第一王子ライナルトの秘密 3

 一方その頃――


 王都の旧王宮――現フェルゼンシュタイン公爵家のヴィルヘルミーネの部屋で、くーちゃんと名付けられた真っ黒な兎が、ぱちりと目を開けた。

 寝床になっている籠の中で顔を上げ、軽く首をひねる。


(そう言えば、昼頃からどこかに出かけて行ったな)


 好物のリンゴを食べて満足して昼寝をしていたくーちゃんは、ぐるりと部屋の中を見渡してヴィルヘルミーネがまだ戻っていないことを確認すると、また籠の中にごろんと寝そべった。


(昨日あの女につかまった時はどうなるかと思ったが……)


 ぴくぴくと耳を動かし、鼻をひくひくさせ、そして手足を動かして「ふむ」とくーちゃんは考える。


 


 怪我をしている後ろ足はちょっと痛むがそうではなく、体が軋むような痛みがまるでなかった。


 痛む体でやっとのことで旧王宮の敷地までたどり着いたはいいが、彼は、たどり着いた場所が想像していた様子と異なることに愕然とした。

 これまで最低限の見張りを残して無人であったはず旧王宮には、どういうわけか大勢の人間がいて、それらが慌ただしく動き回っていた。


 どういうことだろうかと、茂みに身をひそめながら様子を見ていると、やがて庭に数台の馬車が入って来た。

 その馬車が見覚えのある王家のものだったので、彼は、もしかして他国の要人が訪問することになっていて、彼らのために旧王朝を住居として貸し出すのではなかろうかと推測を立てた。

 タイミングの悪い時に来てしまったものだと落胆し、けれども全身が軋むように痛んでまともに動けなかった彼は、仕方がないので庭の森の中で体の痛みがやわらぐまで待つことにした。


 朝にリンゴをかじっただけでそのあと何も食べていなかったので、日が暮れるころにこっそり邸の忍び込んで食べるものを探そう。

 体の痛みが落ち着けば、明日にでもまたどこか身をひそめられる場所を探せばいい。


(できれば誰もいなくて、雨風が凌げる場所がいいな)


 そんな風に思いながら、茂みの中でうつらうつらしていると、誰かが近づいてくる気配がした。

 目をあけて様子を探れば、派手な巻き髪のちょっと気の強そうな女が、けれども能天気そうな表情で歩いてくる。

 女はしばらく能天気な顔をしていたが、突然、何かショックな出来事でも思い出したかのような顔をして、視線を一点に固定して悩みはじめた。


(こんな変な女が、要人なんだろうか? いや、でも、なんかどこかで見たことがあるような……)


 どこだっただろうかと考えて、数年前まで暮らしていた城に飾られていた叔母の肖像画にどことなく似ているのだと気づく。

 父の妹である叔母は、隣国に嫁いでから一度も里帰りをしていないはずだ。


(もしかして、叔母夫婦が来たのか?)


 それならば、旧王宮を用意するのも理解できた。

 叔母はその昔、父とともに魔王を討伐した英雄だ。

 叔母の夫も、父の仲間として一緒に戦ったと聞いている。

 英雄夫婦をもてなすのに、旧王宮以上にふさわしい場所はないだろう。

 城だと落ち着かないだろうし、城の裏手の王宮は父と母と弟が使っている。そこに部屋を用意しるよりは、旧王宮を使ってもらった方が気兼ねもなくていいだろう。


(ということは、もしかして俺の従妹か?)


 はじめて見る従妹かもしれない女に、むくむくと興味が湧いてくる。

 女が踵を返しかけたので、つい追いかけるように一歩前に出た彼の気配に気が付いたのか、彼女がふと背後を振り返った。

 そして――


「野生の兎いたー‼」


 貴族令嬢らしからぬ奇声が彼女の口から発せられたことに驚いて、彼は反射的に森の中に逃げ込んだ。

 けれども、今の体では少し走るのが限界だった。

 全身に重くのしかかる激痛で動けなくなってうずくまっていると、女が彼を追いかけて森の中に入って来る。


「よしよし、怖くないからねー。傷の手当てをしようねー?」


 動けない兎を抱き上げて、彼女は外見のキツさからは信じられないくらいに優しい声を出した。

 そのときだった。

 あれだけ全身が軋むように痛かったのに、ふわりとその痛みが和らいだのだ。


(……?)


 この痛みには波があって、痛かったり痛くなかったりするのだが、こんなに突然痛みが消えたのははじめてだった。

 こてんと首を傾げ、彼女のふわりと柔らかな胸の感触に気が付いて、びくっと硬直する。


 そうして動けなくなっている間に、あれよあれよと、王宮の中に連れて行かれた。



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