第4話♡「ふむ。いいだろう。私が何でも相談に乗ろう」

「ちはー」


 高校の第二教室棟、文芸部室に入ると、部員はまだ集まっていなかった。

 代わりに珍しく顧問の先生が来ている。

 女性教師・濡水ぬれみ先生は、暇そうに窓の外を眺めていた。

 相変わらず、先生は眼鏡の奥で死んだような眼をしている。喫煙者なのでほんのりヤニ臭い。しかし胸がとにかくデカいためか、男子生徒たちからはダウナー女教師枠として密かに人気だ。


「こんちは、ぬれみん先生」

「藍条か」


 俺の名字は藍条あいじょうだ。「先生、部室でタバコ吸わないでくださいよー」


「あえて吸っている。私は分煙化が進む社会への反逆者。表の顔は教師だが、裏では世界を副流煙で染めるべく暗躍するヤニテロリストなのさ」

「へえ、すごい。……。……もしかして嘘ですか?」

「一瞬で嘘だと気づくだろ普通」

「尊敬してる人のことは信じちゃうもんで……」


 濡水先生が回転椅子を回し、こちらを向く。紫煙が口から吐き出されるのが見えた。


「藍条。すまん」

「何がですか?」

「この前マンモスが北極でまだ生きていると言ったがあれは嘘だ」

「えっ!?」

「私が前職でバニーガールをしていたというのも嘘だ」

「ええ!?」

「私のこの乳房の大きさも嘘だ。中身は実はスイカなんだ」

「えええっ!?」

「というのは嘘だ」

「えええゲホッ、ゲホッゲホッ、ゲホ」


 先生はくつくつと笑っている。この人、生徒をからかって遊ぶのが趣味だって公言しているくらいには不真面目教師なんだよな……。部室に来ているのも、おおかた不真面目すぎて何かやらかして職員室にいられなくなったとか、そんな感じに違いない。


「はあ~、仕事だるいな……」


 ほらやっぱり。


 苦笑しながらも、俺はとりあえず、部室のパイプ椅子を引く。通学鞄を置いて座った。


 他の部員が来るまで、ラノベの挿絵でも眺めていようか。

 背後にある本棚から、一冊取り出す。

 無意識に『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』を手に取っていた。

 俺はすぐにそれを戻した。

 別のものを一冊取り出す。

 無意識に『妹はカノジョにできないのに』を手に取っていた。

 俺はすぐにそれを戻した。

 別のものを一冊取り出す。

 無意識に『お兄ちゃんとの本気の恋なんて誰にもバレちゃダメだよね?』を手に取っていた。

 俺はすぐにそれを戻した。


「藍条」

「ひょあっ、はい!」

「何だ、豆鉄砲喰らった声出して。いや、いいんじゃないか? 藍条には確か妹がいるという話だったが、だからといって妹ラノベを読んではいけないという決まりはない」

「いや待ってください。べつに瑠璃を意識してるとかそういうんじゃないんで。瑠璃は妹なんだから。意識するわけないじゃないですか」


 俺はそう言いながら『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』を手に取っていた。俺はすぐにそれを戻した。

 濡水先生が噴き出した。


「ブグフッ。ブフッ」

「笑わないでくださいよ!!」

「いや。すまん。わかりやすすぎてな。そうか。そうかそうかそうか。ふむふむふむふむふむふむ。いいだろう。私が何でも相談に乗ろう」

「いや、だから……」

「可愛いのか? 妹は」

「……可愛いです」

「どんなところが?」

「そんな、聞きだそうとしたって無駄ですよ」

「じゃあ可愛くないんだな。はーあ、くだらないことを聞いてしまったな」

「は!? 可愛いが!? 頑張り屋さんだし、やると決めたら一直線だし、最近は生意気だけどそんな突っかかってくるところも可愛いが!? 背ぇちっちゃくて可愛いが!? 最近おしゃれに目覚めていろんな髪型を試してるみたいだから毎朝瑠璃の髪を見るのが楽しみなんだが!? 大好きな、世界一の妹だが!? それに」


 俺は我に返った。

 濡水先生はにまにまと笑いながらタバコの煙をくゆらせている。


「どうした? 続けたまえ」

「帰ります……」

「え。おい。パーリィタイムはこれからだろうが」

「それではまた……」

「待てって。からかいすぎた。悪かっ」


 俺は部室を出た。

 無意識に本棚から『エロマンガ先生 妹と開かずの間』を出して手に持っていたままだったので再度部室に入り、本棚に戻し、今度こそ部室を出た。

 濡水先生が腹を抱えて笑いすぎて苦しそうにしていた。




     ◇◇◇



 夕方。帰宅。

 玄関の扉を開けると、ちょうどそこに瑠璃がいた。部屋着だ。


「あれ、瑠璃。ただいま」

「……」


 無視か……。

 まあ当然だよな……いつものことだ……。

 俺は悲しみの深淵に溺れつつも、やや違和感を持つ。

 瑠璃はどうして、玄関にいるんだ?


「瑠璃、もしかしてお兄ちゃんの帰りを待っててくれたのか? つってな! そんなわけ」

「お兄ぃ」

「うん?」

「……ぉ。お……」


 な、何だ? 何か言おうとしてる?


「お、かえ、おかえ………………………………………………………………オカエルィウス・アントニヌス」

「ローマ人!?」

「お兄ぃは今日もきしょいね。ほんと無理。数回ほど死ねば? あと冷凍庫のハーゲンダッツをお兄ぃの分まで食べといたから。でも一口だけ残しといてあげたから。感謝に泣き叫びながらひれ伏してよね。ふんっ」


 瑠璃はぷいっと顔をそむけて、二階への階段を上がっていった。自分の部屋へと戻るのだろう。

 俺は少し呆気に取られていたが、とりあえず靴を脱いで、洗面所で手を洗い、リビングに行く。

 それから深く溜息をついた。


 ……やっぱりあれ……待っててくれてたっぽいぞ……。


 なぜかはわからないけど……久々に、おかえりって言ってくれた……!(のか?)


 俺は目元に手を当てた。

 そして、夕焼けの光に煌く一筋の涙を、頬に、伝わせたのだった……。

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