透明人間になった僕がここにいる理由

@saku_0213

第1話 遠い思い出

蝶の幼虫を虫かごに入れ持って帰ってきた僕を母は見て、とても嫌そうな顔をした。

「もう、しんちゃん、リビングには絶対に持って入らないでね。後、片付けるのは自分でするのよ。放ったらかしにしないでね。」

「うん、大丈夫。絶対、綺麗な蝶まで育てるんだもん。近くに食草があって、もしかしてって思って探してたら幼虫がおったんよ。見てみて〜、可愛いやろぉ。」

母は困った顔で、何も言わず台所に戻っていった。幼少期の自分は町の幼虫を捕まえて、家で育てるのにハマっていた。今までもアゲハ蝶、シジミ蝶の色んな種類の蝶を飼育して、羽化させていた。今回育てたのはアオスジアゲハ。成虫になると、羽根が黒と水色のとても綺麗な蝶になる。食草はクスノキで、割と身近でどこにでも生えている木だった。幼虫が葉っぱを食べるスピードは早いし、しばらくすると取ってきた枝も枯れるので、交換しつつ幼虫が大きくなるのを見守るのだった。それでも、ある程度枝の鮮度も保ちたかったから、枝の先を濡れたティッシュで包み、アルミホイルで巻いて幼虫の傍に置いていた。

幼虫はものすごい勢いで葉っぱを食べる、静かな場所でよく耳をすませば、葉っぱをかじる音が聞こえてくる。無加工なただの葉っぱだけど、取ってきた労力を考えて、美味しそうに食べる幼虫を見ているのは気持ちよかった。うんうん、美味しいんだね、美味しんだねって。

昔から、見る、観察するのが好きだった。好きな物はじっと見ていたい。その興味は幼少期は生き物の観察に向かっていた。ザリガニ、魚も飼ったし、ハムスターを飼ったこともあった。それぞれが生きて動いているのを見るのが好きだった。

アオスジアゲハは順調に大きくなり、サナギになった。自分は行き当たりばったりの飼育をしていたので、いつ羽化するとかも分からないまま、羽化したらすぐ外に出してあげられるように、気づけるところに置いていた。サナギになって何日も経ち、その存在を忘れかけていたころ、飼育ケースから不気味な音が聞こえた。それは蝶の羽音ではなく、蜂が飛んでいる時の音だった。恐る恐る中身を確認するが、ブーンと低い音がなり、怖くて動けない。ここには蝶のサナギがあったはず、綺麗な蝶はどこ…。黒い影が動いているのが分かった。現実は残酷だった。自分が丹精込めて育てていて空に羽ばたくはずだった蝶に最初から未来なんてなかったのだ。じっと見つめていたあの可愛い幼虫も体の中を蝕まれつづけていたのかもしれない。

正体は寄生バエだった。ここでは詳しくは説明しないが、最後は怖くて親に頼んで、外に出してもらった。空っぽのサナギの空。後々、自然界ではそんなに珍しいことではないということを知るのだが、それからぽっきり蝶の幼虫を育てるのは辞めてしまった。自分が何を育てているのか分からなくなって怖くなるから。

現実は残酷だ。そして、非現実も残酷だ。起きてしまったのならもうそれは現実かもしれない。そもそも、非現実が起きてしまったなら、今が現実だと言い切れるだろうか。

ニート(26)だった自分は、透明人間になってしまった。それは自分の心からの願いが通じた結果だったのだけど。非現実も甘くない。大雨の中、雨に打たれ、人をすり抜けながら、歩いていた。

この世界に僕がいない喜びを感じていた。

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