給水塔から死体が見つかった

路地表

給水塔から死体が見つかった

 廃墟の給水塔から死体が見つかったと聞いた時、僕は蛍光灯が途切れ途切れに光る居間で、ナイフを持って立っていた頃のことを思い出した。

 きっと、斎藤翔さいとう かけるもそれは同じことで、彼は更に、赤黒く血で染まった切子きりこの装飾が見事なガラス製の灰皿までをも思い出していただろう。

 もう20年以上前のことになるが、それでも私の記憶はかげる事無く、なぜ今まで忘れていたのか不思議な程に、鮮明に脳裏へと浮かび上がってきた。


 まだ氷を歯で砕いておやつにしていた頃、僕らは毎日殴られていた。それは親でも無く教師でも無く、隣人でも無ければ友達でも無い。

 突然僕らの町に現れた見知らぬ異邦人によって、僕たちは玩具おもちゃの様に毎日遊ばれていた。

 空を見上げると、少年時代と変わらぬ眩しさを保ったままの太陽が、誰も助けてくれなかったあの頃の大人を暗示するかの様に、憎い程遥か彼方かなたで、それでも私を照らしていた。


 何故私たちが異邦人に殴られていたのかは分からないが、暴力に意味など無いのだろうと、今まさに高架下こうかしたでホームレスを殺しながら思った。

 僕の内臓に流れるこの赤い血は、お父さんでもお母さんでも無く、あの異邦人の血の色に違いないと、高鳴る心臓が体を細かく揺らしながら、トラックが高架線を大きく揺らしながら、やっと天に召されたことを祝福するかの様に、彼の目がぐるりと上を向きながら、そうささやいていた。


 20年ほど前の或る日、それは変わらない夏が既に死に向かい始めていることを感じる様に、少し風が冷たくなった頃のこと。

 公園の端に生える大きな銀杏いちょうの木がベンチに落とす陰へと逃げ込んだ日のことだった。

 僕らの足元で、スズメバチが大量のミツバチによって今まさに殺されていた。

 生々しい傷跡はそのままにして、暴力性のあるその風景を、ただぼーっと眺めていた。

 殺しの着想はそこから得た。今思えば、それは直接的な暴力性の殺しでは無く熱死だったのだが、それでも確かに、夏に異邦人を殺すことを暗示していたのだろうと、二回り以上大きな死体を見下ろしながら、僕はそう感じていた。


 給水塔は廃墟の物。

 そう、やっと給水塔は彼らの物になったのだ。

 そのマンションは当時酷くさびれており、殆ど誰も住んでおらず、ボケた大家の老人が、時々掃除しに来るのみだった。

 その為、元々この地には存在しなかった部落の様な雰囲気をかもし出すことに成功しており、町人からはさながら禁忌の扱いを受けていた。

 当時の僕らにとって、その独立した恐怖は居心地が良かった。

 ここは、僕らだけの居場所のはずだった。

 しかし、そこに巨躯きょくの異邦人が突然現れ、毎日暴力を浴びさせられることとなった。

 誰でも受け入れるということは、誰にも興味が無いことと同義なのだと、腹を何度も殴られながら学んだ。

 僕たちは、弱みを握られていた。

 彼に自慰行為と万引き現場を撮られていた。

 今思えば、被写体を特定するには酷く不鮮明な写真だったが、非行に走る僕らの居場所などは既に何処どこにも無く、ただ唯一の居場所が奪われることだけに怯えていたのだろうと、あの頃のマンションを、あの頃とは異なる目線で眺めながら思った。


──

 ニュースによると、死体は近隣住民からの異臭が要因の苦情で発見された。死体は給水塔に捨てられていた為、酷くセンセーショナルな事件として世間に広がった。

 誰もが嫌悪感を持ちながら、誰もが高揚していた。芸を捨てた芸人がコメンテーターを務め、学も無いのに持論を語る、感情任せのその姿が、むしろ見世物の様でよく笑えた。

 被害者は20代の風俗嬢。犯人は大柄な中年の無職男性だった。

 ストーカーの末の殺害であり、SNSではインプレッション目当ての業者と、聖人の皮を被った誹謗中傷を正義と勘違いした貧乏人がよく戦っており、誰も頼んでいない代理戦争が、昼夜問わず繰り広げられていた。

──


 あの頃は白かったマンションも、長年の雨風にさらされたせいか、外装は剥がれ落ち、それらを埋める様に、多くのグラフィックアートが壁面を占めていた。まるで、これから異邦人に汚されることを暗示していたかの様な、何ともけがらわしい風景だった。

 かつてと異なり、今はお化け屋敷として地元で活用されているのだろう。忘れ去られていたあの頃の廃墟は、時間を経て皆が認知するゴーストスポットへと変貌へんぼうしていた。

 生憎あいにく正面玄関は施錠されていたので、反対側に在る外階段から登り、3階あたりで見つけた割られたガラス戸から侵入した。


 殺したのは最上階である5階の502号室。

 忌々しい異邦人の、嘗ての棲家。

 屋上への階段には何かを引きった黒いあとが残っていた。

 それは間違い無く、斎藤翔と二人で運び出した痕だった。

 熱されたアスファルトの上でもだえながら、必死に身をよじり、しかしただ死に向かうだけの蚯蚓みみずを眺める様に、汚い廃墟ではこんなもの誰も気にしないのだろう。


 屋上に上がり、嘗て僕らを見捨てた、緑が支配するこの町を眺める。

 ずっとここで育ってきたから、空気が旨いという感覚が分からない。

 高所特有の強い風を2、3分浴びた後、屋上に設置されている塔屋とうやへ登る。

 端の排水溝には、無数の吸殻が群れを成して眠っていた。タールで茶色く染まったその山は、宛ら芸術品の様な様相を醸し出していた。

 そんな芸術品の対角に、ひっそりと給水塔が在った。

 あの頃と何も変わらない、角が丸い円柱形の、白く大きな給水塔だ。高さはゆうに3mを越していた。

 赤茶色のさびが、雨の線に沿って給水塔の壁面を無数に流れていた。

 給水塔に備え付けられたもろ梯子はしごを登り、天辺てっぺんに辿り着く。力を入れて、錆び付いた蓋をこじ開ける。

 容器内を覗くと、給水塔の役目であるはずの貯蔵された水は既に無く、からからの狭い空間の中で、肩を寄せ合う二体の人骨がそこに在った。


 一体はあの異邦人で、もう一体の小さい方は、斎藤翔だった、と思う。

 私はその場で一服をして、少しふけっていた。

 決心が少し揺るぎ、二本目に手を掛ける。

 半分ほど吸ったところで、タールのしつこさが嫌になり、火を点けたまま、それを美しい町へと投げ捨てた。

 残念ながら、吸い殻の行方は途中で分からなくなった。



 そして、私は給水塔へ落ちた。

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