偽物ならそれで構いません 1
ロヴァルタ国王太子マリウスは、今しがた父から聞かされた言葉に「は?」と目を剥いた。
「ちょ、ちょっと待ってください‼ ヴィルヘルミーネがシュティリエ国の聖女として認められて病弱だと噂の第一王子と婚約予定って、どういうことですか⁉」
秋になって、ロヴァルタ国でも社交シーズンがはじまる時期である。
社交シーズンがはじまると、領地持ちの貴族たちの大勢が社交のために王都に集まって来る。
王都の貴族のタウンハウスでは、きらびやかなパーティーが開催されるようになり、高位貴族ともなれば、各家からひっきりなしにパーティーの招待状が届く。
ロヴァルタ国の西。
海に面する国で一番大きな領土を持つフェルゼンシュタイン家も、毎年の社交シーズンで過ごすために王都にタウンハウスを構えていた。
ヴィルヘルミーネは、今年の夏までマリウスの婚約者であったため、毎年必ず社交シーズンには家族で王都に来て、マリウスとともにあちこちのパーティーに出席したり、公務のパートナーを務めたりしていたのだ。
それがどういうわけか、今年はタウンハウスにフェルゼンシュタイン家はやって来ず、代わりに隠居していた先代当主――先の王弟が当主代理としてやってきたのだ。
というより、マリウスから見て大叔父である前フェルゼンシュタイン公爵は、社交シーズンがはじまるより早くに王都にやって来た。
そして、父の執務室に、問答無用で乗り込んできた。
その時、用があって国王の執務室にいたマリウスは、そのとき見た大叔父の顔に凍り付きそうになった。
大叔父は、見たこともないほど激怒していたのだ。
父は昔からフェルゼンシュタイン前公爵が苦手で、怒り狂った彼の顔を見るなりすぐに逃げ腰になっていた。
いまだ衰え知らずで矍鑠としている大叔父は、つかつかと父の執務机まで歩いてくると、腕を組んで仁王立ちになった。
「私の可愛い孫娘に、ずいぶんな仕打ちをしてくれたみたいですね、陛下」
その一言で、大叔父の怒りは、マリウスがヴィルヘルミーネに婚約破棄を突きつけたことにあると理解した。
しかし、それについてはマリウスも、そして父にも言い分がある。
マリウスと父がラウラ・グラッツェルが聖女の可能性が高いこと、聖女は他国に取られないように王家に取り込んでおく必要があることを説くと、大叔父は片眉を跳ね上げ、「……可能性ねえ」と含みのありそうな相槌を打った。
確かに、「可能性」の段階でヴィルヘルミーネに婚約破棄を突きつけたのは時期尚早かもしれなかったが、これにもちゃんと理由がある。
が、この理由は、口にすれば大叔父の怒りに油を注ぐ結果になるのはわかっていたので到底言えたものではない。
――そう、マリウスがラウラ・グラッツェルに惚れたなんてことは、絶対に。
ヴィルヘルミーネとの婚約は、確かに王家がフェルゼンシュタイン公爵家に申し込んだものだったが、マリウスの意思ではない。
マリウスはヴィルヘルミーネの顔が好みではなかったのに、父が勝手に推し進めたのだ。
ただ、ヴィルヘルミーネの顔が好みでないだのと言えば、やっぱり大叔父をさらに激怒させるのはわかっていたので、もちろんこれも言えない。
大叔父はしばらく父とマリウスを睨んでいたが、ふ、と息を吐くと、口端を持ち上げた。
けれどもその顔は、笑っているようには見えなかった。
底冷えがしそうなほどの冷気が漂っている、一見笑顔に見えるが笑顔ではない表情に、マリウスは凍り付きそうになった。
大叔父は、低い声で、ゆっくりと言った。
「――陛下、約束を、覚えていますね」
そう言って大叔父は、筒状に丸められている羊皮紙を取り出した。
さっと父の顔が青ざめたのがわかる。
「それは――」
「王家の印をついた約束です。違えるなら、我がフェルゼンシュタイン公爵家および、私と懇意にしている国々をも敵に回すことになりますが、よろしいですか?」
いったい、そこに書かれている「約束」とは何なのだろう。
マリウスは気になったが、父に執務室を出ていくように言われて、中を確認することはできなかった。
ただ、父の様子から、羊皮紙に書かれていた内容はよほどのものであると推測で来たが、いまだにその内容については教えられていない。
そして、大叔父はそのまま王都のタウンハウスに滞在し、今日になっても、ヴィルヘルミーネたちはやって来ていなかった。
――その、ヴィルヘルミーネが、シュティリエ国で聖女だと認められて、第一王子ライナルトと婚約する予定?
ヴィルヘルミーネはマリウスに捨てられて、今年の社交界で笑いものになる予定だったはずだ。
それなのに社交シーズンに王都に来ないばかりか、第一王子ライナルトと婚約する予定とはどういうことだ。
いやその前に、聖女というのがわからない。
父は難しい顔で腕を組んだ。
「そのままの意味だ。シュティリエ国の国王陛下より、ヴィルヘルミーネとライナルト殿下の婚約を認めてほしいと書状が届いた。そして、来月には、ヴィルヘルミーネとライナルト殿下が城にやって来るので、婚約許可証を発行してほしいとある」
ヴィルヘルミーネはロヴァルタ国の貴族だ。
そのため、ヴィルヘルミーネがシュティリエ国第一王子ライナルトとの婚約は、ロヴァルタ国王である父が承認する必要があった。
ゆえに、言っている意味はわかる。
わかるが――やはり、わからない。
「どうしてヴィルヘルミーネがシュティリエ国の第一王子と婚約するんですか⁉」
「ヴィルヘルミーネの母は、シュティリエ国の王妹だ。不思議ではないだろう」
「だからって!」
「そんなことより、問題はヴィルヘルミーネがシュティリエ国の聖女だと認められたことだ。聖女だなんて……なんてことだ」
父は両手で顔を覆った。
ヴィルヘルミーネが聖女と言うことは、我がロヴァルタ国は、王太子の婚約者だった聖女との婚約を解消し、みすみす他国に奪われたと言うことだ。
周辺諸国に知られれば、失笑を買うどころの話ではない。
マリウスは青ざめた。
真実はどうあれ、周辺諸国はマリウスを、聖女に捨てられたものとして見るだろう。
本当はマリウスがヴィルヘルミーネを捨てたのに、どんなに言葉を重ねても周囲はそうは受け取らない。
それどころか、言い訳をすればするほどマリウスが滑稽に映り、マリウスが王位を継いだ暁には、聖女に見捨てられた愚王という評判がついて回ることになる。
(嘘だ、ヴィルヘルミーネが聖女なんて……あり得ない‼)
あんな性格の悪そうな顔をした女が聖女だなんて、人を馬鹿にするにもほどがある。
「父上‼ そんなの、出まかせに決まっています‼ ヴィルヘルミーネが聖女だなんて、あり得ません‼ きっとあいつは、自分の母親がシュティリエ国の王の妹という立場を利用して、シュティリエ国王に自分を聖女として認めるように迫ったのです‼ 聖女の力なんて、あいつが持っているはずがない‼」
「仮にそうだとしても、ヴィルヘルミーネはシュティリエ国の聖女として聖女認定式を受けている。聖女であると認められているのだ。……最悪だ」
マリウスはぎりっと奥歯を噛んだ。
ヴィルヘルミーネは聖女ではない。
聖女でないのに聖女として認定させるなんて、ヴィルヘルミーネは外見に違わずどこまでも性悪な女なのだ。
忌々しいと舌打ちしたマリウスは、そこでハッとした。
「そうです! あちらがその気なら、こちらもラウラを聖女として認定すればいいじゃないですか! そうすれば何ら問題ありません! 諸外国にも笑われずにすみますし、俺の未来の妃が聖女だと箔がつきます!」
「ラウラは聖女の力に目覚めていないだろう! 虚偽の認定式などできぬ‼」
「シュティリエ国も虚偽の認定をしたではないですか!」
「虚偽だと決まったわけではないだろう?」
「虚偽に決まっています! ヴィルヘルミーネが聖女だなんて、絶対にない!」
「ヴィルヘルミーネは優れた白魔術師だった。絶対にないと言うことはないだろう?」
「聖女は、聖女らしい女性がなるものです!」
あんな性格の悪そうな女がなれるはずがない。
父はまだ納得がいかないのか、難しい顔で唸っている。
だが、マリウスも折れるわけにはいかなかった。
ここでラウラを聖女にしなければ、笑われるのはマリウスだ。この先、王になったマリウスは、一生諸外国に愚王として侮られることになる。
そんなことは、耐えられない。
「父上‼ ヴィルヘルミーネは聖女ではありません‼ その化けの皮を、この僕がはがして見せます‼ ですので、ラウラに聖女認定式を……!」
ヴィルヘルミーネが婚約の承認を得るためにシュティリエ国の第一王子と城に来る前に、何としてもラウラを聖女にしなければならない。
(大丈夫だ、ラウラは聖女のはずだ。まだ浄化の力に目覚めていないだけで、聖女のはずなんだ!)
父はしばらく考えこんでいたが、このままでは周辺諸国に嘲られるというマリウスの言葉に納得を示し、やがて諦めたように頷いた。
「まあいいだろう。聖女と認定したところで、実際に聖女の力が必要になることなどそうそうありはしないのだ。わかった。ラウラに認定式を受けさせよう」
「ありがとうございます、父上!」
マリウスはぱあっと顔を輝かせると、ヴィルヘルミーネの忌々しい顔を思い出してほくそ笑んだ。
(ふんっ、絶対にお前の化けの皮をはがしてやる。見ていろよヴィルヘルミーネ。お前が聖女なんてありえないんだ‼)
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