訓練とうさ耳 4

 パーティーを抜け出し、ライナルト殿下が向かったのは、なんと、彼が閉じ込められていた塔だった。

 もしかしてこの階段を頂上まで登る気ではあるまいかとぞっとしていると、ライナルト殿下がわたしの両手を優しくつかむ。


「手を離さないでね。触れていないと、俺にはコントロールが難しいんだ」


 そう言って、ライナルト殿下は風の魔術を発動させた。

 殿下が魔術を使うのをはじめて見たので、わたしは目をぱちくりとさせるが、よく考えて見たら父親は魔王を討伐した英雄で、叔母であるわたしの母は優秀な白魔術師だ。白魔術は使えないようだがライナルト殿下が強い魔力を持っているのは間違いないので、魔術が使えても不思議ではない。


 魔力があるなら、幼少期に魔力コントロールの訓練を受けると思うし、王族であるので、塔に閉じこもることになる前に魔術訓練を受けていてもおかしくなかった。


 わたしとライナルト殿下の体がふわりと宙に浮く。

 わたしたちはゆっくりと塔の吹き抜けを上へ上へと上昇していって、最上階のライナルト殿下が使っていた部屋に到着した。


「ふぅ……、できるだけゆっくり移動したつもりだけど、気持ち悪くなったりしなかった?」


 なんと、ゆっくり浮上していたのは、ライナルト殿下がわたしが気持ち悪くならないように気を使っていてくれたらしい。


 ……ああ、この優しさに、ときめく!


 優しくて素敵なライナルト殿下が、わたしは日を追うごとにどんどん好きになりますよ。際限がありません! この気持ちはどこまで膨れ上がっていくのでしょうか?


「大丈夫です! 全然、どっこも、気持ち悪くなんてありません!」


 キュンキュンしながら答えると、よかった、と微笑まれる。


「行くのはこの部屋の上なんだけどね」


 部屋の中に入って、右手側に小さな扉があった。

 開くと階段があって、上に昇れるようになっているようだ。

 階段を上ると塔の頂上だった。

 落下しないように高い壁がぐるりと覆っているが、天井はなく、キラキラと輝く星がすごく近くに見える。


「兎になってからは登れなかったんだけど、完全に兎になるまではここがお気に入りの場所だったんだ。床が石だからちょっと固いけど、寝そべるとすっごく綺麗なんだよ」


 ライナルト殿下がそう言って、ごろんとその場に仰向けに寝そべる。

 わたしも殿下の真似をして、その場に横になった。


「わ……」


 見上げた視界すべてが星空で、わたしは軽く息を呑む。

 本当に綺麗だった。

 遮るものが何もないからか、星がはっきりと見えて、キラキラと瞬く星屑が今にも降ってきそうなほどだ。


「綺麗ですね」

「うん」


 隣から返事があって嬉しくなって横を向くと、ライナルト殿下は星空ではなくまっすぐわたしを見ていた。


「星をキラキラした目で見てるヴィルが、とっても綺麗だ」


 ……きゃあわわわわあああああああ‼


 ピュア王子に当てられる‼


 ライナルト殿下の言葉は直球で、そしてそれを裏表も何もない純粋そのものの顔で言うから、時折わたしの心臓はその言葉に射抜かれて止まりそうになってしまう。

 あぅあぅあぁ……と、まったく言葉にならないうめき声をあげるわたしの手を、ライナルト殿下が優しく包むようにつないでくれた。


「ここでこうして星を見上げているとき、俺は、あとどのくらい人として生きられるんだろうって考えていたんだ。そのうち、俺はあの中の星の一つになるのかなって思いながら、いつも空を見上げていた。星空は綺麗だけど、寂しくて……、でも今日は、ヴィルがいるから寂しくないね。ただただ、美しいって思うよ」


 なんてことのないことのようにさらりと言われたライナルト殿下の言葉に、わたしは先ほどとは違う胸の痛さを感じた。


 ライナルト殿下は優しくて、いつもにこにこ微笑んでいるけれど、彼は生まれてからずっと魔王の呪いに苦しめられてきたのだ。


 いつまで生きれるかわからなくて。

 生きていても、人目を避けて生きていなくてはならなくて。

 そして日々刻々と、体が人ではなくなっていく恐怖は、いったいどれほどのものだろうか。


 わたしには到底想像することもできなくて、二十一年間も感じ続けた彼の心の痛みを理解してあげることができない。

 理解してあげたくても、こればかりは、実際に経験して見なければわからないことだろう。

 同情して、わかったふりをするのは、逆に失礼なことだ。


 寝ころんだ拍子に、帽子がずれて、その下に彼のふわふわな白いうさ耳が見える。


 あの耳が可愛いと。

 このまま消えなければいいのにと。

 考えてしまったわたしは、どれだけ罪深いのだろう。


 いくら可愛くても、似合っていても、あの耳はライナルト殿下の苦しみの象徴でしかない。


 ……わたし、最低だわ。


 あんな耳になんて、殿下はさっさと消えてもらいたかっただろう。

 わたしはゆっくりと起き上がる。

 ライナルト殿下も上体を起こそうとしたけれど、首を振って止めて、わたしの膝の上にそっと彼の頭を乗せた。

 殿下がびっくりしたように目をまん丸くしてわたしの顔を見上げている。


 ……こんな耳なんて、さっさと消えればいい。


 消して、ライナルト殿下を、本当の意味で呪いから解放してあげたい。

 そっと、ライナルト殿下の耳に触れる。

 ふわふわの耳と、さらさらな殿下の銀色の髪を撫でながら、わたしは静かに祈った。

 浄化の力のコントロールは、まだ完璧ではないけれど、できることなら今この瞬間に、殿下を苦しめるこの耳を消し去ってあげたい。


 祈りながら、殿下の髪と耳を撫でる手に、浄化の力を集中させていく。


「ヴィル?」


 殿下が、不思議そうな顔をしている。


 ……今、解放してあげますからね。


 わたしは、殿下に微笑み返して、全身全霊で集中して浄化の力を使う。


 やがて、ふっと手の中からふわふわの毛の感触がなくなって。


 そっと手を外してみると、殿下の頭から、二つのうさ耳は消えてなくなっていた。



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