例の部屋に閉じ込められた(3人)

カシノ

例の部屋に閉じ込められた(3人)

 辛い受験戦争に打ち勝ち、僕は念願の大学生になった。

 と謳えば、さぞ難関の大学に合格したのだろうと思われるかもしれないが、実際は地元で多少有名なところに運良く転がり込めただけだ。世間から見れば特に誇れるものでなく、芸能人とお知り合いになれたり、将来が約束されたわけではない。ちょっと勉強を頑張ったどこにでもいる文化系男子が生まれただけの話である。

 ぱっとしない人生に比例して、恋愛経験も寂しいものだ。女の子と話したことがないとまでは言わないが、思い出せるのは勉強を教えて欲しいだとか、友達のことで相談に乗って欲しいだとか、あくまで学校の延長線上にある内容ばかりでプライベートな繋がりは一切なかった。

 都合の良い愚痴聞きマシーン。女の子達からの僕の評価は概ねそんなところだ。友達にはなれても、恋人候補には入らない。

 そんな自分を変えようと一念発起したこともある。大学の入学式では、声をかけてくれた陽気なサークルに参加してみたりもした。けれど、歓迎会で勧められたお酒を未成年であることを理由に断ると真面目くん認定をされてしまい、すぐに距離を取られてしまった。以降、サークルには顔を出していないし、そもそも覚えている人もいないだろう。僕の大学デビューの夢は僅か一ヶ月で塵になった。

 それから、最前列で講義を受ける日々が続き早二年。

「とうとう二十歳になってしまった」

 何も為せないまま。なんと空虚な人生だろう。僕は一体、いつ大人になれるのか。

「見た目は全然子供だけどね。昨日も中学生と間違えられてたじゃん」

 そんな内心を嗤うかのように浅黄うすきさんが心無い言葉を浴びせてきた。

 生活費のために始めた本屋のアルバイト。そこで出会ったひと月だけの先輩。

 同じ学校、学年と知った時は運命を感じたものだが、すぐに現実を思い知らされた。

 なにしろ彼女の言葉は切れ味が鋭い。ちょっと隙を見せればぼろくそに貶してくる。

 ていうか、見た目も怖いし。髪の色は明るく、ピアスもばちばちに開けている。なんていうか、バンドショップで働いていそうな風貌だ。行ったことないけど。

「ま、童貞なんだから当たり前だよな。ぎゃははは!」

 おまけに下品だ。この調子に付き合っていたら傷つくだけなので、とっとと話題を変える。

「それで? 黒柿くろがき先輩はいつ来るんだよ」

「あー……なんか遅れるらしい。待つのも面倒だし、ウチらだけで始めちゃおうよ」

「それは流石に失礼だろ。せっかく僕のために誕生日会を開いてくれたのに」

「居酒屋で誕生日会ぃ? はっ。あんたが酔い潰れるとこ見て笑いたいだけでしょ。先に出来上がってた方がウケいいんじゃない?」

「失礼な。大体、僕が酒に弱いって決まったわけじゃないだろ」

「ガキみたいな顔してんだもん。弱いに決まってんじゃん」

 口の減らない奴め。精一杯の感情を込めて浅黄さんを睨みつけるが、彼女は意に介さずスマホで何かを注文した。程なくして店員さんがジョッキを二つ運んでくる。

「レモンサワー二つになります」

「はーい。ありがとうございます」

 しゅわしゅわと、ごく淡い黄色の液体が炭酸を吐き出している。鼻を近づけても仄かにレモンの香りがするだけでアルコール臭は全然分からない。

 これがレモンサワー。正直、炭酸入りのレモン水と同じに見える。心の準備も整わぬうちに初めてのお酒が目の前に現れたわけだが、拍子抜けしてしまった。

「じゃ、乾杯しよ。ほら。ジョッキ持って」

「う、うん」

「はい。それじゃ、浄士郎じょうしろうの二十歳を祝って。かんぱーい」

「乾杯……」

 ちびりと口をつけてみる。味まで普通のレモン炭酸水だ。喉で弾ける炭酸が多少きついが、危険な気配はまったく感じない。

「なんだ。アルコールっていってもこんなものか」

「はは。何その反応。ヤバイ薬と勘違いしてたん?」

 けらけら笑ってジョッキを呷る浅黄さんに釣られて、僕もレモンサワーを流し込む。

「それで? 実際はどう思ってるわけ? 黒柿先輩のこと」

「どうって?」

「バイト先来るたび、ジーッと目で追っちゃってさ。分かりやすすぎてこっちまで気にしちゃうわ」

「そりゃあ気になるさ。あんな綺麗で優しい人、初めて会ったもの」

 肩甲骨まで伸びた長く綺麗な黒髪に白磁のような滑らかな肌。眉尻はいつも柔和に下がっているが瞳は切れ長。紙面に落とす眼差しはどこか冷めていて、優しげな雰囲気との差にどきりとしてしまう。

 それに先輩は面倒見が良い。一学年上の先輩は過去の課題を細かく整理、分析していて、僕と浅黄さんは何度も助けていただいた。よく利用する本屋のアルバイト店員、というだけの接点にも関わらず、色々と気に掛けてくれる度量の深さには感服するしかない。

「声出てる」

「え?」

 内心でつらつらと褒め称えていたつもりが、いつの間にか声に出ていたようだ。恥ずかしい。実感はないが、アルコールの効果で口が回りやすくなっているのかもしれない。

「……あたしは正直どうかと思うけど。如何にも本好きの女って感じ。漫画のキャラクターみたいで、なんか癪に触んだよね」

「陰口なんてらしくないな。大体、漫画のキャラって言ったら、浅黄さんだって似たようなもんだろ」

「は? あたしが?」

「そうさ。見た目怖いのに誰よりも読書家なんだもの。ギャップが凄くて最初はびっくりしちゃったよ」

「うるさい」

 浅黄さんはむすっと唇を尖らせて、ちびちびとレモンサワーを口にする。目つきの険しい彼女が縮こまる様子は餌を独り占めするハムスターのようで、いじらしくて可愛らしい。

「……また声出てるし」

「え?」

「もういい。ていうか顔赤くない? まだ半分も飲んでないのに」

「どうだろ。わかんない」

 頬に手を当ててみる。顔も手のひらも両方熱くて体温なんて分からない。ただ、時折吹く風がやたらと冷たいので、多分熱いのだと思う。

「ちょっと。ホントに大丈夫?」

「わかんない。ねむたくなっちゃった」

 欠伸をする。でも、足らない。何度大口を開けても眠気を払えないどころか、ますます強くなるばかりだ。目蓋はどんどん重たくなるし、もう何も考えたくない。

 駄目だ。諦めよう。

「ねる」

「は!? ちょっ、早すぎるって! 計画が──ああもう! タクシー呼ぶから待ってて!」

 薄れる意識の端で浅黄さんの焦り声が聞こえたが、意味を理解するより早く僕は深い眠りに落ちた。




「ぐぅ」

 頭が痛い。どうやら僕は眠っていたようだ。気怠い体を両腕を使って何とか起こす。

 そこで、手のひらに伝わる感触に違和感を覚えた。シーツの手触りが妙に滑らかだ。マットレスの反発もしっかりしている。目はしばしばして開かないが、ここが自分の家でないことを理解する。

 一体、ここはどこだろう。回らない脳味噌でぼんやりと記憶を掘り起こす。

 昨日は二十歳の誕生日で、浅黄さんと黒柿先輩が飲み会を開いてくれて、でも、先輩が来る前にお酒を飲み始めて、それで──

 はっと意識が覚醒する。目が開かないなどと寝惚けたことを言っていられる状況ではない。気合いで目蓋をこじ開けて、急いで周りを見回す。

「……やっと起きた」

 浅黄さんがベッドに腰掛け、こちらを見つめていた。

 背筋が一気に凍りつく。まさか、酔った勢いで彼女にとんでもないことをしてしまったんじゃないか。そんな不躾な空想を見透かされたのだろう、僕が口にするよりも早く頭にチョップをお見舞いされた。

「してないから。……まだ」

 含みを持たせた言い方は気になるが、最悪の事態は免れたらしい。

 あらためて部屋の中を見回す。子綺麗なワンルームだ。家具は少ないが、テレビや冷蔵庫、電子レンジなど、必要最低限のものは揃っている。キッチンも大きい。いわゆるアイランドキッチンというやつだ。新築の一戸建ての広いリビングみたいな内装である。

 けれど、見覚えはまったくない。バイトで生計を立てる貧乏学生が借りられるような部屋ではないし、浅黄さんの家というわけでもないだろう。

「それで、ここはどこなんだ?」

「分かんない。あたしも浄士郎をタクシーに乗せてから記憶ない」

 誘拐。どうやら僕達は、大きな犯罪に巻き込まれてしまったらしい。

 しかし、犯人の目的が分からない。身代金が目当てなら手足が自由なはずはないし、監視の目は不可欠だ。酔い潰れた僕の起床を悠長に待つ必要もない。常人の思考では追いつかないシリアルキラーが相手ならお手上げだが、どうにも犯人は僕等を閉じ込めること自体が目的のように感じてならない。

「とにかく、落ち着こう。どこかに犯人の痕跡が残っているはずだ。それを辿れば脱出方法もきっと──」

「そういうのいいから。もう分かってんでしょ」

 浅黄さんが部屋の中央のローテーブルを指差す。机上には、一枚の紙が置かれている。

 最初から気づいてはいた。けれど、見えない振りをしていた。

 僕はこの部屋のことなんて全然知らない。しかし、この状況には既視感がある。女性の前では絶対に口にできない、強烈な既視感が。

 じっと口を噤んでいると、浅黄さんが顎をしゃくってもう一度催促する。重い体を引きずってローテーブルに近づき、恐る恐る紙を広げる。

『セックスしないと出られない部屋』

 僕達は、エロ同人で見たことのある部屋に閉じ込められていた。




 冷静になろう。深呼吸して、再び紙切れを見やる。文字は変わらない。

 まずい。

 まずいまずいまずい。いくら何でもまずすぎる。なんだこれは。夢なのか。童貞を拗らせすぎて幻覚が見えているのか。頬を抓ってみる。馬鹿みたいな動作だが、やらずにはいられない。痛い。痛いが、どうだ。夢でも痛みはあるのではないか。現実と夢の区別はどうつければいいのか。個人の世界なぞ、所詮は脳が作り出すイメージの連続でしかない。ならばこの夢のような状況は、現実でもあるわけで──

「ねえ」

「はい!」

 反射的に背筋を正す。取り乱してばかりの僕を見て、浅黄さんは呆れた風に息を吐く。

「こっち、座りなよ」

 浅黄さんは腰掛けたベッドの隣を優しく叩く。

「い、いや、でも」

「そんな離れてたら話もできないでしょ。いいからこっち来る」

 彼女の言う通り、いつまでも部屋の隅で固まっているわけにもいかない。浅黄さんを驚かせないよう慎重な足取りでベッドに躙り寄る。流石に隣に腰掛ける勇気はなく、彼女の右斜め前に立つのが精一杯だった。

「……はあ。それで? どうすんの?」

「一応、部屋の中をちゃんと見て回ってきた。多分ここは、レンタルスペースみたいなものだと思う」

 必要家電は揃っているが、生活感が感じられない。部屋の広さに対してキッチン設備が占める割合が大きく、パーティ用に作られた印象を受ける。

「肝心の出口だけど、やっぱり玄関しかなさそうだ。電子ロック式で、出るのにも鍵がいるらしい。テレビ下の金庫が怪しいけど、錠番号のヒントになるようなものは見当たらなかった」

 リアル脱出ゲームという僅かな希望も失われてしまった。八方塞がりの状況に気まずい沈黙が流れる。

「……やっぱり窓から助けを呼ばない? かなり高いとこにあるけど、大声出せば届くと思うんだ」

「絶対やだ」

 浅黄さんは頑なである。無理もない。いかがわしい部屋に男と二人で閉じ込められていました、なんて、誰にも知られたくないだろう。

 やはり、力づくでも金庫をこじ開けるしかない。開けられるのか、そもそも中に何が入っているかも分からないが、それでもやるしかない。

 心を決めて金庫に向き直った、その時だった。

「ひっ」

 浅黄さんに袖を摘まれた。指先だけの微かな力は電気のように体中を走り、筋肉が一瞬で硬直する。

「……そんなにビビんなくてもいいじゃん」

 つい、と引かれ、促されるまま彼女の隣に腰掛ける。ベッドの軋む音が殊更に緊張を煽る。

「ここがどういう部屋か、紙に書いてたでしょ。もう、するしかないよ」

「駄目だ。そんな簡単に決めていいことじゃない」

「そんなにあたしとするの、いや?」

「違う。僕は」

 言いかけて、慌てて口元を抑える。危うくとんでもないことを口走りそうになった。ゆっくりと飲み込み、一度息を整える。

「浅黄さんは、凄く魅力的な女の子だ。だからこそ、こんなことで身を捧げるべきじゃない」

 童貞にもプライドはある。女の子を蔑ろにした卒業なんてものには、なんの価値もない。一人の漢として、変態の企みに屈するわけにはいかない。

 拳を握り込んで決意を固めていると、袖を摘む力が強くなる。

「こんなこと、なんて言わないで」

「ごめん。でも」

「あたしだって、誰でもいいわけじゃない。あんただから言ってるの」

 薄らと涙の滲んだ瞳。上目遣いで覗き込まれ、心臓がきゅっとする。

「……アウトドアサークルの新歓、覚えてる?」

 もちろん覚えている。未成年でお酒は飲めないと真面目ぶったせいで、場を白けさせてしまった。僕の陰気なカレッジライフの原因ともいえる出来事だ。

「あのとき、あたしもいたの」

「え?」

「入学したばっかの頃は髪黒かったし、服もふわふわ系だったから」

 浅黄さんは色の抜けた髪を指先で弄ぶ。さらさらと靡くそれは、照明の明かりを受けて柔らかく光を反射する。

「浄士郎はさ、自分のノリが悪かったから、って話してるけど、ほんとは違うでしょ。断りきれないあたしを庇ってくれただけ」

 緊張とその場の雰囲気で昂っていたから先輩に楯突いた経緯は曖昧だが、たしかに女の子が困っていた記憶はある。あのときの子が浅黄さんだったなんて。俯き気味で顔を見る余裕がなかったから、まったく気づかなかった。

「それからずっと、気になってた。舐められないように見た目を変えたあとも、ずっと。だから、バイト先で会った時、ほんとに嬉しかった」

 頬に手を添えられ、真っ直ぐに視線を合わせられる。赤らむ顔の温度が伝わる距離。

「すき」

 囁くように、しかし、はっきりと。

 手のひらを通して浅黄さんの体温が移る。火傷しそうな熱さ。僕を見つめる濡れた瞳が輝きを増す。

「キス、して」

 ぷっくりした唇が差し出される。抗いがたい桃色に誘われるようにして、徐々に距離が縮まっていく。浅黄さんが目蓋を閉じる。睫毛の微かな震えも分かる近さ。ほんのあと数センチで──

 がちゃん。

 あり得ない音がした。反射的に扉を振り返る。

「えっ」

 お酒の缶が詰まった袋を提げた黒柿先輩が立っていた。

「えっ、えっ」

 黒柿先輩は狼狽しつつも扉を閉める。

 閉めた。なんで?

「なんで閉めるんですか!」




「……状況を整理しましょう」

 ベッドの上で正座する砥粉さんと黒柿先輩を見据えて、できるだけ冷たい声で言う。

「始まりは、浅黄さんと黒柿先輩が企画してくれた僕の誕生日会でした。浅黄さんによると、黒柿先輩は遅れるとのことなので、ひと足先に乾杯をして」

「どうしてわたし抜きで始めちゃうかな。傷ついたよ」

「先輩」

 勝手な発言は許可していない。言葉と視線で諌めると、黒柿先輩は俯いて小さくなる。

「続けますよ。初めてのお酒で酔っ払った僕は、そのまま寝落ちてしまった。そして気がつくと、こんな紙が置かれた部屋に閉じ込められていた」

『セックスしないと出られない部屋』。

 忌まわしき文言が書かれた紙を突き出す。彼女達は揃って顔を背けた。

「最初はとんでもない変態に目をつけられたと思いましたよ。でも、よく考えれば分かったことなんです。この部屋にはカメラがない。監視のしようがないんです。つまり、この部屋の趣旨は最初から破綻していた」

 そっぽを向く浅黄さんの横顔を睨みつける。彼女はそれでも顔を背け続けるが、汗は正直だ。こめかみに大粒の雫が浮き立っている。

「第三者が介入していないとなれば、犯人は自ずと浮き上がってくる。僕を酒で酔わせ、この部屋に連れ込めるのは一人しかいない。そうだよね、浅黄さん」

「ち、ちがう!」

「へえ。どう違うのか説明してもらおうか」

「あたしが……あたしが、あんたを好きなのは、ほんと、だから」

 ぐ、と言葉に詰まる。

 浅黄さんのしたことは相当ぶっ飛んでいる。けれど、彼女の気持ちは本物で、真実を知った今でも嫌いになれない。むしろ、僕なんかに計画を練ってくれたことにむずむずした悦びを覚えたりもする。

 よくない傾向だ。浅黄さんへの想いと、彼女がしでかしたことは分けて考えるべきだ。

 それにまだ、大きな問題が残っている。

「浅黄さんのことは一旦置いておくとして……黒柿先輩。まだ貴女には話を聞いてませんでしたね」

 話を振られた黒柿先輩は肩をびくんと跳ねさせる。先輩はあからさまに目を泳がせながら、探り探りで言葉を繋ぎ出した。

「わ、わたしは無関係よ。きゅ、急に正体不明のメールが届いて? まあ、暇だしなあ、と思ってやって来たら、閉じ込められてしまったの」

「ほう。閉じ込められた。では、その手にあるスマホはなんですか。僕は見ましたよ、そのスマホで扉の鍵を開けるのを。解錠のためのアプリが入っているんじゃないですか」

 黒柿先輩がスマホを胸に抱え込む。黙秘を続けてはいるが、答えを言っているようなものだ。

「……残念ですよ。二人して僕を騙そうとするなんて」

「違うって! 好きな男誘うのに先輩呼ぶわけないじゃん!」

「そ、そうよ! 大体、なんで浅黄ちゃんがいるのよ! わたしが予約した部屋なのに!」

「はあ!? 意味わかんないんですけど!!」

「意味わかんないのはこっちも同じですぅ! 誕生日会ぶっちされて、部屋代もったいないしちょっとぐらい遊んじゃおうと思ったらなんか二人がいるし! し、しかも、いちゃいちゃしてるし! ほんと意味わかんない!!」

 僕はてっきり、浅黄さんがもしもの保険に黒柿先輩を呼んでいて、それがうっかり扉を開けてしまったものだと思っていた。だが、息を切らして言い合う二人を見るに、事態はもう少し複雑らしい。

「こら。二人とも落ち着きなさい」

「だって! この子が生意気いうんだもん!」

「おかしいのは先輩の方でしょ!? 浄士郎もなんか言ってやってよ!」

「……とりあえず、ここはレンタルスペースで、二人とも同じ日で予約してたってことでいいんですよね」

「「そう!!」」

「それなら、管理の方が間違えた可能性もあるんじゃないですか」

 可能性としてあまり高くはないが。

 しかし、黒柿先輩には心当たりがあるらしい。ずっと荒かった鼻息が急に静かになる。

「……多分、わたしが浅黄ちゃんの名前で予約したから、間違えちゃったのかも」

「はあー!?」

「だって、恥ずかしかったんだもん!」

「だからって人の名前使うな!!」

「こんな計画が被るなんて想像できるわけないでしょ!!」

「計画が被る?」

 聞き捨てならない台詞だ。黒柿先輩の失言は浅黄さんの耳もしっかり拾っていて、険しい目で睨みつける。

 合計四つの視線に追求され、先輩は観念した。背中が仰け反るほど深く呼吸してから僕に向き直る。

「わ、わたしも浄士郎くんが好きです! 付き合ってください!」

「ええっ」

 急に告白された。苦し紛れとしか思えないタイミングだ。けれど、浅黄さんは真剣に見定めている。冗談ではないらしい。

 冴えない童貞が一日にして、美女二人から告白される。奇天烈な部屋よりもよっぽど夢みたいな状況だ。念のためもう一度頬を抓るが、痛みを感じる余裕もないほど頭が混乱している。

「まずは落ち着きましょう。僕にも考える時間が必要です」

「だめ。いま答えて」

「そ、そうよ! 有耶無耶にして逃げるつもりでしょ!」

「そんなつもりはないけど……とにかく、こんなとこで答えを出すのは無理です。一度家に帰してください」

 昨晩から色々あり過ぎて、もう思考が回らない。こんな状態で彼女達の想いに向き合うのは失礼だし、何より自分が納得できない。仕切り直しは妥当な判断だ。

 しかし、二人は僕には目もくれない。それどころか、互いに見合ってこそこそと内緒話をしている。

「あの、二人とも。なにを──」

「出られないよ」

「え?」

「ここは『セックスしないと出られない部屋』。するまでは出さないから」

「そうね。今ここで、どちらか選べとは言わない。だけど、セックスはしてもらいます」

 二人の目が据わった。暗く、どろどろした欲望の炎が灯る。

 こいつら、マジだ。

「や、やめろ」

 獲物を前にした女豹の如く躙り寄ってくる。いがみ合っていたはずの二人は見事な連携で退路を塞ぎ、僕は後ずさることしかできない。

「ひいっ」

 威圧感に気圧されて足を滑らせる。尻餅をつく僕を、彼女達が静かに見下ろす。嗜虐心に満ちた瞳。真っ赤な舌の先っぽで唇をなぞり、揃って口を開く。

「「お覚悟を」」

「お、おわーーーーーッ!!」




 部屋から出たのは、一度陽が落ち、再び迎えた早朝の頃だった。澄み渡る薄青と朝焼けの赤が混じり合う空の色は、いつもと違って見えた。

 何かを得て、何かを失った。僕は、大人になったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

例の部屋に閉じ込められた(3人) カシノ @kashino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る