黒兎、拾いまして 5
「へえ、庭に兎がいたのか」
晩餐時に、籠ごとくーちゃんを連れて降りて家族に紹介すると、お兄様が興味津々な顔で籠を覗き込んできた。
お兄様、前世から変わらず動物好きなのよね。
前世では非モテ男だった兄は、「俺にはぴよちゃんがいるもんね」と言って、飼っていた文鳥をわたしたち家族がドン引きするほど溺愛していた。
そのぴよちゃんも、わたしたちが地震で死ぬ半年ほど前に寿命を迎えてしまったけれど、その時の兄の落ち込みようはすごかった。ペットロスという単語をよく耳にするようになっていた時代だったけれど、あそこまで気落ちするのも珍しいと思う。
……一週間まともにご飯が食べれなくて、そのせいで倒れて入院したもんね、お兄ちゃん。
病院の先生に原因を聞かれて、飼っていた文鳥が死んだショックで一週間ろくにご飯を食べていないと答えて、ものすごい剣幕で怒られていた前世の兄の姿を思い出す。
遠い目をしていると、その隙にお兄様が籠の中からくーちゃんを抱き上げていた。
くーちゃんは黒い目をぱちくりさせて、長い耳をぴくぴくさせている。なんとなく警戒しているような気がする。
「うわっ、ふわっふわだ」
「なに?」
「まあ」
お父様とお母様が「ふわふわ」という単語に食いついて、くーちゃんを抱っこしているお兄様を取り囲んだ。
「まあ本当、ふわっふわね」
「ふわっふわだな」
三人に撫でまわされて、心なしかくーちゃんが迷惑そうである。
「お父様もお母様もお兄様も、くーちゃんは怪我してるんだからそのくらいで籠の中に戻してあげてくれない?」
「怪我? ああ、本当だ」
それは悪かったな、とお兄様がくーちゃんを素直に籠の中に返した。
フィリベルトがくーちゃんにご飯を上げてくれると言うので彼に任せて、わたしはダイニングテーブルにつく。
メイドが料理を乗せたワゴンを運んできて、美味しそうな夕食が並べられていく。
……料理人も雇ってくれていた伯父様、本当にありがとう!
家族全員前世の記憶があるので、当面自分たちで作ればいいよね~と軽いノリで料理人を連れてこなかったのだが、これだけ使用人がいたら料理人がいないときつい。
明日会う予定の、まだ見ぬシュティリエ国王の顔を想像して、わたしは伯父様と料理人、そして農家の皆様に感謝しつつ手を合わせる。
この世界は手を合わせて「いただきます」をする文化はないんだけど、前世の記憶を思い出してからは、家族全員がついつい前世と同じ感じで両手を合わせていた。
「「「「いただきまーす」」」」
四人の声がハモる。
「そう言えばお母様、伯父様には子供が二人いるのよね?」
「そうよ、男の子が二人。わたくしも会ったことはないけど、上の子が二十一歳で、下の子が十八歳だったかしら。……ただ」
お母様はそこで顔を曇らせた。
「第一王子には、会えないと思うわ。王太子……第二王子には会えるでしょうけど」
うん?
ちょっと待って。
お母様、何気にさらりと言ったけど、王太子は第二王子なの?
「第二王子が王太子ってことは、もしかして、王家のスキャンダル的な……」
「何を想像しているのか知らないけど、第一王子も第二王子もお義姉様――王妃様の子よ。いろいろあるのよ。ここでは詳しいことは言えないんだけど、第一王子……、ライナルトには、王位を継げない理由が、ね」
これはあまり深く聞かない方がいいやつだなと頷きかけたわたしは、「ライナルト」という名前に聞き覚えがある気がして「うん?」と首をひねった。
何か、忘れているような気がするんだけど、何だったかしら……?
「あれからもう二十一年だもんな」
「ええそうね、もう二十一年ですものね。……ライナルト、あとどのくらい持つのかしら」
お父様とお母様が神妙な顔をしてこそこそ言っている。
お兄様は伯父様一家の話よりももちゃもちゃとリンゴを食べているくーちゃんの方が気になるようで、まったく会話に入ってこない。
……お兄様、でれっでれね。溶けかけのアイスクリームよりでれっでれだわ。そんな締まりのない顔がもし女の子たちに見られたりしたら、ドン引きされると思うわよ。
お兄様のことは放置して、わたしは妙に頭の中に引っかかっている「ライナルト」という単語を思い出そうとしたのだけれど、どうしても思い出せなかった。
思い出せないと言うことは、それほど重要なことではないのかもしれない。
いやでも、わたしの本能が、思い出せと言っている気がするから、やっぱり重要なことなのだろうか。
うーんうーんと唸っていると、唸り声に気づいたお兄様が「腹でも痛いのか?」と訊いてきた。
違うわよ!
食事メニューをおかゆに変えられる前に、わたしは慌てて食事を再開する。
結局この日は「ライナルト」について、何も思い出せずに終わってしまった。
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