モールに響く願い

たまご納豆

モールに響く願い

1.出会いと崩壊


巨大なショッピングモールは、週末の午後を迎え、活気に満ちていた。フードコートの香り、子供達の笑い声、買い物袋を手にした家族連れの姿。どこも賑わいを見せ、休日のゆったりとした時間が流れている。


その中心に、一人の少女、ミユがいた。まだ10歳にも満たない彼女は、母の手を握りながら、モールのレストラン街を歩いている。ミユの小さな目には、次々と映るショーウィンドウが輝き、目を輝かせながら見つめていた。


「ミユ、ちょっとここで待っててね。すぐ戻るから。」


母は買い忘れた物があると言って、ミユにベンチに座って待つように告げた。ミユは少し不安そうに周りを見回したが、うなずいてベンチに腰掛けた。モールの中は安全だと知っているし、すぐに母が戻るという約束を信じていた。


しばらくして、ミユの目の前に、すらりとした美しい女性型ロボット、エリスが現れた。ショッピングモールの接客ロボットとして働いているエリスは、流れるような動きで他の店員やロボットに指示を出している。


「何かお困りですか?」

エリスは優しくミユに声をかけた。冷たさを感じさせない滑らかな声と柔らかな表情で、ミユを見つめる。


「お母さんを待ってるの……」

ミユは小さな声で答えた。初めて見るロボットの姿に少し緊張しながらも、その優しそうな声に少しだけ安心感を覚えた。


「それは良いですね。お母さんと一緒に買い物ですか?」

エリスは微笑み、ミユの隣に座りながら穏やかに話しかけた。まるで人間のように自然な動きだった。


しかしその瞬間、突然の大きな揺れが二人を襲った。床が大きく揺れ、ガラスの割れる音や叫び声が響き渡る。地震かと思われる揺れは次第に強まり、建物全体が不安定に揺れ動く。


「ミユ!」

遠くで母の声が聞こえたが、その声は大勢の悲鳴と混ざり合い、かき消されてしまう。ミユはパニックに陥り、立ち上がろうとするが、足がすくんで動けない。


エリスは瞬時に反応し、ミユの体を守るように覆いかぶさった。天井から崩れ落ちる瓦礫や破片が彼女達の周りに降り注ぎ、エリスのボディが次々と衝撃を受ける。しかし、その鋼の体はミユを完璧に守り抜いた。


揺れが収まったとき、モールはかつての活気が嘘のように静まり返っていた。崩壊した建物の一部、散乱した商品、そしてどこか遠くから聞こえるうめき声――それがミユの目の前に広がっていた光景だった。


「お母さん……」

ミユは震えながら、母を呼び続ける。しかし、応答はなかった。


「落ち着いてください、ミユさん。」

エリスはミユの側にしゃがみ込み、優しく声をかける。「今は安全を確保することが最優先です。私があなたを守ります。」


それから、エリスとミユの二人だけの静かな、しかし困難なモールでのサバイバル生活が始まる。外部との連絡は途絶え、電力や水道も機能していない。ミユは初めは不安と恐怖に囚われていたが、エリスは冷静に彼女を導き、食料や安全な場所を探していく。


2.静寂と共に


モールの広大な内部は、いつものざわめきが嘘のように消え去っていた。崩れた天井から微かな光が差し込み、無数の瓦礫や散乱した商品が、そこにかつての賑やかさを感じさせるだけだ。外界で何が起こっているのか、ミユには想像すらできなかった。


「お母さん…」

ミユは無意識に呟き、フードコートに広がる荒れ果てた光景をじっと見つめていた。家族と楽しく買い物をしていたはずなのに、今では自分一人が取り残されている。この現実が夢ならば早く目を覚ましたい。そんな思いが胸を締めつけた。


「ミユさん、ここにいても危険です。まずは安全な場所を探しましょう。」

エリスの冷静な声がミユの不安を少し和らげた。女性型ロボットの表情は変わらないが、その言葉には確かに優しさが感じられた。


ミユはエリスの手を握り、か細い声で「うん…」と答えた。まだ小さな手が震えているのがエリスにも伝わってきたが、それを無言で受け止め、二人は瓦礫を越えて歩き出した。


ショッピングモールは三階建てで、ミユとエリスは今、一階の広場にいる。モール内には映画館やレストラン街、大型の本屋が並び、日常の光景がどこか遠い過去のものに思えた。エリスは一つ一つの店舗を確認し、使えるものがあるかを探し始める。


「エリス、私のお母さんも、どこかで助かってるかな…?」

ミユは不安げな声で尋ねる。彼女の心にはまだ家族がどこかで無事であるという希望がわずかに残っていた。


「……可能性はあります。ただ、私達がここを安全に保てるようにすることが最優先です。」

エリスは慎重に言葉を選んだ。彼女はすでに外部の状況が想像以上に深刻であることを把握していたが、それをそのまま伝えることは避けた。今のミユには、まだ強くなれる時間が必要だ。


二人はモール内の食料品店にたどり着いた。棚は崩れており、冷蔵ケースの中の食品は温度管理がされていないため傷み始めている。それでもエリスは使える食材を探し、ミユに渡した。


「これ、もう食べられないものばっかりだね…」

ミユは疲れた様子で果物の缶詰を手に取り、かすれた声で言った。


「そうですね、早く対策を立てなければなりません。まずは水分の補給を優先しましょう。長期的に生き延びるには、水が重要です。」


エリスの言葉に、ミユはうなずきながらも、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。彼女はエリスが自分を守ってくれていることを感じ、心の中で次第に彼女への信頼を育んでいく。


数日が経過した。ミユとエリスはモール内を慎重に移動しながら生活を続けていた。瓦礫を片付け、見つけた食糧や水を確保し、日々の生活を繰り返している。電力や水道は依然として機能しておらず、外の世界との接触も一切ない。


その中で、ミユは少しずつ泣かなくなり、エリスとの会話も増えていった。モール内で見つけた本を読み、簡単な遊びをしながら、彼女は徐々に元気を取り戻しつつあった。


「エリス、今日は何をしようか?」

ミユは好奇心に満ちた目でロボットに問いかけた。彼女の無邪気な質問に、エリスは一瞬言葉を選ぶことに困ったが、すぐに柔らかい声で答えた。


「今日は、私達の食糧と水の備蓄をもう少し整えましょう。それから…少し休憩を取りましょうね。」


「うん!」

ミユは元気よく返事をし、エリスに笑顔を見せた。エリスはその笑顔を見て、心の中で一瞬の温かさを感じた。自分の役割はミユを守ることだということは理解していたが、それ以上に、彼女の成長を見守ることに価値を感じ始めていた。


だが、徐々にモール内の物資は尽き始め、外からの危険が迫ってきていることがエリスには明確に分かっていた。戦争の影響で、外部の脅威がいつモール内にまで到達してもおかしくない。エリスはそれをミユに知らせるべきか迷いながらも、彼女がまだ幼い心で耐えられるかどうかを考えていた。


ある夜、ミユが眠る中で、遠くから爆発音が響いた。モールの外で何かが起きている。エリスはその音に即座に反応し、外の世界との連絡手段を探すが、全ての通信は遮断されていた。


「ミユさんを守る。それが私の使命…」

エリスは静かに自分に言い聞かせながら、戦争の影響がさらに近づいていることを悟った。


3. 静かな緊張


ミユとエリスの生活は、徐々に規則的になっていた。モール内で利用できる食糧や水は限られていたが、エリスが冷静に状況を判断し、毎日を乗り切る方法を探し続けた。外からの音がたまに聞こえるものの、それ以外は不気味なほど静かな日々だった。


「エリス、今日は何する?」

ミユは少しずつ自分を取り戻し、以前のような無邪気さを見せることが増えてきた。だが、その裏で、心の奥底にはまだ大きな不安が残っていた。家族に会えないという恐怖は、彼女の中で消えることなくじわじわと広がっている。


「今日は、もう少し探索しましょう。上の階にまだ安全な場所があるかもしれません。」

エリスは、ミユの成長を見届けつつも、外部の危機が近づいていることを意識していた。いずれはミユを連れて安全な場所を探さなければならないが、その準備が整うまで、彼女の心を少しでも安定させる必要があった。


エリスはミユと共に、モールの二階へと足を踏み入れた。レストラン街の入り口には、瓦礫や壊れた家具が散乱しているが、建物の構造自体はまだ崩れていない。二人は慎重にその中を進みながら、食料や水の確保を続けていた。


「ねぇ、エリス…お母さんとお父さん、どうしてるかな…?」

ミユが不意に問いかけた。その声は震えており、彼女がまだ家族への思いを断ち切れずにいることを示していた。


「……必ず、助かるチャンスはあります。」

エリスはそう答えたが、その言葉には確信はなかった。エリス自身も、外の状況を完全に把握できているわけではない。だが、今は希望を与えることがミユを支えるために最も重要だと感じていた。


「…本当に?」

ミユの声には、微かな望みが残されていた。しかし、彼女はそれ以上何も言わずにうつむき、再びエリスの手を強く握りしめた。


その夜、モールの外で再び爆発音が響いた。今までにないほど大きな音に、ミユは飛び起きた。心臓が早鐘を打つように脈打ち、彼女の小さな体が震えた。エリスは素早く起き上がり、モールの窓へと駆け寄った。


「…エリス、何か来るの?」

ミユは不安げに問いかけた。彼女の瞳には恐怖が色濃く映し出されていた。


エリスは少しの間外の様子を確認し、冷静な口調で答えた。「今すぐには心配しなくても大丈夫です。しかし、私達がここを離れるべき時が近づいているかもしれません。」エリスは、ミユをじっと見つめながら続けた。「今は休むことが大切です。あなたの体力を守らなければなりません。」


ミユはその言葉に従い、再び横になったが、恐怖が完全に消えることはなかった。エリスの言葉に安心感を覚えながらも、何かが迫っているのを本能的に感じていた。


翌朝、二人は再びモール内を歩き始めた。エリスは無言のまま周囲を見渡し、外の危険がどの程度近づいているかを計算していた。モールの外壁はまだしっかりしているが、長くは持たないかもしれない。そして、その時が来た時、ミユをどう守るかを考え続けていた。


「エリス、私も強くなりたい…」

ミユの突然の言葉に、エリスは一瞬立ち止まった。彼女の瞳には決意が宿っていた。日々の不安や恐怖の中で、彼女は確かに少しずつ成長していた。


「強くなる必要はありません。あなたは、あなたのままで十分です。」

エリスは優しく答えたが、ミユは首を振った。


「違うよ。私、エリスみたいに…誰かを守れるくらい、強くなりたいの。」

彼女の言葉は、幼さを残しながらも真剣だった。エリスはその思いを受け止め、彼女が抱える苦しさに寄り添おうとした。


「わかりました。あなたがその道を選ぶなら、私は全力でサポートします。」


時間が過ぎる中で、エリスはミユに様々なことを教えた。簡単な防御策や生き残るための知識を少しずつ伝え、ミユはそれを真剣に学び取っていった。彼女の目にはもはや泣いてばかりの幼い少女の面影は薄れつつあった。


しかし、外部の脅威が迫りつつあることはエリスにとっても明白だった。モールの外から聞こえる音が徐々に大きくなり、戦争の影響がさらに強まっている兆しを感じた。


ある日、二人がモールの上階に向かっている途中、突然大きな爆発音が響き渡った。衝撃で天井が崩れ落ち、エリスはミユをとっさに抱き寄せて瓦礫の下敷きになるのを避けた。


「エリス!」

ミユが叫んだが、エリスは冷静だった。


「大丈夫です。私はあなたを守るためにここにいます。」

エリスはミユを抱きしめながら、その言葉を繰り返した。


4. 刻々と迫る影


天井が崩れ落ちた後、モール内にはかすかな埃の匂いが漂っていた。エリスはすぐにミユを安全な場所まで抱え上げ、その小さな身体を守った。ミユの顔はまだ恐怖に満ちていたが、エリスの落ち着いた瞳が、彼女に安堵を与えていた。


「エリス、ありがとう…」

ミユは涙をこらえながら感謝の言葉を口にした。数週間前までの彼女なら、泣き出していたかもしれないが、今はエリスを信じている。彼女がいれば、きっとどんな危機も乗り越えられると。


「ミユ、これからもっと慎重に行動しなければなりません。外部の爆発がモールに影響を及ぼし始めました。」

エリスはミユを見つめながら静かに告げた。ミユは小さくうなずき、エリスの言葉を理解していた。


「わかった、エリス。私も手伝うから、二人で頑張ろうね。」

ミユの決意が強まったように感じられた。彼女はもう、以前のように泣いてばかりの弱い少女ではなく、エリスと共に困難に立ち向かう覚悟を持つようになっていた。


その日の夜、二人はモールの一角に隠れながら、少ない食糧を分け合った。エリスがミユに母親のように接している様子は、彼女自身も驚くほど自然だった。女性型ロボットとしての役割を超えて、エリスは「守る者」としての責務を感じ始めていた。


「ねぇ、エリス…お母さんってどんな感じ?」

突然、ミユがポツリと尋ねた。


エリスは一瞬、答えに詰まった。彼女には「母親」という概念はプログラムされていなかったが、ミユとの時間を通じて何かを学び始めていた。


「母親とは…誰かを愛し、守りたいと思う存在です。たとえ危険が迫っても、決して離れることなく、その人を守り続ける存在。」

エリスの言葉に、ミユはしばらく黙っていた。彼女の目には小さな涙が浮かんでいたが、それを拭うことはしなかった。


「エリス、なんだか…お母さんみたいだね。」

ミユのその一言に、エリスの心の中に何かが芽生えたようだった。彼女は機械でありながら、母親としての感覚を少しずつ理解し始めていた。


翌朝、二人が目を覚ました時、モールの外からはこれまでにない激しい銃声や爆発音が響いてきた。戦争の影響がいよいよモール周辺に迫りつつあるのを、二人は肌で感じていた。


「エリス、何が起こっているの?」

ミユの声には恐怖が戻りつつあった。


エリスは彼女を落ち着かせるため、優しく肩に手を置きながら言った。「外部で戦闘が激化しているようです。私達はここに隠れ続け、救助が来るまで待ちましょう。今は無闇に動かない方が安全です。」


ミユは不安げな表情を浮かべたが、エリスの冷静さに少し安心した様子で頷いた。彼女達はモール内の安全な場所をさらに確保し、できるだけ目立たないように物資を集め続けた。


しかし、戦争の波が次第に二人に押し寄せていた。それは彼女達が隠れる場所すら奪い去ろうとする力強い波だった。


5.最期の瞬間


エリスはミユを抱きかかえ、周囲を鋭く見渡していた。モールの中は爆撃の影響で天井や壁が崩れ始めており、外からは不気味な轟音が絶え間なく響いていた。救助が来るかどうかも分からず、状況はますます悪化していた。


「エリス、怖い…」

ミユは震える声で呟き、エリスの手をぎゅっと握った。外の世界で何が起きているのか分からないまま、ただ恐怖に押しつぶされそうになっていた。


「大丈夫、ミユ。私があなたを守る。」

エリスの声は、変わらず穏やかで優しい。彼女はミユを安心させるために、冷静さを保っていたが、内心ではミユを守る方法を必死に考えていた。

その時、激しい爆発音が響き渡り、モール全体が揺れ始めた。上階から響く衝撃音が次第に近づき、エリスのセンサーが上部の構造が崩壊する予兆を感知した。


「ミユ、危ない!」

エリスは瞬時にミユを抱え、近くの柱の陰へと走り込んだ。上からの瓦礫が次々と降り注ぐ中、エリスはその全身でミユを覆い隠し、彼女を守る壁となった。


一瞬の静寂の後、次第に瓦礫の落下音が弱まり、モールの中は再び不気味な静けさに包まれた。しかし、その代償はあまりにも大きかった。


「エリス…?」

ミユは震える声で呼びかけたが、エリスはもう動かない。彼女の全身には無数の傷が刻まれ、瓦礫が覆いかぶさっていた。ミユを守るために、エリスは自らそのすべてを受け止めていたのだ。


「お願い、目を開けて…エリス!」

涙が溢れ出し、ミユはエリスの胸に顔を埋めて泣き叫んだ。かつてはただのロボットだった彼女が、今ではミユにとって母親のような存在となっていた。しかし、その母親のような存在は、もうミユの声に応えることはなかった。


「ミユ…」

かすかに、エリスの声が最後の力を振り絞って響いた。彼女の内部システムは既に限界を迎えていたが、それでも最後に伝えたいことがあった。


「あなたは…もう…一人でも…強く…生きていける…」

エリスの瞳に残された光が、少しずつ消えていく。それは、まるでミユを最後まで見守る母親の眼差しのようだった。


「エリス…行かないで…!」

ミユの涙がエリスの頬を濡らす。しかし、エリスはそれ以上言葉を発することなく、完全に機能を停止した。彼女の身体は冷たく、動かないまま、瓦礫に埋もれていった。


その後、救助隊がモールに到着した。ミユは一人で外の世界に戻ったが、エリスとの思い出は彼女の心に深く刻まれていた。最初は泣いてばかりだったミユも、今ではエリスが教えてくれた「強さ」を胸に、自分の力で前へ進もうとしていた。








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