世渡り竜と澄清の空
五条燐堂
第1話 遭遇
ガラガラリ、ガラガラリ。
暗い夜空が覆う道を、大きな馬車が進んでいる。
辺りに生える木々たちは、真っ黒な葉を幽霊の両手のように揺らしていて、馬車に乗る人々を驚かせていた。
馬車の車輪が揺れる様は、まるで乗っている者たちの震える歯のようで、せわしなく、ガタガタと揺れ続けている。
冷えた風がびゅうっと吹き付け、一人がひゃあっと悲鳴を上げた。
「や、やっぱり止めましょうよ……夜中に移動するなんて……」
「バカ言え、これ以上遅れたら船に間に合わなくなっちまう。船に置いて行かれたら、次の出港を待ってる間に食料が尽きちまうぞ」
「でも……」
「うるせぇ、ごたごた言ってねぇで見張りを続けやがれ。これだから新人は、度胸ってモンが足りねぇんだ」
肩を小さく丸めて、若い男が引き下がる。
それを見やった壮年の男は、はぁと大きくため息をついた。
「あの土砂崩れさえ無けりゃなぁ」
思い出すのは、道中での事。魔物でも暴れたのか、大雨も降っていないのに、本来通ろうとしていた道が、土砂で埋まっていたのだ。
おかげで、通れなくなった道を大きく迂回しなければならなかったので、船の出港までの時間が足りずに、止む負えずこの真夜中に移動を続けているのだった。
「しかし、不思議でしたよね。あれは雨で崩れたというより、何かで抉ったみたいな……」
若い男が、そう言った時。
後ろで、水の飛び散ったような音がした。
若い男が振り返る。それと同時に、重たい何かが、ゴッ、ゴロンゴロン、と荷台から転がって行くような音がする。
大きな何かが、力なく倒れたのを視認して、若い男は悲鳴を上げた。
次に、水の塊が高速でぶつかるような鈍い音。
その次に、隙間風が何重にもなって、激しく近くを掠め取っていくような音。
そして、何かがパキパキと凍り付いていくような音。
「なっ、何だ!?」
突如上がった悲鳴が、一瞬でピタリと止まって、壮年の男が汗を浮かべる。そのまま後ろを振り返り……
「てっ、敵しゅ__」
そのまま。
ぐらりと、馬車から転がっていった。
「店主! ポウポウ鳥のキャベツ巻き一つ!」
「あいよー、お客さんよく食うねェ」
「だってここの料理、何を食べても美味しいんですよ! 全制覇したくもなりますって!」
「だっはっは、そりゃあ嬉しいこと言ってくれるじゃないか。ほれ、オマケの肉団子」
「えっ、いいんですか!? ありがとうございます!」
よく晴れた夜空の下、騒がしい街中の食堂で。テーブルに置かれた肉団子を、一口でぱくりと食べて、満面の笑みを浮かべる青年が居た。
食事がしやすいように、少し長い緑の髪を、一つに結っている。
美味しいと全身で語るかのように、ご機嫌な空気を漂わせて、もぐもぐと一生懸命に咀嚼を続けている様は、まるで祖父母の家でたらふくご飯を食べる孫のよう。そしてごくりと飲み込んで、うまい! と一言。たまらず店主も笑顔になった。
『番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします』
食堂の天井近くに置かれている魔導テレビから、ふいにアナウンサーの硬質な声が響いた。食堂が少しばかり静かになって、何人かがテレビに目を向ける。店主と青年もつられてテレビを見た。
『ウェイル街付近の道路で、襲撃に遭ったとされる商人の馬車が発見されました。近隣住民の方々は、夜間の外出を控える、戸締りの確認など__』
「……なんだ、物騒なニュースだな。またあいつらの仕業かね」
「ん? 店主、あいつらって?」
「あぁ、お前さんは旅人だったな。知らないのも無理はない。ここ最近、近くに盗賊のアジトが出来ちまったんだよ」
「盗賊……」
青年がきょとんと店主を見つめれば、店主は大きなため息をつきながら、頭をガシガシと掻いた。
「おかげで物流は滞って、そろそろ店の料理も値上げしなけりゃいけなくなっちまった。常連の為にも、出来れば値上げは避けたいんだが」
「大変ですね、店の経営って」
店主は眉を下げて笑った。この街で汗水垂らして働いている者たちに、腹いっぱい食わせてやりたくて食堂を開いたはいいが。盗賊のアジトが出来てしまっては、食料品も燃料も入って来づらくなってしまうし、そうなれば人々に必要な量と比べて、店に置いてある物資の数が少なくなってしまう訳だ。
そうなれば、あらゆる物の値段は上がり、料理の材料費だって上がる。店主にも生活があるのだから、いつか料理も値上げしなくてはならないだろう。
「値上げしたら、それだけで客足は遠のいてしまいますもんね」
「あぁ。この道を選んで何十年もやってきてるし、出来るだけ持ちこたえるけどよ」
緑髪の青年は、じっとテーブルに並べられた料理たちを見つめる。
あったかくて、美味しくて、量も多くて、かなり安い。この食事に、どれだけの人々が集まって、どれだけ胃袋と心を満たしてきたのだろうか。
「……誰かが、盗賊のアジトを壊滅させられれば良いんですよね?」
「おいおい、冗談はよしてくれ。いずれ騎士団が来て、盗賊もとっちめてくれるさ。最近引っ張りだこらしくて、いつになるかは分かんねぇけどよ」
「それじゃあ時間が掛かり過ぎますし……よし、もっと食って元気注入しますね! ミートパイ一つ!」
「ほんとによく食うなぁお客さん……」
ホー、ホーと、寝ぼけたように鳴いていた、フクロウの声が止まる。
街から少し離れた森の中、木の根元に背中を預け、緑の髪の人間が、呑気に睡眠をとっていた。
そんな彼に、忍び寄る影が一つ。
「寝てる……? 不用心だなぁ、酒でも飲んで酔っ払ってるんでしょうか」
コソコソと、精一杯の忍び足で、小さな影が彼に近づく。稚拙な足取りだが、その者は気づかないのか、目を閉じたまま規則正しい呼吸を繰り返している。これは相当酔っているのかもしれない。暗いので、正確な顔色までは分からないが。
「……うわ、よく見たらすっごく美人。女の人か? なおさら不用心が過ぎるだろ」
腕を組み、少し俯きながら、くぅくぅ寝息を漏らしているその顔を覗き込む。
それは風に揺れる若草のような緑の髪であり、陶器のように艶やかな肌だった。すっと美しい顔立ちからして、恐らく女だろうか。声も知らないから、本当のところは分からないが。
肩下まである緑の髪は、気紛れな猫の尻尾のように揺らめいていて、木々の葉と共に風を感じている。
こんな美形が道端で野宿とか何考えてるんだと、小さな人影は眉をひそめた。
「……起きない、な? よし」
眠ったままなのを確信し、横に置いてあった大きなトランクへと目を向ける。身なりもいい、酔い潰れる程度には金がある。それならば、と思い立って、緊張と共に、小さな影は、毛皮に覆われた、傷だらけの手をトランクへと伸ばした。
息を切らして、期待に胸を膨らませ、森の中を走る。腕の中の大きな罪悪感はずっしりと重くて、滲み出そうな暗い感情からは目を背けた。
やってやった、やってやったぞ。これで少しは待遇も良くなるだろうか。無駄に殴られなくて済むかもしれない。もしかしたら、盗んだコレを少し分けてもらえるかも。いや、でも、やっぱり分けてくれなさそうだな。あいつらの事だし。
胸の奥で、冷えた感情がこちんと音を立ててぶつかった。
雲が流れ、月を隠し、森一帯が真っ暗闇になる。指先が冷えたような感覚がして、少年は暗闇の中、鋭い爪の生えた指先で、トランクをぎゅっと強く握った。
何やってるんだろう、僕。
そう思って、少し足どりが遅くなったとき。
「やぁ少年、今宵はいい天気だな」
目の前に、背の高い人間が突っ立っていた。
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