聖女の実力 3

 ……なんで?


 わたしは、思わずライナルト殿下を見上げていた。

 ライナルト殿下は檻に閉じ込められた黒い兎を見つめて青ざめた顔をしている。


 ……どうして? 魔王に呪われていたのはライナルト殿下で、他にはいないはずでしょう?


 ライナルト殿下以外に魔王に呪いをかけられた人がいるなんて設定、わたしは知らない。

 指先から冷たくなっていくのを感じながら、わたしは檻の中を凝視した。

 兎は、檻の中で苦しそうにうずくまっている。


「……違う」


 ライナルト殿下が、ぽつりと言った。


「あれは呪いじゃない。あれはただの兎だ。だけど……」

「そうね、兎でしょうね。でも、ただの兎じゃないわ。あの兎からは瘴気の気配がするもの。……たぶんだけど、兎を、瘴気溜まりか何かに放置して、瘴気まみれにしたのよ。あの子、放っておいたらあと数日で死ぬわね」


 お母様が固い声で言う。


 ……なんてことを‼


 わたしはマリウス殿下を見上げて、キッと睨みつける。

 なんてひどいことをするのだろう。

 きっと、あの子は故意的に瘴気溜まりに置かれて瘴気まみれにされたのだ。

 マリウス殿下はわたしの視線を受け止めて、にやりと笑った。


「先日、我が国に小さな瘴気溜まりが発見された。なに、小さなものだ。今のところそれほど害があるものではない。だが、可哀想なことに、その場にこの兎がいて、この通り瘴気まみれになってしまった。聖女であれば、この憐れな兎に慈悲を与えてくれることだろう」


 白々しいにもほどがある。

 動物は人よりも敏感だ。

 瘴気溜まりに自分から近づくような愚かなことはしない。


 ……とことんくず野郎ね、あいつは‼


 あれが魔王の呪いではないとはわかっていても、黒い兎を前にして、ライナルト殿下が冷静でいられるはずもない。

 ぎゅっと拳を握り締めて、優しい王子は、今にも泣きだしそうな顔をしていた。


「ヴィル……」


 そのあとに続く、声にならない叫びを、わたしはしっかりと受け止める。

 あの兎を、助けてくれと言いたいのだ。

 同じく聖女認定されたラウラは、兎を見ても何も思わないのか、つまらなそうに自分の髪をいじっていた。


「さあ! 偽物の聖女でなければできるはずだ! それとも、偽物なのか? ああ、そうだろうな! お前のように性格の悪さが顔ににじみ出ているような女が、聖女なはずがない!」

「あの小僧……!」


 おじい様が不穏な唸り声上げて、今にも飛び出していきそうになった。

 お父様が「今行くのはまずいです!」と言っておじい様を抑えている。

 お母様は冷ややかに目を細め、口端だけを持ち上げて笑うという器用な表情で、マリウス殿下を見つめたまま言った。


「ヴィル、やってしまいなさい。わたくしもさすがに腹が立ったわ」


 ……いや、お母様は結構短気だから、怒りを我慢する方が珍しいと思うけどね。


 そんなツッコミはもちろん入れられないので、わたしはライナルト殿下に向かって微笑んで「大丈夫ですよ」と安心させると、王族席に向かって歩き出した。

 マリウス殿下は勝ち誇った顔で、「偽物だと認めるのならば許してやろう」などと意味不明なことを言っている。


 許す?


 なんでわたしが、マリウス殿下に許してもらう必要があるのだろう。

 そもそも、何を許すと言うのか。


 わたしはマリウス殿下を無視して、兎が入った檻に近づく。

 側にいた兵士に檻の鍵を受け取って、檻の扉を開けた。


「お、おい、何をして――」


 わたしが檻をあけると思っていなかったのか、マリウス殿下が狼狽えたような声を出す。

 それも無視をして、わたしは檻に手を入れると、恐らく全身が痛いのだろう、動けなくなっている黒い兎をそっと腕に抱き上げた。


 ……可哀想に。もう大丈夫だからね。


 背中を撫でながら、一生懸命訓練して、今ではそれなりに自在に操れるようになった浄化の力を使う。

 わたしの腕の中で、真っ黒だった兎が、少しずつ少しずつ黒から白に変化していった。

 痛みが消えたのか、ひくひくと鼻と耳を動かしている。可愛い。


 兎が真っ白になると、マリウス殿下は、はくはくと声もなく口を開閉させたが、わたしはやっぱりそれも無視をして、兎を抱きかかえたまま王族席から降りていく。


「お、おい!」

「浄化せよとのことでしたので、浄化しました。もうよろしいでしょう?」


 こんな小さな子に、なんて非道なことをするのだとマリウス殿下を睨みつけて、兎を抱えてライナルト殿下の側に向かうと、わたしの手から兎を受け取った殿下が心の底から安堵したように笑った。


「よしよし、痛かったな」


 蝕まれる体の痛みを知るライナルト殿下が、兎の背を優しくなでる。

 いつの間にかシーンと静まり返っていた大広間の中から、ひとり、またひとりと手を叩くものが現れて、やがて大きな歓声の渦となった。


「よくやったぞヴィル‼ さすが私の孫娘‼」


 おじい様が興奮した声を上げ、お母様とお父様も褒めてくれる。


 王族席では、茫然と立ち尽くすマリウス殿下の横で、両手で顔を覆っている国王陛下と王妃様の姿があった。



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