第2話♡「るりは、るりだにゃ♡」
夕方、部活を終えて帰ってくると、妹の瑠璃がリビングのソファに寝転がってスマホをいじっていた。
キャミソールにショートパンツ。ラフな軽装だ。
「ただいまー。瑠璃そんな格好じゃ風邪ひいちゃうぞー」
瑠璃はこちらを見もしない。
完全無視だ。
つらい。
俺はそんなつらい時、リビングの壁にある小さな落書きをしみじみと眺め、自分を慰めることにしている。
幼児の手が届くくらいの高さの落書きは、クレヨンで描かれた、あたたかみのある絵だ。ぱっと見では何が描かれているのかわからないが、よく見ると、笑顔の人間が手を繋いでうさぎさんと踊っている。
これは、瑠璃が幼稚園児の頃に悪戯で描いたもの。
タイトルは「おにいちゃんとるりとかえるさん」だそうだ。
これ蛙さんなんだ。兎さんじゃないんだ。と当時は思った。今でも思っている。
当時のことを振り返る。
瑠璃はお絵描きをする時、父さんや母さんよりも、俺を登場させることが多かった。
俺と瑠璃のふたりが一緒に笑いあっているお絵描きをたくさん……してくれていたのだ……
俺は落書きを眺めて、ほろり涙を流した。
「あんなに可愛かったのに……」
「……何、お兄ぃ。独り言? きしょいからさっさと自分の部屋行ってくださーい」
「ううぅ……」
悲しみに咽びながら、俺は自室へ向かうべく二階への階段を上がる。
……決めた。
昨日に続いて、今日も催眠アプリ……使おう。
瑠璃を操っているようで心苦しいが……催眠中の記憶は綺麗さっぱり消えているようだったし、瑠璃の時間をちょっともらうだけだ。
ぐふふ……今日はどんなことを瑠璃と一緒にやろうかねぇ……
やはり……ヒッヒッヒ……
スマブラで遊んじゃおうかねぇ……!
邪な考えを浮かべながら俺は部屋に入った。通学鞄を置いて一息つくと、何か違和感。
ベッドの上に、何か……
こ、これは……!
俺の禁断のセクシー・コミック!?
隠していたはず! 何故ここにッ!?
俺は慌てて学習机と壁の間の隙間を確認した。そこには意外とスペースがあって、薄い本なら何冊も置いておくことができる。
薄い本たちは、以前確認したとおりに整然と置かれていた。
大丈夫だ、俺の淫猥なる書庫は暴かれていない。ということは、俺はなんか寝ぼけて書庫からこの禁断の書を取り出して、ベッドに置き忘れてしまったのだろう。
危ない危ない……
家族に見られたら気まずくなるところだった。
特に、瑠璃に見られでもしたらと思うと、ぞっとする。
なぜならこれは、妹モノだからだ。
ツンツンな妹を催眠アプリで従順にさせてイチャラブして、そのまま妹への催眠を解かずに兄と妹とで結婚までしてしまうという、フィクションでしか許されない禁断のインモラル・コミック。
俺はかつてこの本を鑑賞した後、こう思った。
〝これを読んでたことを瑠璃が知ったら……絶対に一生口を利いてくれなくなる……!〟
想像しただけでつらすぎて、泣きながら俺は次の日に学校を休んだ。
という事件があってから自ら禁書に指定し、書庫の隅に追いやったはずだった。
「何で今更この禁書を出したんだろ。どんだけ寝ぼけてたんだ……まあ、戻すか……」
禁書を手に取り、書庫まで持っていこうとする。
……。
やっぱ表紙の絵柄……可愛いな……
木ノ本ふみ先生の絵柄がほんとうに好きなんだよな……
…………。
……本の保存状態が良好かどうか確認しようかな~。
ぺらっ。
…………。
ぺらっ。
………………。
ぺらっ。
……ぺらっ。……ぺらっ。……ぺらっ。……ぺらっ。
…………ぺらっぺらっぺらっぺらっぺらっぺらっぺらっぺらっ
ぱたん。
俺は本を閉じ、一息つくと、我に返った。
「全部じっくり読んじゃったんだが!?」
「お兄ぃ、入るよー」
「ヒョアアアアアア!!!!!!!」
「えっ何!? 奇声!? うっさいなキモい死ね!!」
「きゅっ急に入ってこないでくれへんやねんやろか!? 何用!?」
「いや、冷蔵庫にあるプリン全部食べていいのか確認しに来ただけなんだけど」
「何で突然そんな殊勝に!? いつもなら勝手に全部食べるのに!!」
「べ……別にいいでしょそんなこと。ってか、何そんな慌ててんの? 本読んでたの?」
「こっこれは関係なくてあの、」
「え……なんか隠されたし。タイトルに妹とかLOVEとか書いてなかった……?」
「違いま、」
「きっしょ……♪」
俺は反射的にスマホ画面を瑠璃にかざしていた。
「《瑠璃はネコチャンだから今起こったこと忘れちゃうよな!?》」
瑠璃は。
くらくらっ、とよろめいて、その場にへたり込んだ。
そして。
「は……?♡ るりは猫じゃないんにゃけど。るりは、るりだにゃ♡」
四つん這いで、招き猫のように、手をくねらせた。
あまりの可愛さに俺の心臓は止まった。
享年十七歳。死因、るりにゃん。
「なーに固まってるにゃ?♡ あいかわらずキョドってばかりのお兄ちゃんだにゃ♡ にゃさけにゃーい♡ おもしろいから、もっとキョドらせちゃうにゃ♡」
瑠璃が四つん這いで体を近づけてきて、俺に体を擦りつけてきた。俺の心臓は爆発した。
「ちょ、ちょっと瑠璃!? 猫ちゃんになってるぞ!? 俺がしたのか!!」
「にゃん♡ すりすり♡」
「そのすりすりは何だ!? スキンシップなのか!? 構われたい猫がよくするというスキンシップなのか!?」
「んにゃあ~♡ かぷっ♡」
「甘噛みされていましゅ!! 首筋を甘噛みされていまヒュ!! 死ぬ!!」
「みゃ~♡ くんくん♡ くっさ♡」
「嗅覚が敏感だね!! 猫だから!! 助けて!! 神様!!」
「お兄ちゃん♡ こーんにゃ可愛い妹にすりすりされて嬉しい?♡」
「う、嬉しいか嬉しくないかで言うと!!」
「んみゅー?♡」
「めちゃめちゃ、嬉しい……ッ!」
瑠璃はその言葉を聞いて……
満足げに、にゃふん♡と小鼻を鳴らす。
大きな瞳が悪戯っぽく細められ、口元が、にゃひひっ♡と釣り上がる。
そして言った。
言葉は素っ気なく、声色はとても嬉しそうに。
「あっそ……♡♡♡」
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