第2部 久子は語る (1) 子供や夫のこと ; ピストル強盗

 第1章 子供や夫のこと

   

    一夫は三人の子の中で一番賢くて、とても優しく誰にでも好かれていまし

  た。幼い頃は体が弱かったのですがそんなことが不思議なくらい背が伸び、

  ドイツ系の父親に似て190㎝にもなってしまいました。

    

    彼が10歳の時父親が病死してからは私一人で9歳の二男(二郎)、7歳の長

  女(真由美)の3人を、銀行員として働いて育ててきました。夫が健在の頃は幸  

  せでした。デパートの家具売り場の主任をしていた夫はとても優しい人でした。

  〈久子の働いた分は実家に全部入れてあげればいいじゃないか〉とも言ってくれ

  ました。サンパウロ郊外のモジ区には土地付きの家も立てお墓も買い親子五人   

  は幸せの日々でした。ところがある日突然夫は心臓病で倒れ、3カ月の必死の

  看病もむなしく亡くなりました。その後、家も車も電話も全部売り払うことに

  なってしまいました。私は立ち上がることも出来ない位悲しみのどん底に追い込

  まれてしまいました。しかし子供たちのため気を奮い立たせ頑張りました。


    一夫が中学生になって、優しさ故なのか不良グループに引き込まれようとし

  た時、銀行の上司に頼み込んでオフィスボーイとして働かせてもらうことにしま

  した。ブラジルでは、中学生になったら学校に行きながら家計を支えるために働   

  くのが普通です。 オフィスボーイの仕事は簡単でしたが、必ずしも安全ではあ

  りませんでした。行員の使い走りや書類の配送、掃除をしたりお茶を入れたり  

  する仕事です。一夫はその仕事の途中大事な書類を悪者に取られそうになったこ 

  ともありました。その頃からサンパウロはだんだん物騒になってきました。*   

  (* 章末の記事参照)


    私は銀行員として勤めた7年の間に3回強盗に遇い怖い目にあいました。銀

  行で窓口業務をしていた時、覆面をした男たちが数名なだれ込んできて、他の行

  員を壁に向かって両手を上げ立たせ、ピストルを突き付けました。そして私に

  「現金を全部出せ!」と言い足元に向けてピストルを発砲しました。何発目

  だったか発砲音を聞いて一夫が飛んできました。その後お金を奪った犯人は去

  りました。一夫も私も無事でした。〈あ~神様のおかげです〉と私は心の中で感

  謝しました。


   当時のブラジルの治安については、髙田慈照先生(本願寺伯国開教総長)

   のお話が、常見寺の冊子(年4回発行)、〈一味〉「ピストル強盗」とありまし

   たので、参考のため以下引用します。

 

*:参考記事

  【ピストル強盗 (髙田 慈照)】

    

    ブラジルの自然は美しくサンパウロの天候もよい。日本のような地震も台風

  も梅雨もなく年中快適な日が多い。しかし人間の世界はそうはいかない。人種

  差別のない国だが「経済的不均衡に加えて、失業、貧困、無知のため」治安も大

  都会ではあまりよくない。


    話は一転するが、昨年、本願寺の別院が白昼三人組の拳銃強盗におそわれ

  た。全員が一室に押し込められ、金庫のカギを出さないと代表者を殺す、と言っ

  て私の傍へきて、コメカミに拳銃をつきつけられた。人身には代えられぬ。

  この頃、しばしばピストル強盗が多発していた。カソリックの有名な教会が襲わ

  れ彼らに抵抗した司祭がころされる事件が起こった。本願寺ではこれを教訓に

  安全対策を講じた。そのため我々は力なくカギを犯人たちに渡さねばならなか

  ったのだ。

  やがて金庫内の紙幣と乗用車を盗んで逃亡した。幸い人身事故にはならなかっ

  たが、物質的心理的損害は少なくなかった。私はこの事件を機会にストレスが 

  増大し、辞職願をしたためた。悶々として数日を過ごしたあと、本堂のお夕事の

  おつとめのとき、皆で礼賛歌をうたった。礼賛歌第5番目の、九条武子夫人の

  作歌をうたってはっとした。

 

      あわれ我  生々世々の悪をしらず  慈眼のまえに 何をあまゆる

  

    「慈眼の前に何をあまゆる」、如来さまのお慈悲のまえ、何をあまえてよいの  

  か。きびしいおさとしが私の心琴にふれた。苦しいからといって、甘えてよいの

  か。ご縁あって南米という地球の裏側に赴任し、御恩報謝の使命をおびて聖業に 

  たずさわるものが、思うようにならぬと愚痴をこぼしてよいのか。ああはずかし

  い。胸に熱いものがこみあげてきた。いつも歌っている礼賛歌だったがこれほど

  心に響いたのははじめてだった。たとえ拳銃でうたれてもころされても私の業 

  縁である。死にたくはないが、いついのちをおとすか、人生のはかりしれない

  無常のことわりを、仏説でいつも教わっている。どんな業縁で命がおわっても、

  その時安養のお浄土がまってくださってある。そう思うと心が晴れた。あらため

  て御恩報謝の生活に舞い戻ることが出来た。    (引用おわり)


  

 (筆者注)手元に〈一味〉の髙田慈照先生の追悼号があります。そこに先生のエピ 

  ソードがありましたのでご紹介します。

  先生は我流とはいえ自らピアノを弾き、仏教讃歌も指導されたし、低音の魅力歌

  手フランク永井の歌が十八番だったそうです。その昔『僕は若い頃外国航路の船

  長にになりたかったんや』とおっしゃっていたとも。だからブラジル、ヨーロッ

  パ、北米、カナダ、ハワイと世界中にお念仏の尊さをお伝えくださったお坊様で 

  した。

  先生は2018年8月23日に89歳でご往生なさいました。

        

 




      













 

  




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