魚のなめろうとから揚げ と 雁木

(1)


 魔都に、帰ってきた。

 日は沈んでいるが、秋の夜もまだ早い。あの店はまだ開いているに違いない。

 急ぐ足が空回りしているのではないかと我が身をいぶかしむほどに気が急いている。そうであっても、なくても、とにかく道を急ぐ。



 フリーランスのヒーラーであるヨランタに他の街への護衛・護送クエストが回ってくることは基本的にありえない。だが、今回は事情の特殊さのために、ギルドが彼女に白羽の矢を刺した。


 運ぶ荷物はダンジョン産のキマイラの脊椎。えぐい呪物だ。

 通常のキマイラは、「いて言えば獣」の身体に、「強いて言えば獅子」の顔と、「強いて言えば山羊」の顔と、「強いて言うならば蛇の上半身」の尻尾が生えている、と強いて呼んでいるぐちゃぐちゃっとした姿の魔獣。


 だが、今回の件のキマイラは「人の下半身」と「獅子の下半身」と「山羊の上半身」と「カエルの右足から猿の掌のようなものが生えたもの」を無理につなげたような身体に、山羊の頭のあるべきところから「人の足の親指」が、人と獅子の身体の「尻から槍が五本ずつ」生えていたという異形きわまりない姿で、討伐時に元の姿を判別できないまでに破損してしまったものの、残った異形の背骨が高額で競り落とされた。


 落札先は他所の街の、合法さが微妙な組織。肝心の背骨は背骨だけでまだピチピチと生きているので、呪い除けの知識があって立場が自由なヨランタが護送メンバーの責任者に選ばれたのだ。



 メンバーは知らない人たちで、気を使うあまり胃に穴が開きそうになるのを回復魔法でごまかしながら二旬の旅路を成功に導き、報酬を手にした。

 留守中、隠れ家が野良ヒーラーたちの襲撃により焼かれていて今晩の寝床も明日の下着も失って気持ちが寒々しいが、懐だけは温かい。すべてを忘れて豪遊すべく、通いなれた道をこっそり歩く。



 赤いランタンに照らされた、見慣れたたたずまい。いつもの店。引き戸をカラカラと開ける。


「ただいま! じゃなかった、こんばんは。」


 テーブルに一組、カウンターに1人、客が入っている。これくらいなら、店が潰れる心配が減って結構なことだ。勝手に空いたカウンターにどっかり腰掛ける。


「お久しぶり。遠出してたんやって?」

「知ってた? あいつらから聞いたの?ふぅん。とりあえずね、今日はとんか…つ気分だったけど気が変わった。魚がいい。この店でしか無いようなやつ。生と、油もので。」


 明るさと温かさに人心地ついて、テンションが上りながらメニューも見ずにリクエスト。


「そうね。揚げ物なら、サケフライか。カレイもええなぁ…」

「鮭があるの? 鮭って、お刺身にできる?」


 鮭は、ヨランタは干物なら食べたことがある。無類に塩辛いが、旨いものだった。新鮮な鮭を食べたならば自慢話にもできるだろう。やった! と伸び上がって聞いてみる。

 だが、マーチンはいつになく渋い顔。できないのかな、いや、それだけじゃない、悪い雰囲気。ヨランタも眉を曇らせる。


「サーモンの刺身は、世に出回ってるアレは、マスなんや! サーモンであってもサケではない、邪悪な言葉遊び! 俺はアレを絶対に認めぬ! サーモン寿司は鱒の寿司ますのすし、何の不満があんねや。」


「知らない逆鱗を踏んだらしいことだけはわかるけど。ダメなの?」


「ダメ。揚げもんはカレイの唐揚げね。お刺身は、さて、鮭の反対といえば…豚だぜ……」

「豚のお刺身なんて絶対食べないよ!」


「せやろね。出さへんよそんなもん。お疲れなら、味の濃いもんでアジで粗挽きのなめろう・・・・にしたげよか。」

「ナメローは初耳だけど、見た目がグロくなければ、それでいいよ。」

「ちょっとグロい。」

「………いや、もうお任せします。おいしいのよね!」

「それはもう、旨い。じゃあ、なめろうからね。お酒は、雁木ガンギの “おりがらみ” を出してあげよう。」



 注文を済ませて、店内を見渡す。

 気になっていた変化は、テーブル席だ。魅惑のお座敷席が、タタミが取り払われて謎に一段高い椅子席になっている。


「お座敷席、やめちゃったの?」


 素直にマーチンに聞いてみる。


「あぁ!? アレか。ある酔客がな、「靴を脱いだならパンツを脱いでも一緒だ」って暴れて。二度とあんなことがないように、後日その子のパーティーメンバーにも手伝ってもらって、こうした。」


 なんてことだ。前回この店で呑んだとき、座敷席でなんだかぐちゃぐちゃに泥酔して朝まで寝てしまったのだが、タタミの床で寝た、あの夢幻的な心地良さったら。

 あのタタミが失くなっちゃったなんて。もし自分がしっかりした社会階層を持てるものならばタタミのお家を持ちたいと夢見たほどなのに。


「ひどい! 誰がそんなことを!」

「キミだよ、ヨランタさん。おトイレが混んでるからって錯乱しだして、男衆が必死に止めてな。」



「…面白いじゃん。ナイよ、そんな。だって、あの日は。…ナスを食べて、とんぺい焼きを食べて。お酒は、乾坤一擲。「乾坤一」あ、それ。で、おかわりが、写楽ぅ…蔵王ぅ……一ノ蔵ぁ…」


「その4合の間にガブガブくんのロックをマズイって笑いながらコップ5杯。呆れたザルだと思ってたら急に、アレだ。今後、キミ、酒は3合までな。」

「私に死ねっていうの?」

「呑ませるほうが死ねって言ってるようなもんやね。よくこの世界で今まで生きてたもんやって感心するわ。」



 あの夜が明けて、窓からの朝日を浴びてタタミの上で目を覚ました先からは覚えている。なんだか申し訳なくなったので片付け掃除を手伝って、お風呂をいただいて朝食までご馳走になって、隠れ家でもう一眠りして、昼過ぎに冒険者ギルドに顔を出したら長期の仕事を押し付けられたんだった。


 お風呂があんまり心地よくって、朝食も天上の聖餐かと思うほどで、涙を流しながら「このお店の店員に雇ってください、なんなら結婚してください」と一世一代の赤心からの決心で頼んだら「あのシュウタイを見た後じゃな、悪いがお断りだ」と冗談めかしてスゲなく帰されて、私の心は深く傷ついたものだった。

 護送クエストの間じゅう気になってはいたんだ。まさか、シュウタイって、醜態のことだったのか。私は何をやらかして、何をやらなかったんだ。本当に記憶がない。やっぱり、酒、控えようか。


 全部終わって今更なのに、頭が痛くなってきた。

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