第2部 久子は語る(6労基局)

 第6章 1. 労働基準局(労働災害補償保険の申請) 2. ブラジル大使館を初めて訪問


 1. 労働基準局(労働災害補償保険の申請)

労働基準局では「外国の方の労働災害補償保険(労災)申請のケースは初めてです」と言われました。11月8日、葬儀・火葬が済んですぐ一夫のパスポートを労基局に持参して労災の申請をしましたがいろいろ手続きが要るといいます。ブラジルからは申請のための生前の一夫の住民票、戸籍謄本、それに出生届、結婚証明書を取らねばなりません。だから私が一旦帰国してからでないとはじまりません。その一連の書類はポルトガル語から日本語に翻訳されて、私が書類を郵送で冨さん宛に送ることになりました。まだまだ時間がかかることが分かりました。


 2. ブラジル大使館を初めて訪問


  11月16日、7時半の電車で幸一(私の兄)、冨さん私の三人で東京出入国管理局に行き出国手続きを済ませました。その後兄と別れて、冨さんと二人でブラジル大使館に向かいました。私達は重い足を引きずって青山通りの通りから少し入った、黄色と緑の国旗がはためくブラジル大使館を訪れました。事故死から10日目でした。私はその頃はもう涙は枯れ果てていました。死亡届とカーゴビザの申請をした後しばらく待たされてから名前を呼ばれ、カウンター奥の大使室に通されました。


 そこにいた背が高くハンサムな紳士が静かにポルトガル語で喋りだしました。その人はブラジル駐日大使のオーランドと名乗られました。「息子さんは生き埋めで亡くなられたのですね、どういう事情だったのか詳しく話しなさい」と言われました。私は枯れ果てていたはずの涙が溢れだし止まらなくなりましたが、何とか事情を話すことが出来ました。すると大使は「ム ム ム⋯、政府としても黙っているわけにはいかない」と言ってすぐに警察に直接電話をされ、30~40分くらい事情をじっと聞いておられました。「本国から大勢の若者が日本に働きに来ている。その人達のためにもこれをうやむやにしてあなたが帰ってしまうのは良くない。困ったことがあれば何でも相談しなさい。これが私への直通の電話番号です」とメモを渡されました。その一方、一夫の荷物を船便で出すために100以上の品目を記載した書類を作らねばなりません。カセットデッキ、パソコンゲーム、テープ1本から石鹸に至るまで1つ1つドルに換算してブラジル大使館のチェックを受けるのです。


私がそろそろ帰国のための荷物の整理をするように促しても、一夫は一向にやる気を出さなかったばかりか、かえって重たいもの(デッキ類)を買ったりしていました。そのデッキ類も船便で出すことが出来ました。

出国に関する手続きやカーゴビザも通常であれば日数がかかりますが、有難いことに大使館の心強いバックアップのおかげで何でも即決でできました。でも私は〈親切

は有難いがもう疲れた!とにかく家に帰りたい、ブラジルの家に帰りたい〉と思いました。

その後オーランド大使のご厚意によって手続きを早くしてもらえたりして、ブラジルに帰ろうという気持ちがますます強くなりました。(第2部 第6章 終)


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