第3部 久子一旦帰国(1章後半 寮に逆戻り)
第1章 遺骨を胸に帰国のはずが(後半)
12月6日の飛行機に乗れなくて、くたびれ果てたからなのか、久子は丸1日ぐっすりと寝た。日本航空の方々の手厚い看護を受けて医務室で休養した後、成田のホテルに1泊した。あれほど待ち望んだブラジルに帰ることが出来なかったのだ。
翌朝になった。どうしよう。ゴルフ場の人達や親類の人たち、友達に盛大に見送ってもらったのに今更戻るなんて。久子は骨壺と遺影とバッグを担いで、ひとまず兄さんの所へ行こうと成田を出た。
翌朝、群馬の寮で私(筆者)は驚いた。「鈴木さんが帰って来たそうですよ」と寮生から聞いたとき、私はたまげてしまった。
「ウソ~」
「いえ、本当です」
「だって夕べ成田で見送ったのよー、まさか」
私は成田でゲートをくぐった久子さんの姿を確かめた。会社の人達、久子の従妹のフミちゃんたちと「お疲れ様」と別れたのに。それから私は千葉の娘の家に泊まって帰ってきたばかりだった。しかし久子の所在は分からない。私は久子のお兄さんの所へ車を走らせるが来ていなかった。〈じゃあ、どこだろう?〉 市内にいるに違いない。病院かホテルか分からないが数は多くないので片っ端から探せば何とかなる。一思案していてふと思い出した。そうだ ’ウニツール旅行社’ の直子さんだ。
早速名古屋のウニツールに電話した。
「ハイ、ウニツール名古屋支店でございます。エッ~?
鈴木さん?ちょっとお待ちください。もう1本の電話はその鈴木さんと話をしておりますが・・・」
「その電話を切ってすぐ冨の方にかけるよう言ってください」
というわけで早々に見つけることが出来た。
〈重い遺骨を持ってよく戻ってきたわね。さぞ辛かったでしょう〉と心の底から思った。
「お帰りなさい!」
「会いたかった~」
あったかい御飯とみそ汁で、思いもかけぬ対面を大笑いで喜び合った。
「本当に一夫ったら重いんだから」という久子はほんの少しだが悲しみが癒えたようで、私はとても嬉しかった。
飛行機内でのこと、空港第2ターミナルで多くの人に世話になったこと、荷物だけがブラジルに行ったことなど報告を聞いて2人でお腹がよじれるほど笑った。3日目に「サンパウロまで往復してきた荷物が着きます」という日本航空から連絡が来た。そこでウニツールの直子さんに、12月9のブラジル行きのチケットを取ってもらった。本来ならば相当のキャンセル料を支払わねばならぬはずだが、「結構です」との返事であった。
これも久子さんの人徳と思った。
(第3部 第1章 終わり)
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