誕生と幼少

 鮫古大鰭亜門はつくづく不快な少年だった。

 学校では一見すれば普通の小学五年生に見える。教室の隅で読書にふけり、特に人と進んで会話をするような輩ではなく、話しかけられたら僅かに笑みを浮かべて静かにその話を聞く。若干陰の気はあるものの、クラスに1人は居る人間に近い印象を受ける。普通というには語弊こそあるが、それでもギリギリ存在するラインの小学生ではあるだろう。

 しかしこの場合、百聞の方が彼の事を知るのに最適となる何とも珍しいパターンの人間なのである。一見なんかよりも百聞の方が役に立つのだ。

 彼は、生まれから性格まで何から何まで全てが歪んでいる、と彼に関わるあらゆる人間は口を揃えてそう言った。


 大鰭亜門の父、久島クシマは「亜人」という種類の生物であり、あまり人間から受け入れられる種族では無かった。

 亜人というのはとても分かりにくい生体で、噛み砕いて説明すると、人間の身体をベースとしてそこに他の生命体の特性を混ぜ合わせたような生き物だ。更に噛み砕いてしまえば「キメラ」と近いモノ、である。殆どの亜人は人類の進化過程で特定の民族の人間と動物が混じわった結果生まれたとされている。その交配の影響で、その子供は人間の形をしながらも人間以外の生き物の特性も手に入れた。また、このような方法以外にも、人魚、魚の亜人の死骸を食って新種の亜人になったケースもある。最も有名なモノだと八尾比丘尼などが挙げられる。

 平穏を望む亜人も勿論居るが、矢張り人間と同じ様に支配願望が芽生える者もまた、当然現れるのだ。

 正確な回数こそ分からないが、確実に5回以上人間に戦争を仕掛けたのはしっかりと記録されている。大戦の最中にもどさくさに紛れて人間を襲撃した亜人も居たという情報もあるが、それには確証などは無い。その証拠として沈没した戦艦が挙げられたが、それも確証になり得るモノでは無かった。

 この様な経緯で亜人=危険という先入観が人々に生まれたのは言うまでも無い。教養が進まずに亜人と共存する国も少なからずあるが、大正の初め頃になると殆どの国では亜人に対しての偏見を持つ事になる。

 自分らの文明への介入を恐れた人間達は、文明の利器を活かし亜人を殺戮し、確実に亜人の立場を追い込んでいった。久島達海に生息する亜人も例外では無く、特に久島の住む日本海近海辺りの海の亜人は他の場所とは比べ物にならない力で捩じ伏せられ、久島以外の亜人は殺されてしまった。

 久島は姿を隠す為に安直に山へと身を隠した。しかし、この判断こそが久島最大のミスだったと言えよう。それでも、大鰭亜門が生まれる要因にはなり得る為、ミスと言うには少々複雑だ。

 幸い木の実などを食べて生活していて、食うには困りはしなかった。このまま暫くやり過ごして再び海に戻ろう、久島はそう思いながら未知の物を口に運ぶ。だが自然はそんな久島を甘やかさなかった。数日経つと最初の頃のような余裕は消え、木の実こそ食べれるが当然身体に合わずに腹を壊し、嘔吐。一日に十三回も吐く勢いだった。泥に塗れて身体も汚れる。基本海の中では汚れるという概念は無いようなモノで、いつもと違う肌触りに気持ち悪さを覚え、吐き気を倍増させた。更に当時は夏でもあったので、途中で雨が降っていなければ久島はとっくのとうに死んでいただろう。自分達の住む海とは全く違う環境に適応できず、衰弱に至る一方。息苦しさを感じもうダメかと思い目を閉じたその時、1人の女が久島を発見した。それが後の大鰭亜門の母親となる人物、芳夏ヨシカだったのだ。

 薄く緑のかかった髪の毛に黄色の瞳、色素の薄い頓珍漢な頭とは真逆にオンボロの服を来ていて、日本人にしては矢張り頓珍漢な格好だった。それでいて美しい顔だったので、久島の目を良く惹いた。

「どうしたのさそんなところで」

芳夏は横たわる久島を見るなり驚いた様子でそう言う。表情こそ「驚いた」という顔をしていたが、声のトーンは以外にも落ち着いている。慣れているのか――

「逃げて――来た――」

息を荒げ久島は答える。喋るのも一苦労だ。

「何から逃げてるのかとか色々後で聞くけれど、今は喋らないで。ウチ連れてってあげるから、ホラ」

冷静を纏い、軽々しく久島を担ぎ上げ芳夏は急ぎ足で我が家のある村へ向かった。

「あの――私は亜人で」

「わーった!アンタが亜人だか何だか知らないけどね、兎に角喋らないで。安静に眠る!」

久島は眠るなど無茶だと思いながらも言う通り黙って芳夏に運ばれていった。

 村に着き、芳夏は久島を久島は身体を清潔にしてもらい、川で獲れた魚を用意してもらった。海の亜人は普段は裸で過ごすので、普通の人間の様なやましい気持ちや恥ずかしいという気持ちも湧いて来なかった。道中でも裸だったかと言えば違い、流石に布切れを一枚身に纏っては居た。飯を眼前にしては、ありがたいと思いつつも、目を輝かせ、夢中で貪る。感謝の気持ちもあるし、礼儀作法もしっかりと分かっているつもりだ。だが、そんな事よりも空腹だったのだ。空腹なのだから仕方ないと割り切り、感謝の弁を芳夏に述べながら魚に齧りつく。

 そして食べ終わると同時に久島は自分の正体やここに来るまでの経緯を説明した。この人になら話しても良さそうだという浅い思考で久島は口を開いた。

 芳夏は胡座をかきながらじゃあここで匿ってあげても良いよ、と言う。正直な所、受け入れてもらえるとは思わなかったから久島は驚いた。

「なんか可哀想だし。私は別に良いからさ。それにここは赤紙も届かないくらい誰にも知られてない所だから国のヤツなんて絶対来ないよ」

久島は赤紙という物がどんなモノか分からなかったが、取り敢えずはここに居ても良いという事は分かり、ほっと胸を撫で下ろす。

 しかし暫く経つと、魚と芳夏以外にも意識が行き届き、気になる事が生まれた。撫で下ろされて胸にまたモヤが再発する。

 ニつは自分のこの村での立場。

 芳夏に運ばれている途中、当然村の道を通って家へ行かないといけないのだが、その時の周りの奇異の見る目に恐怖した。チラリと見れば人間とも遜色の無い見た目だが、少しでも目を凝らして見てみると口に無数の歯がある事が分かる。久島には無意識に口を開ける癖があるので、尚の事人間に分かりやすく映った。本人もその癖があるのは分かっていたが、どれだけ直そうとしても直らなかったので、殆ど諦め状態だった。ここも矢張りあの連中と同じなのか。

 二つ目はそれを匿う芳夏の立場。

 世間的に認められない亜人を庇う彼女に対しての目も、決して優しいモノでは無いだろう。これをきっかけに芳夏が孤立するのでは無いか、と久島は考えを巡らせた。そして、彼女にも自分達と同じ様な迫害を受けては欲しくないともまた思った。過去にも海の亜人と恋をして迫害され、精神を病んで自殺した女が居た事を思い出す。そこまで密な関係にはならないだろうとは思っていたが、矢張り共に居るだけでも世間からの目は厳しくなるのは事実だった。最近になると政府すら亜人の殲滅活動に精力的な為、その様な人間が国にすら追われるなんて事もあるだろう。

「あの、芳夏――さん。君が私を匿ってくれるのはとてもありがたいのだが、その――この村での君の立場が危うくなるのではないか?」

「呼び捨てでいいよ。あーね、元々ここの人とは関わり薄いし。それて私も亜人の類ではあるから。貴方が居ようが居まいがあんまり変わらないよ。あ、寂しさは無くなるかね」

聞くに、芳夏の遠い祖先は亜人であり、髪の色もこの亜人の血が影響している。あまりにも遠い祖先の為、何という種類の亜人かはもう分からないらしい。このような事情で、既に村での迫害は始まっていたそう。

「現状を何とかしようとは考えなかったのか?」

「まあ貴方も知ってる通り、亜人の関係者が社会的に認められるもんじゃない。どこに行ってもこれ何だから、いくら考えたって周りが変わる訳じゃないし、私が何か訴えても結果何にも変わんなかったよ。ンで失望して、今」

元気で健気な顔が、一瞬悲しい表情をしたように思えた。

「まあ、君が良いなら」

久島はいきなり自分の同類(同類とは言い難い程血は離れているが)に出会い、戸惑いこそしたが、暫く身を置かせてもらう事にした。

 村で暮らしている内、この村についても理解が深まった。

 ここは実際の所正式な村では無く、誰にも見つかっていない集落なのだそう。

 村は七橋村という名前で、村長の七橋義寿よしかずの上の名から名前が由来だ。

 誰にも見つかっていないというのは流石に言い過ぎで、芳夏の様な別の場所から来た人間も居る。しかし、国や近辺の街にも殆ど認知されていないのがこの村の特徴らしい。誰にも見つかっていない要因として山に囲まれている、という点にある。今時山に訪れる人間など殆ど居らず、山に登ろうにも山に伝わる伝統で誰も近づかない。観光地としてもあまり向かず、現代では自殺の名所にもなっている。また狩人達が山に来たとてそんな村を気にしている余裕は無い。それにこのような事もあり、村のも行いやすいという。

 それでも外界からとの関わりが無い訳では無く、村民は度々魚や本、情報を手に入れる為に山を越え、街へと出向く。情報や本の確保は個人の自由だが、足が悪い人の代わりに請け負って物を買いに行く者や、村で食料を調達する役割を担う者も居て、流通は悪くは無い。久島はそもそも人間の暮らしに触れないので、村民にとっての普通も久島にとっては全てが珍しく見えた。

 兎に角、ここが人間の住む所の中でも随分と特殊な場所だという事は、人間の世界をほぼ知らない久島でも理解をする事が出来た。特に村のが最も異常だと感じた。

 暫く――三年くらい経ってからだろうか。この村に順応できるようになった久島は芳夏が自分に好意を抱いている事に気がつく。実際の所、出会って一年くらいというだいぶ早い時期には好意を持っていたが、鈍感な久島はそれに気がつくのにニ年も費やしたのだ。彼自身の性格からもそのようなモノとは無縁で気づきにくかったのもあるが、矢張り周りの目というモノは意識を削ぐ様で、少しだけメンタルを崩していた時期もある程に、村ぐるみの冷めた目は強烈な力があった。学校でのいじめに近く、村の伝承で街でこの村の事を仄めかすような発言は禁止されており、ここが普通の村であっても自分達が亜人である事実は変わりないし、街で告発したとて自分達が更に場所を追われる事になるのは必至だった。

 恥を忍んで芳夏に自分に思いを寄せているのかと問うと芳夏は大笑いし、君は本当に鈍感だな、と顔を赤らめながら言った。久島が顔の色を指摘すると、矢張り恥ずかしかったのかその真っ赤の顔を慌てて隠した。久島はこの時、芳夏の女らしい部分を初めて見た。そもそも芳夏が男寄りの気が強い性格だった為、本来ならばそのような顔はしないのだが、矢張り恋は人を変えるのか。

 特に恋人らしい事もしなかったが(そもそもこんなに狭い村で何をするのだ、という話ではあるが)、二人は客観視して二人で居る時間が増えたように見える。家で共に暮らすだけでは無く、山奥で茸なんかを一緒に取りに行ったり、口元を隠しながら、街へ買い物に行ったりもした。買う物は別に風変わりした物では無く、いつも通り本や雑誌などの暇つぶしだった。それでも最終的に二人は交配までに及び、それを聞いた近隣住民により事実上の結婚だと村全体に知らされた。当然、亜人のペアという事で村での祝福や式も執り行われなかったが、二人はあまり気にしなかった。いや、気にする余裕がない程に嬉しかったのだろう。

 二人の間に子供が出来たのだ。もう分かりきってる事だが、この芳夏の腹で眠る赤ん坊こそが後の大鰭亜門である。二人はこの授かった命を大切に育てていき、普段芳夏が担っている村の役割を肩代わりしたり、数少ない村の友人に芳夏の様子を見てもらったりして久島は彼女の体調を気遣いながら、懸命に働いた。そして出産を迎える日、芳夏に災難が降りかかる。

 なんと面倒を見ていてくれた友人が豹変し、芳夏に暴力を振るったのだ。拳で何度も、何度も、何度も。後に別の村民から赤ん坊を殺せ、と言われていたそうで、流石に赤ん坊を殺すのには躊躇いがあったのか、殴ったのは母親の顔面だった。久島が帰ってきた頃にはその友人は居らず、鼻が折れて意気消沈としている芳夏のみが横たわっていた。久島が芳夏に近づき手当をしようとした所、産気づいたのか芳夏に痛みが襲いかかった。久島はそれをすぐに察知し、事前に確認していた手順でテキパキと出産の準備を始める。幸いにも殆どの準備は友人がしてくれており、あまり時間をかけずに我が子を取り出す事が出来た。出産は難産という訳でも無く、するりと赤ん坊が出てきたという。するり、というのもおかしな表現だが、普通の出産よりも安定して行われたという。母子共に健康――とは行かなかったが、子供は健康に産まれてきた。産声を上げず一瞬戸惑ったが、久島が優しくペシペシと顔を叩くと、すぐに大きな産声を上げた。これが、鮫古大鰭亜門の誕生だった。この時、安堵の隙を突いた友人からの暴力のショックは強く、大鰭亜門が二ヶ月目になるまで精神が不安定な状態が続き、人と会う事に拒絶反応をするようになった。しかし、持ち前の精神力で何とか持ち直し、再び外に出るようになり、久島はものすごく安心したという。

 しかしその後すぐに芳夏の精神を粉砕する出来事が起きたのはまた別の話。


 大鰭亜門が三歳の頃には久島は家には居らず、芳夏は笑顔を見せる事は無くなっていた。しかし、家で転がっている訳でも無く、芳夏は朝早く起き、畑仕事をした後村の会合に出るという仕事三昧の日常を送っていた。子を思う母は強いという。大鰭亜門はそんな母を尊敬し、母の日には必ず贈り物をしていた。大鰭亜門は年齢の割に達観していたので、母の好みもすぐに分かり、毎年違う贈り物を用意していた。更に日に日に母への尊敬の念が高まり、遂には筆跡まで似せたという。漢字が書けなかったが、必死に母のメモなどを見てコピーしていた。ここまで来ると尊敬というより崇拝に近い感情なのだろう。更に父の日には、こんなにも素晴らしい女性が好いた男が自分の尊敬に値しない人間な筈が無いと考え、父の日には母と一緒に白い百合を買いに行った。

 亜人と亜人の間の子供という事で、村の大人達からは蔑まされていたが、子供社会というモノに種族など在って無いようなモノで、幼稚園の頃は平仮名片仮名アルファベットの読み書きが出来るとして中心人物になった。しかし、矢張り大人達はそれを見過ごす訳には行かず、小学生になると大人の教育により、次第に大鰭亜門に近づく者は居なくなっていった。しかし大鰭亜門は父の鮫の亜人の特性は受け継いでおらず、母の髪色も全く受け継いでいなかった。受け継いだのは父の顔立ちや母の身体能力や精神力程度で、完全に人間と差異は無い。ただ久島と芳夏。二人の子だからという理由で、村は大鰭亜門を避けたのだ。本人も心底この扱いには納得していなかったが、反発したところで何も変わらないし

 大鰭亜門というのは偽名で、母に手伝ってもらいながら考えた名前だという。この時点で最早幼稚園児の域を超えているが、国語力もずば抜けていた。五歳の頃には殆どの漢字を読めるようになり、久島の読んでいた本棚の本を読み漁っていて、もう中学生のような生活を送っている。これが世間ならば天才だ天才だと持て囃されていただろうが、ここは七橋村。外界との関わりを最も嫌うであろう場所。そんな行動は持て囃される所が、逆に不気味さを演出していた。しかし、大鰭亜門自身は勉強というモノが大の嫌いだったので、逆に助かったとも後に言っていた。更に愛読書が寄りにも寄って「人間失格」なのでその不気味さには拍車がかかった。

 独特の本を読んでいたからか、次第に性格も捻くれていき、徐々に同年代の子供との気持ちもかけ離れて行ったという。というか、思考やモノを見る目が他と違ったのだ。子供ながらもとてつもないスケールの話を途端にしたり、絵を見ると中心となるモノでは無く奥行きや椅子の縁の木の煌びやかさに目を寄せるなどといった事をする。三年生になると、自分達と何か変だと感じた小学生達は、自ずと大鰭亜門から離れていった。一人を除いて。

 このようなとても十年しか生きていない人間が抱えていいような境遇や感情、才能では無かった。大鰭亜門自身もこんな自分に嫌気が刺しながらも母譲りの精神力で、壊れるに壊れられない不安定な精神を彷徨っていた。そんな時大鰭亜門の黒々としたコーヒーのような人生に、一つの柔らかいシロップがかかる。

 今日も今日とて柔らかい光を浴びながら本を読んでいると、ドタドタと走る音が大鰭亜門に近づいてくる。

「大鰭くん!」

スパンと綺麗な音で入り口の戸を開けるそれは、母、芳夏によく似た女の子だった。背丈や声からして同年代だろう。しかし母も然り、こんな派手な髪の色の人間はこの村には殆ど居ない。というかその二人以外大鰭亜門は見た事が無かった。新しく村に来たのだろうか。

「私、和田咲!新しくこの村に来たんだ。よろしくね!」

「ああ、俺は鮫古大鰭――あ〜ちょっと待って」

一方的に挨拶を済ませると、こちらの声には耳も向けずにどこかへ走っていった。廊下からは同じような言葉を誰かに向けていっている。挨拶回りかのように思ったが、あまりの声量とスピード感で、最早これは挨拶回りというより爆音で鼓膜を壊すテロなのではないかと大鰭亜門は感じた。

 和田咲。この女子との出会いが、大鰭亜門の運命を大きく変えた。

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失う 渡世鮫爽 @samezoo

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