんに切って、シソやミョウガとかの薬味と、金山寺みそとかの味付けとも混ぜ混ぜにしたもんやね。

 お茶漬けにしても、形を整えて焼いても旨いけど、まずはこれで食べてみ。」


 おぉ、これがアジだったか。以前にも見たことがある。

 ところで私たちの文化では食べ物は銀色をしていない。これは無理、食欲がわかないと言い張って下げてもらったことがある。銀色といえば大金をはたいて若返りの薬を飲んで、それがただの毒だったトラウマもある。あぁイヤだ。

 今回は味付けで色がついて、金色になってる。微妙な線だが、これなら大丈夫。まずは、ひとつまみ。



 ねっとりした歯ざわりの中にプリプリの部分もあって、深いコクのお魚味の大群が押し寄せる中にシャキシャキの薬味のハーブ感も爽やか、これは愉快だ。そこにお酒をひと口。

 思わず、足がピンと伸びる。これは、旨味の暴力だよ。良くない、実に良くない。笑みが漏れてしまう。


 ツライことがたくさんあっても、癒やされに来たのに意地悪言われてはずかしめられても、おいしいものを食べれば嬉しくなれるんだから私って人として安いよね。

 まだまだたくさん残ってる。無くなってもお金を払えばいくらでも食べられる。嬉しい。そんな感想。


 嬉しいしおいしいし、大好き。でも、ちょっと心に引っかかる。

 前回この店で肉を食べたときに、肉を食べることは修行じゃなくてもいいんだと気付いた。硬さと臭さを我慢して腹中に命を収める、肉体と精神の修養であってもいいけど、なくてもいいんだと。

 そして、このお魚はキレイに骨も皮も外したばかりか噛む必要もないくらいみじん切りにして、まるで赤ちゃんに食べさせるやつだ。まぁ、ワサビもシソも入ってて子供は食べたがらないだろうけど。に、しても、ここまで食べやすいのも堕落というものじゃないだろうか?



 お酒のおかわりを頼んでいる間にちょっと考え事をしてた。もう、1合ずつと言わず2合でちょうだい。


「それで3合になるから、今日はもう仕舞いにしなね。」

「イヤ。」


「イヤってことがあるかい。」


「私、ねぐらが襲撃されて今晩帰るところがないの。泊めて♡」


「そんならなおさら、早く帰って宿でもお取り。」


「狙われてるからかくまってって言ってんの☆」


「ウチが襲撃されたらかなん・・・がな。もうちょっとまともな仕事はでけへんのかねキミ。」


「だからさ、雇ってよ。」


「お嬢さん、」急に隣の客が話しかけてきた。「さっきからうるさい。お静かに。」


 すみません、そうだ、ほかにお客さんがいたんだ。これは迂闊ウカツ。孤独と静寂を愛する私としたことが。



「ハイこちらカレイの唐揚げ。と、酒のおかわり。」

 やられた、ちょっと黙った隙に食べ物で口をふさぎにきたぞ。そんなもので黙らされてなるものか。

 でも食べる。



 唐揚げも、見事においしそうな美しい黄金色。身と骨が切り分けられていて、骨部分もしっかり揚げられている。これってもしかして?


「あぁ、背骨までさっくり食える。」


 我々の冒険者仲間の間でも、イキりきった戦士が猪を丸焼きにした後、骨まで良く焼いてバリバリと噛み砕いてみせることがある。よくある。やってる本人は史上初の豪勇のつもりでも、いわゆる “あるあるネタ” だ。



 この魚の骨なら私でも、バリバリ食べられるというのだろうか。ちょっと楽しくなってきた。

 けれども、まずは身の方からだ。まだ油がチリチリと音を立てている。これは絶対にうまい。


 噛むと、生の魚肉とはまた違った、ホロホロした歯ざわりからの熱く溶けた魚油が弾ける。直接ふりかけた塩は、醤油やお出汁よりも根源的な命の源。味を引き締め、脂の甘味を引き立てる。

 うまいのは知っていた。知っていたとおりうまい。そこに、お酒。


 すごいね、お酒。味が濃いのに、どの食べ物にも劇的にそして新鮮に、合う。味を深めあう。

 こうなったら他のお酒も確かめずにいられない。ダッサイに、トーヨー美人だっけ。それもちょうだい。ちょっとずつでいいから。


「一回ボソッといっただけの名前を、よう覚えてること。しゃあない、グラスサイズやで。」


「うふふ、話が通じる相手っていいよね。ねぇ、マーチン。」


 そうこうしている間に他のお客さんはお勘定を済ませて帰っていった。私は骨をバリバリ食べている。

 油と塩の味がしておいしい。けど、わざわざ食べなきゃいけないほどのものかは疑問が残る。まぁ、骨までムダにしない食への執念は見上げるべきものがある。

 私も、執念を発揮するべきだろうか?



「ねぇ、私、今晩このお店の軒先で寝させてもらうからせめて毛布だけ貸して。」


「何の嫌がらせやねん。そこまで切羽詰まってんのかいな。」


「うん。…毎日おいしくご飯食べて気持ちよく寝るって、それだけのことが世の中どうして難しいんだろう?」


「俺の国でも、まぁそんなんやから世の中そういうもんと違うの。俺かって接客なんかしたくないし。……風呂と、床に毛布の寝床くらいは貸したるさかい外は止めとき。今日だけやからな! 明日はなんとかしぃや!」

「わぁい、愛してる! そうだマーちん、お洗濯にも便利な何か持ってるでしょう、使わせて!」


「しまった、こういうズカズカ上がり込んでくる浮浪児タイプは情かけたらアカンねやった。…やっぱりお金取るぞ。風呂は500円、ランドリーは1000円、寝床は4000円な。嫌やったら余所にお行き。」

「安い! とりあえず半年分押さえた!よろしくね。」


「くっ、相場間違えたか。いや、シラフのときに相談しよう。酔っ払いはさっさと寝よし。今日はもう店じまい。皿洗いくらい手伝え―。」



🍶

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る