黒兎? 白兎? 1
ロヴァルタ国王太子マリウスは、フェルゼンシュタイン公爵家の紋章が入った手紙をぐしゃりと握りつぶした。
この手紙は、マリウスが婚約者ヴィルヘルミーネ・フェルゼンシュタインへ宛てて出した手紙の返信だった。
一方的に婚約破棄を宣言した手紙に対して、ヴィルヘルミーネがよこした手紙には、丁寧な時候のあいさつの後で、短くこう書かれていた。
――婚約破棄、了解です‼
最初に、自分の目がおかしくなったのかと思って目薬を差してみた。
けれども文字に変化がなかったので、次に、もしかしたらこれは何かの冗談で、手紙が二枚重なっているのかもしれないと、どう見ても一枚しかない手紙の裏を何度も確かめた。
手紙はやはり一枚しかなかったので、最後に筆跡鑑定者を呼びつけて、この手紙が真にヴィルヘルミーネが書いたものであるかを鑑定させた。
「……あいつ、頭がおかしくなったのか?」
そして導き出した結論がまずそれで、次に、「了解です‼」の文字を読み返すたびに沸々とした怒りが込み上げてきた。
この女は、マリウスを馬鹿にしているのではなかろうか。
自分から婚約破棄を宣言したマリウスだが、こうもあっさり了承されると、それはそれで面白くない。
握りつぶした手紙を床にたたきつけ、マリウスは自分が十三歳の時に婚約した、一つ年下のヴィルヘルミーネの顔を思い浮かべた。
思えば、最初から気に入らなかったのだ。
美男美女と名高いフェルゼンシュタイン公爵夫妻の間に生まれたヴィルヘルミーネは、両親の遺伝子を受け継いでとても美しい少女だった。
しかし、美しくはあるのだが、いかんせん顔立ちがキツく、気の強そうな女だった。
当代一の魔術師と名高いフェルゼンシュタイン公爵と、優れた白魔術師であるフェルゼンシュタイン公爵夫人。
魔王を討伐するという偉業を成し遂げた二人の優秀さは、娘のヴィルヘルミーネにもしっかりと遺伝していた。
とはいえ、魔力量も王族であるマリウスをしのぐほど高く、勉強もできるヴィルヘルミーネは、どういうわけか、魔術に至っては特に特出すべき点はどこにもなかった。
いや、魔術も白魔術も使える彼女は、確かに優れてはいたのだ。
けれども、何か一つに突出しているわけではなく、どれをとっても平均よりは優れているが、ものすごく優れているわけでもない――何というか優等生止まり。
優れてはいる。だがパッとしない。それがヴィルヘルミーネの能力だった。
それゆえか、マリウスの中のヴィルヘルミーネの印象も、パッとしない女だった。
きつい顔立ちは全然好みではないし――スタイルがいいことだけがせめてもの救いだったが、女は年を重ねたり子を生んだりすると体形が変わると言うし、将来的にはあまり期待できない。現にマリウスの母もぽちゃっとしていて、腹の肉がドレスの上からでも丸わかりだ――、こちらが責めても泣きもせずに「頑張ります」としか言わない可愛くない性格をしている。
マリウスを見ても頬を染めるようなこともしない。
顔も中身も全然好みじゃないのに、その上魔術や白魔術においても特出すべき点がないなんて、とんだハズレくじもいいところだ。
ヴィルヘルミーネは確かに血統だけはこの国の他の貴族令嬢よりも頭一つ分飛びぬけてよかったが、ただそれだけなのだ。
血統だけでマリウスの婚約者を選んだ両親は、他の材料もしっかりと見るべきだったと思う。
そんなパッとしない女から、「婚約破棄、了解です‼」という恐ろしく軽い返事が届いた。
馬鹿にされているとしか思えない。
(ここで縋り付くなりすれば、多少は可愛げがあるものを)
マリウスの予想では、ヴィルヘルミーネは縋り付いてくるはずだった。
縋り付き、泣きじゃくる彼女を冷たくあしらい、絶望の淵に叩き落してやる予定だったのに、何故あの手紙で納得するのだろう。
(これでは僕の方が捨てられたみたいで気分が悪い)
いや、捨てられたと言うのはおかしいな。真実、こちらから婚約破棄を突きつけたのだから、捨てられたのではなく捨てたのだ。
マリウスは自分に言い聞かせて気分を落ち着けると、床にたたきつけた手紙をそのままにして、部屋を出た。
むしゃくしゃるするから、可愛い恋人に癒されたい。
隣の部屋に向かうと、ソファに座ってお菓子を食べていたピンク色の髪の少女が、水色の大きな瞳をぱちくりさせてからにこりと笑った。
彼女はラウラ・グラッツェル子爵令嬢で、優秀な白魔術の使い手だった。
城下町にお忍びに出ていたときに、ガラの悪い男たちに囲まれていた彼女を見つけて助けてやったのがきっかけで仲良くなり、つい先月、ヴィルヘルミーネのかわりの婚約者にすべく、こうして城に連れてきたのだ。
父と母は最初はいい顔をしなかったが、ラウラが強い白魔術の使い手で、その強すぎる力はもしかしたら聖女かもしれないと言ったところ態度を一変させた。
聖女は、公爵令嬢よりも王女よりも価値がある。
数十年に一人という割合でしか誕生しない聖女は、白魔術とは性質を異にする浄化の力を持っていて、聖女がいる国では魔王が誕生しないと言われているのだ。
聖女をよその国に取られるわけにはいかないので、どの国も、聖女が発見されたら必ずと言っていいほどその国の王族と婚姻を結ばせる。
だから父と母も、ラウラが聖女であるならヴィルヘルミーネとの婚約を解消し、ラウラを婚約者にするのは当然のことだろうと納得した。
そして、マリウスは意気揚々とヴィルヘルミーネに手紙で婚約破棄を宣言したのである。
「殿下も一緒に食べますか~?」
もぐもぐとケーキを口いっぱいに頬張って、ラウラがにこにこと笑う。
キツい顔のヴィルヘルミーネと違って、何とも愛らしい顔立ちの少女だ。
「ああ、もらおう。ラウラ、今日の勉強は終わったのか?」
「今日はぁ、疲れたから、お休みです」
「そうか。休むことも大切だな」
ラウラは聖女だが、子爵令嬢なので王妃になるための必要な教育が足りていない。
そのためこうして城で生活させ、妃教育を受けてもらっている。
教育など受けずとも、聖女という価値だけで充分ではないかとマリウスは思ったが、さすがに妃教育が終わっていない人間を王太子の妃にはできないらしい。
ラウラの隣に腰かけると、彼女が甘えるようにマリウスにすり寄って来る。
ヴィルヘルミーネと違って、ラウラはマリウスへの好意を隠さないので気分がいい。
(ヴィルヘルミーネは、ちっとも僕に甘えなかったからな。まあ、甘えてきたところで、突き放していただろうが)
だって、顔が好みではないのだ。
甘やかす気にもなれない。
「はい、殿下、あ~ん」
フォークに刺したケーキを口元に持ってこられたので、素直に口を開く。
「美味しいですか~?」
「ああ、ラウラに食べさせてもらうと何倍も美味しく感じられるな」
「きゃっ! もう、いや~ん、殿下ったら! ラウラ、恥ずかしいっ」
ポッと頬を染め、指先でマリウスの腕をつつくラウラが可愛い。
やっぱり女の子は、顔と中身が可愛くなくてはならない。
(手紙はムカついたが、社交シーズンがはじまれば否応でも王都に来るだろう。そのときの顔が見ものだな)
強がったところで、ショックを受けているのは間違いないはずだ。
王太子に捨てられてショックを受けない女がいるはずがないのである。
マリウスは来月からはじまる社交シーズンに思いをはせて、にまにまと笑った。
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