聖女の実力 4
(何が起こった?)
マリウスは、茫然とヴィルヘルミーネを見つめていた。
ロヴァルタ国の北東で、小さな小さな瘴気溜まりが見つかったと報告を受けたのは、ヴィルヘルミーネに婚約解消を突きつけた直後のことだった。
まだほんの小さな瘴気溜まりなので、影響はほとんどなく、ただ、年月が経つにつれて少しずつ周囲の瘴気を取り込んで大きくなっていくことが想定されたので、周辺に住んでいた住人たちを移住させる準備はしている。
そのタイミングで、ラウラ・グラッツェルが聖女かもしれないと気づいたマリウスは自分の幸運を神に感謝したし、聖女を娶ったものとして周辺諸国に大きな顔ができるとほくそ笑んだ。
ラウラが実際に聖女としての力を有しているかどうかは、彼女を瘴気溜まりにつれて行って浄化ができるかどうか試してみなければわからないが、ロヴァルタ国でも一、二を争うほど強い白魔術の使い手だ。
加えて、ラウラの愛くるしい外見は、いかにも聖女らしいもので、彼女が聖女でないなんてマリウスは一辺たりとも疑っていなかった。
そんな折、元婚約者のヴィルヘルミーネがシュティリエ国で聖女として認められたという報告を受けたが、その認定は虚偽であるに決まっていた――はずだったのだ。
(何故、兎が元に戻った?)
あの兎は、ヴィルヘルミーネが偽の聖女であることを証明するために、籠に入れたまま瘴気溜まりの中に放置し、瘴気まみれにした兎だ。
元は真っ白な兎だったが、瘴気に蝕まれて汚らしく変色し真っ黒になった。
あの兎を浄化することを求めれば、ヴィルヘルミーネは青ざめて自分が偽物であることを認めるはずだったのだ。
それを持って、ラウラが唯一の聖女として箔をつけ、ヴィルヘルミーネとの婚約を解消した自分の正当性を知らしめるつもりだった。
それなのに――どうなっている。
瘴気まみれの兎の檻をあけ、躊躇わず腕に抱いたヴィルヘルミーネは、ほんのわずかの間に、あの汚らしい兎を元の真っ白な兎に戻してしまった。
信じたくはないが、瘴気を浄化したようにしか、マリウスには見えなかった。
――パチパチと割れんばかりの拍手と歓声が、大広間に響いている。
そのどれもが、聖女の誕生を祝福するものばかりで――こんなつもりではなかったのだと、マリウスは拳を握り締めた。
ヴィルヘルミーネを、陥れるつもりだった。
マリウスがヴィルヘルミーネと婚約破棄をしたことは、間違っていなかったと証明するつもりだった。
(これでは……僕が笑いものじゃないか…………)
マリウスが、ヴィルヘルミーネを捨てたのに。
きっと世間は、マリウスが聖女に捨てられたと思うはずだ。
その評価は一生ついて回り、マリウスはきっと、聖女をみすみす他国に取られたと、周辺諸国に嘲笑われ、国内の貴族たちからは責められる。
――そんな屈辱を味わうなんて、まっぴらだ。
何とかしなくてはならない。
このままでは聖女に捨てられたというレッテルが張られてしまう。
もちろん、マリウスにはラウラがいる。ラウラがいるが――、彼女を聖女と認定したが、聖女であるのか確かめたわけではない。
もしも、だ。
万が一、ラウラが聖女として覚醒しなければどうなる。
我がロヴァルタ国の北東には、小さな瘴気溜まりが発見された。
まだ小さなものなので、あと十年やそこらは、それほど影響は出ないだろう。
周辺から人を移住させさえすれば、それだけでいい。
しかし、ラウラを聖女として認定した以上、国民はラウラに瘴気溜まりを浄化するよう求めるだろう。
その訴えを無視し続けるわけにはいかないし、そんなことをすればラウラが偽物だと言っているようなものだ。
そんなことになれば、マリウスは本物の聖女に捨てられ、新たな婚約者を偽物の聖女に仕立て上げた愚者と侮られる。
そして、瘴気溜まりが発生している以上、国民たちからは責められるだろう。
下手すれば、世論によって王太子の位を引きずり降ろされる可能性だってあった。
(こんなはずでは……)
マリウスは青ざめた。
このままでは、本当にまずい。
何か手を打たなければとヴィルヘルミーネを見たマリウスは、そこでハッとした。
(そうだ。ヴィルヘルミーネを取り戻せばいい)
幸いにして、ヴィルヘルミーネとライナルト王子の婚約の書類は整っていない。
先ほど父は二人の婚約を認めるような発言をしたが、書類はまだ作成していないのだから正式なものではない。
ヴィルヘルミーネを取り戻すなら、今しかなかった。
マリウスは蒼白な顔で言葉を失っている父を振り返った。
「父上、聖女を他国に取られてはいけません」
マリウスの言葉は、広間の歓声にかき消されたが、父の耳には届いたらしい。
父もハッとし、それから大きく頷いた。
瘴気溜まりがある以上、父も聖女の確保に動かなくてはならない。
聖女かもしれないが現時点で確定していないラウラよりも、今まさに目の前で浄化の力を使ったヴィルヘルミーネを確保すべきだ。
父が慌てて立ち上がり、静まるように手を上げる。
聖女の浄化に湧いていた広間が、王の言葉を聞くためにシンと静まり返った。
父はまだ青い顔をしていたが、コホンと一つ咳ばらいをすると、口を開いた。
「ヴィルヘルミーネ、素晴らしい力であった」
「恐れ入ります」
ヴィルヘルミーネは、固い顔で答えた。
今日は幾分かましだったが、あの好きになれないきつい顔の女がまた婚約者に戻るのかと思うとうんざりするものがあったが、自分がこの先笑われ続けるよりはましだ。
父は、ごほんごほんと何度かわざとらしい席をしてから、少し言いにくそうな声で言った。
「あー、それで、ヴィルヘルミーネ。そなたはシュティリエ国のライオネル殿下と婚姻を結びたいとのことであったが……、申し訳ないが、それについては却下させてくれ。素晴らしい聖女であるそなたはやはり、この国に留まるべきだ」
そんな下からではなく、もっと堂々と発言してほしいと父を軽く睨んだ後で、マリウスはヴィルヘルミーネに笑いかけて手のひらを差し出した。
「いろいろ誤解があったようだが、ヴィルヘルミーネ。君こそ、次期王妃にふさわしい」
マリウスがここまで譲歩しているのだ、戻ってこないはずがない。
けれどもヴィルヘルミーネはあんぐりと口をあけて、それから言った。
「丁重に、お断りします‼」
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