第1部 (7章)通夜から火葬まで(久子の悲しみ;’こわい人’の献身的努力)
第7章 通夜から火葬まで
11月7日に遺体は円照寺に移されて、通夜から葬儀、火葬まで執り行わ
れた。そのすべてを通じて ’こわい人’ の行いはそれまでの一夫に対す
る態度とは裏腹に優しさに満ちた献身的なものに見えた。
久子は6日一夫の死を知らされてから食べ物は勿論お茶も水も口にしてい
なかった。頬はげっそりこけ、眼だけがギラギラしていた。夕べは一睡も
できなかったからであった。
翌7日は通夜、8日は葬式、火葬が行われた。
「冨さん、あそこに座っている右から2番目の人をよく見ていて」
「あの黒いジャンバーを着た人?」
「そう」
「どうして?」
「一夫が ’こわい人’ と言っていた人なの」
「そう、あの人が前から一夫君が言っていた ’こわい人‛ なの?
’こわい人’ って上司の丸木さんなんだ!」
葬儀中、白樺の社員は次々に来ては焼香をして座を離れていったが彼は
ずっと一夫の傍に付いていた。
「ローソクは自分が責任持って見ます」
「高木寒かろう?自分のこのジャンバーを上げるよ」
「さあ―皆さん、寒いから座布団を敷いてください」
「ストーブの灯をもっと強めましょう」などと言ってまめまめしく動き
回っていた。
日本に来てわずか2年弱なのに、通夜の席はキャデイー仲間をはじめ
ゴルフ場の人達、10月に見つかった親類の人たち、神奈川の元同僚
の友達、それに白樺砕石の人々と実に多くの参列者が訪れていた。
通夜の席では白樺砕石工場の会長なる人物が
「まあまあ今となってはどっちが悪いこっちが悪いではないでしょう。
労災もでることだし、ねえ~鈴木君のお母さん」と何度も何度もそう
言って頭を下げてきた。私は傍で聞いていてまだ亡くなった直後なのに
どうして「労災」などという言葉が出てくるのだろう。まずお詫びとお
悔やみの言葉があってしかるべきだと思った。
通夜は久子、幸一、参列者を除いたら何か宴会でもしているのではな
いかと思うほどザワザワしていた。そのような中で「元気を出して頑張
ってね」と泣き崩れながらお悔やみを言ってくれるキャデイー仲間に健
気に応対する久子だった。
その時あるテーブルでまさにつかみ合わんばかりの争いが起こった。
カッちゃんと丸木である。何だか分からないが一夫のことで争いにな
ったようだ。すぐに白樺砕石の人達が2人を引き離した。
荒くれ男達の世界はこうなのか。
これからどうしよう。二郎や真由美のこと、更にブラジルの一夫の嫁に
何と言おう。一夫の死をどのように受け止めるであろうか。
久子は自分の母がしたように三年も嘆くのはよそうと思った。
(第2部の’移民’を参照)
そうこう思いを巡らせていると円照寺の住職から尋ねられた。
「ブラジル名の"アルテマールとはどういう意味ですか?」
「そうですね、えー.......っと 遥か遠い海の向こうという意味です」
命名して今日まで名前の意味など考えたこともなかった。
この子はこれが寿命だったのだろうか。
ご住職が【歓心聴音信士位】という法名をつけてくださった。
長かった2日間が過ぎて今日は本葬である。
久子は飲まず食わずのせいで足元はフラフラ、友達に両腕を支えられ
て喪主の席についた。まだ涙はあるのかと思うほど泣けて泣けて仕
方がなかった。
飯場のプレハブ寮で一夫は一人寂しかったろう。下の子はまだ生まれ
て6カ月で残してきた。父親の顔はとうとう知らずじまいと思うと哀
れで涙が枯れるまで泣き続けた。
やっぱり丸木は気味が悪い、今日もまめまめしく上司ぶって世話
を焼いている。火葬され台車で運ばれてきた遺骨を上から下まで撫で
まわすように食い入るように見つめる丸木をみて、地獄とはこのよう
な感じなのかと思っていると同時に気が遠くなっていった。
「久子さん、迂闊に何にでもサインしないほうがいいよ」と私から言
われたことが利きすぎたのか、焼場の職員さんから「骨壺の蓋の天井
に息子さんの名前を書いてください」と言われたことに対して
「書きません!」とプイと横を向いてしまい言い合いになった。
(第7章 終)
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