第2話 月夜ばかりと思うなよ

 小さな人影は目を見開いた。



さっきまで、誰も居なかった筈だ。それなのにこの者は、いつの間にか目の前に立って、いい天気だなと世間話さえしてのけている。誰なんだこいつはと、少年は訝しむ。

声の低さからして男だろうか。身長も高い。ガタイが良いという訳ではないが、魔術という摩訶不思議な力を使う連中は、筋肉がない者も多いと聞く。油断はできない。




通りすがりのおせっかいな魔術師だろうか? さては眠っていたトランクの持ち主に代わり、少年を追って、取り返しに来たのだろう。



「ところで少年、そのトランクは俺の物でね。返してほしいんだが」



え、と乾いた喉から声が転がる。このトランクが、彼の物?

ちょっと待て、と少年は汗を垂らした。



混乱している間に、僅かな雲へ隠れていた月が、その全貌を表す。

暗くなっていた森一帯が、月光に照らされ、曖昧だった視界がはっきりしてきた。



目の前に立っている背の高い者は、肩下まである新緑の髪を揺らして、陶器のような肌、しゅっと美しい造形の顔立ちをしている。




こいつ。通りすがりとかじゃなくて、さっき眠ってたトランクの持ち主本人だ。

というか声がめっちゃ低い。どうやら女じゃなかったようだ。座りながら眠っていたから、少年からすると身長も分からなかったので、勘違いが加速していたのだろう。



「どうした、熊にでも遭遇したみたいな顔をして」



厳かな蔵に長く封じられていた葡萄酒のように、深い赤紫の、ぱっちりとした目が、少年をじっと見つめている。人外じみた美しい容姿に、人喰らいの妖精なんかと出遭ってしまったような緊張感を感じて、少年は片足を一本後ろへ下げた。



「クソッ!!」



少年は小さく悪態を零して、両足へ力を込め、青年の横を通り抜けて駆け出した。ここで大人しくトランクを返したら、今日も収獲が無いんだなって殴られる。それならいっそ、必死に逃げて、通報されて、騎士団にでも掴まった方がマシだろう。檻の中だって何だっていい。だってこんな、コソコソしてばかりの生活、もうたくさんだ!!





「……ふぅん」



走り去って行く少年の背中を眺めて、青年は目を細める。なんだかもう少し、あの小さな盗人を、驚かせてやりたい気分になってきた。それに泳がせていれば、もっと大きな獲物が見つかるような気がする。



舌で唇をぺろりと舐めて、青年は木々の枝まで飛び上がった。











「……なんで逃げ切れるんだよ」



不貞腐れたように頬を膨らませ、少年がぼそっと呟く。彼の目の前には、いくつものテントが設置されており、ここがもう盗賊のアジトであることを証明していた。



松明の光に照らされるのは、あちこちから盗んできた、食料や、質のいい服、宝物、希少な生物など。

それら全てが盗んだ物なのに、アジトの奴らは、我が物顔でそれをテントに仕舞い込んで、ゲラゲラと騒がしい笑い声をあげている。



ほんとうに不愉快で、ほんとうは帰って来たくなんかないのに。どうせこのアジトの者たちは、少年が逃げようとすれば、その首を貰わんと追いかけてくるのだ。このアジトの構造や、正確な場所も知っているから、きっと外部に情報が流れることを危惧しているのだろう。



「おーガキ、やっと帰って来たか!!」

「門限破るんじゃねぇかって心配したぜ? 破ったらお前の首が飛ぶからなぁ!」

「破る訳無いでしょう。全く、今日は大変だったんだから」



ため息を噛み殺して歩いて行く。盗賊たちは少年の持つトランクに気がついたようで、いっそうテンションを高くした。野次馬が集まり、ヒューヒューとはやし立ててくる。



「ガキお前、やっと盗めたのかよ! お前もすっかり俺らの仲間入りだなぁ!」

「記念すべき初めての戦利品じゃん、これは俺らが大事に使うからな。心配すんな? えぇ?」

「今日のパンはカビてないやつにしてやるよ。一人前になった祝いだ!」



がやがや、がやがや。だからこいつらは嫌いなんだ。盗みを、悪事を、悪い事だと知りながら自慢して。悪い事をするのがイケてる、度胸のある奴なんだって祭り上げる。




胸糞悪い、声も聞きたくない、早くどっかに行ってほしい。

そう考えながら、抱えていたトランクを取られそうになって__





「使われちゃあ困るんだよな。結構危ないぜ? これ」






細い手が、トランクをするりと抜き取る。目を見開いてそちらに顔を向ければ、さっきの緑髪の男が、トランクを持って笑っていた。

え、と声が出る。男はトランクを片手で持ち上げ、ゆらゆらと揺らす。そのまま少年に目を合わせて、いっそう笑みを深くした。



「なんっ、だテメェ!!?」



盗賊の一人が叫ぶ。騒ぎを聞きつけ、武器を持って周りの盗賊たちが集まって来るが、男はただ微笑むばかり。得体が知れなくて気味が悪い。



「というか君たち、ひょっとしなくても、ニュースでやってた盗賊だろ。ウェイル街近くの道で、商人を襲撃したな?」

「そうだ。俺らのアジトに迷い込むなんて、お前も運がないな」

「迷い込んだ? 違う違う。気になってたから来てみただけだよ」



手をひらひら振って否定する男に、盗賊たちは冷や汗をかく。こいつは何なんだ? 誰も侵入してきた事に誰も気がつかなかったし、大勢で囲んでも全く怯まない。腕っぷしに余程自信があるのか、それともただの馬鹿なのか。




いや、待て。こいつは何かがおかしい。一般人にしては、体幹にブレが無い。重心が安定し過ぎている。まるで筋肉質や骨の形を、一つ一つ把握して、それら全てを完璧にコントロールしているような……




「テメェら下がれ、早くボスに知らせろ!! こいつ何かヤベ……」



言い終わらないうちに、青年の回し蹴りが大柄な盗賊の顎を捉えた。



筋肉質な体が、いとも容易く崩れて、力なく地面に倒れる。

そのまま痙攣し、苦しそうに呻いているのを見て、盗賊たちの顔から血の気が引いていく。



「ほら、次は?」



緑髪の青年が周りを見回し、トランクを肩の近くで背負って言った。



「俺を倒そうっていう生意気な奴は居ないのかい?」



ちょいちょいと指先を折って挑発する青年。冷汗を垂らしながらも、歯を食いしばって、一斉に盗賊たちが襲い掛かった。



そこからはもう、凄まじかった。



青年は器用にひょいひょい攻撃を躱して、目まぐるしく位置を移動させ、盗賊同士を激突させたり、避けて相手の体制を崩させたり、振りかぶられた武器を奪い取って、逆に攻撃し返したり。



どれだけ体が柔らかいんだ、東洋のニンジャか? というくらいに的確で柔軟な動きは、なんというか、そういうスポーツでも見ているかのような気分だった。盗賊の攻撃がこれっぽっちも当たらないので、いっそ爽快感すら感じてしまう程に。

避けて、反撃、時々トランクでぶん殴る。相手の頭を踏んで跳び上がり、寸分違わずかかとを顔面へ叩き込んで。



「うわぁ……」



見ていることしか出来なかった。だって少年はまだ子供である。クソみたいな人生であっても、命は惜しいと思えるくらいにはド根性だった。だからこそ乱戦には加わらず、咄嗟に物影へと隠れながら見守っていたが。



大人の盗賊たちはそうもいかない。身長が高くとも、こんなに線が細くて、身なりもよくて、顔も整っている、有り体に言えば弱そうな奴に。いつの間にかアジトへ侵入され、挙句の果てに挑発までされたのだ。



ここまでナメられて、戦いに加わらなかったら、今度はその盗賊が「腰抜け」「意気地なし」と盗賊の間で非難される。そうなれば、一度下がったヒエラルキーは、なかなか変えられるものじゃない。少年のように、戦利品は奪われ、こき使われ、ただの下っ端へとなり果てるだろう。



だからこそ盗賊たちは引き下がれなかった。そして、その結果はもう、火を見るよりも明らかで。




「ふぅ~、いい汗かいた」



両手を軽く叩いて、砂埃をはたき、途中で地面に置いたトランクを拾い上げる青年。その周りには、何人も、何十人もの盗賊たちが転がっていて、騎士団と衝突でもしたのかという有様である。



とんでもない奴が来た。少年はドン引きした。

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