3-2. twin

 シオンは顔を歪めた。包帯の巻かれたゼラの左手の先に生えた人差し指は関節の向きと反対に大きく曲がっていた。

「いちち……ほらシオンちゃん、あの時みたいに治してみて」

「え、は、はい」

 シオンの手がそっとゼラの指に触れた。途端に琥珀色の光が二人を包んで折れた指をあっという間に治してしまう。

「ほら! 治った!」

 ゼラは真っ直ぐになった指を嬉しそうに見せた。様子を見ていたエトが小さく拍手する。

「前は腕の骨折レベルでもすんなり治してたんだ。しかも子どもの」

「骨折以外も治せるのか?」

 フェルクが腕を組んだまま口を開いた。ゼラはウエストポーチから小さな鋏を取り出すと腕から手の甲にかけてを抉るように切り払った。シオンはぎょっとしながらも差し出された血まみれの手を同様に治して見せる。

「どうやって治してる? 説明はできるか」

「わ、わからないです」

「感覚的に回復魔法を理解してるんだ」

 エトの問いかけにシオンは首を横に振る。

「り、理解なんて……。まだ回復魔法は習ってないです」

「あーそうじゃなくて、シオンちゃんの身体がその魔法を覚えちゃってるんだよ。仕組みを頭で理解してなくても使えちゃう。習ってないならその可能性が一番、かな。ノクス無しで治せてるのも優秀だね」

 エトは口に手を当てて目を細めた。

「ノクス?」

「あ、その説明しなきゃだね。んーちょっと授業しよう。じゃあゼラ、手伝って」

 シオンに治してもらった指を揉んでいたゼラが顔を上げる。

「回復実践、してもいい? 眠らせるけど」

「いいよ!」

 ゼラは綺麗になった腕をもう一度鋏で切って傷をつけた。シオンの唇が震えた。エトはシオンに体を寄せるゼラの前に膝をついて座った。

「さあ今目の前に痛そうな傷があります。傷っていうのは身体の欠損です。この傷を治すためにはゼラのに回復術をかけなくてはなりません。いい?」

 シオンは頷いた。その瞳は真剣にエトの指先を見つめていた。

「僕が今この傷を治すと、僕のソールを由来にした魔法でゼラの身体の一部が作られることになるのね。でもさ、その身体にはゼラの何が宿っていると思う?」

「ソール、ですか」

「その通り。要はゼラのソールを部分的に魔法が圧迫することになっちゃう。それで一時的に意識が途切れる」

 エトがゼラの腕に手をかざすと琥珀色の光がゼラを包んだ。同時にゼラは気を失ってシオンの方へ倒れ込む。シオンは慌ててその体を支えた。

「これがノクス。術の影響が身体から抜けてソールが自然に元に戻るまで動けなくなる。普通の回復理法術だと絶対こうなっちゃうんだ。魔法の仕組み的にね。」

 ゼラの目がぱちっと開いた。身体を起こしてあたりを見る。

「どれくらい眠ってた?」

「三十秒」

「もう、戻ったんですか?」

「起きたってことはそうだね。大した傷ではなかったし、魔法使いはある程度魔法耐性があるから回復術使われてもノクスは短めなんだ。でもさ、回復理法術は魔法使いじゃない人に使うことの方が多いのよ。ゼラがシオンちゃんを助けた時みたいにね。つまり僕達はノクスのことを絶対に意識しておかないとだめなの。でもでもでーも! シオンちゃんの回復術にはこれがない。ノクスが全くない回復術なんて、ゼラでも無理でしょ?」

「無理に決まってるじゃん! シオンちゃんがマタレアに襲われた傷を治した時のノクスは四時間弱。少年の腕の骨折でも多分三十分くらいは眠らせちゃうと思う。私の魔法でもそれが限界」

「あ、シオンちゃん。ちなみにこの子の回復術のノクスは超破格だからね? ゼラで四時間弱だったら普通の魔法使いの魔法で二、三日は動けない。ノクスを短く済ませられるっていうのは腕がいい証拠だから。それだけ、シオンちゃんの魔法は価値が高い」

「と同時に、何が起こっているのかわからない」

 フェルクは依然として落ち着いた声色で言った。

「シオン」

「はい」

「ゼラのパートナーとして魔法活動について行きなさい」

「いいの!?」

 指を弄っていたゼラが突然飛び跳ねた。

「パ、パートナー?」

「魔法術師と一部の理法術師はパートナー制で活動をしている。魔法省が推奨する活動形態だ。まあ特別なことはなく二人一組で魔法活動をするというだけなのだが」

「学校の外に出るってことですか?」

「そうだ。三日か四日に一度くらいでいい。授業がない日に一緒に行きなさい。そこで少しでも君の魔法の情報を集める。ゼラはしっかり記録を残しておくように。それからシオンの魔法を現場で使うかどうかの判断もお前に任せる」

「合点承知〜!」

 ゼラはシオンの手を握って喜びを噛み締めるように足を鳴らした。

 

 平和記念公園から少し南に下ったところに法術品を扱う店があった。理法術によって発明されたポーションや魔法使いが使う術具を売っているヘレンでも有数の場所だ。

 シオンはゼラに手を引かれながら狭い棚の間を進んだ。

「ポーションは授業で習った?」

「一応。エト先生が授業してました」

「そっかそっか。エトはポーションのプロだからね。それ以外もすごいんだけどさ」

 ゼラは店の奥まで進んだ。術具の棚に卵のような小さいアイテムが多く陳列されていた。ゼラはそれを一つ取ってシオンに見せた。

「今日はこれをシオンちゃんのために買いに来ました」

「なんですか、これ」

「ソーラム。通称ソールの貯金箱。魔法使いは大体みんな持ってる。私は持ってないけど」

 シオンはゼラからソーラムを受け取ってその表面の紋様に焦点を合わせた。

「それを握って魔法を使おうとすると、魔法は発動せずにソールだけがその中に貯まっていくんだ。もし魔法を使っててソールが切れちゃった時の臨時補給に使えるんだよ」

「みんな貯めてるんですか?」

「うん。今日はあんまりソールを消費しなかったなーって日は、余ったソールをソーラムに貯めておくの。貯めたら貯めた分だけ減らずにソーラムに残り続けるんだ。数年後急に使うなんてこともできるらしいよ」

「取り出す時は、どうすれば」

「他の人のソールによる魔法をソーラムにぶつける。軽い一般魔法で大丈夫」

 ゼラは棚に置いてあるソーラムを一つ一つ見比べた。半日は悩めるほど多彩な色と模様の組み合わせがあった。シオンの目線の先には紫色のソーラムがあった。ゼラもそれに気付いたのか何も言わずに嬉しそうな笑顔を作った。シオンは一つのソーラムを手に取った。紫の表面に蝶を象った金色の箔の紋様が浮かんでいた。

 シオンが選んだソーラムを買って二人は店を出た。

「あの、いいんですか」

「ん、なにが?」

 ゼラが振り返るとシオンは両手で大事にソーラムを持っていた。

「お金……」

「あぁ、それ私からのプレゼントだから」

「プレゼント?」

「シオンちゃんそろそろ誕生日でしょ?」

 シオンは首だけを傾けた。

「誕生日ですけど、なんで」

「え、誕生日だからプレゼント……もしかして、貰ったことないの?」

 ゼラの瞳が驚いたように開いた。

「ないです」

「そっか。おめでとうって意味だから、お金は気にしなくて大丈夫なんだよ」

「ありがとうございます」

 小さな肩の上で黄色い毛先が微かに流れた。歩いていこうとするゼラのローブの袖をシオンの指が掴む。弱々しい力でもゼラを振り向かせるには十分だった。

「どうしたの」

 優しい声色がシオンの耳のそばを通り抜けた。シオンは少し顔を赤らめる。

「嬉しいです。初めて貰ったのが、ゼラさんからなの」

「うわぁ何この可愛い生き物〜!」

 ゼラはシオンに抱きついてそのまま勢いよく空に打ち上がった。あっという間に辿り着いた上空で二つのローブが勢いよく浮いた。

「私も嬉しいよ、シオン」

 彼女はその日も太陽になった。シオンの瞳にもその輝きが移る。白い手に握るソーラムの箔が熱を帯びた。


 ヘレンの東の一角にアイクバークという歓楽街があった。魔法省や魔法学校のある西側や中央区とは打って変わって煌びやかな建物が並んだ街だった。太陽の出ている間は人の往来が盛んだが、一つ夜になれば肉と酒の街に生まれ変わるという噂だ。ゼラはシオンとの初めての仕事にこの街を選んだ。どうしてもシオンに会って欲しい人がいると言うのだった。

 アイクバークの北から東に流れる川の近くに集合住宅が並んだ地区があった。薄暗く湿った路地裏に何か生物が腐ったような臭いが漂っていて、時より鼠が足元を通り過ぎた。シオンはゼラのローブを掴みながら不安そうに歩を進めた。河川敷まで下ると陽の光が一面を照らした。涼しげに流れる川面が輝いていた。その川に面して黄色に塗った石の壁があって、いくつか木の扉が並んでいる。ゼラは一番奥の扉の前で足を止めた。扉にはランタンが掛かっていた。

「ここだよ。大丈夫、怖い人じゃないから」

 ゼラの左手が木の扉を叩いた。少し間が空いて扉の向こうから出てきたのは、深く吸い込まれそうな青い瞳を持った女性だった。艶やかな長い髪が大きく膨らんだ胸の前で留めてある。シオンはその色に近いものを最近知った。確か海というものだった。

「ゼラ、待ってたよ」

「トレアさん! 元気してた?」

「まあね。いつも通り。……その子は?」

 海を模した宝石がシオンの前に落ちた。シオンの瞳は奪われた。

「私のパートナー」

「パートナーって、魔法使いの?」

「そうだよ」

「なあんだ。恋人でも連れてきたのかと思ったのに」

「ち、ちがうよ!」

 彼女は顔を赤くして首を振るゼラに目尻を下げて、もう一度シオンを見た。

「トレアです」

「あ、シ、シオン・テラスです」

 瞳孔が不自由なままシオンは声を震わせた。トレアの手がシオンの頭を掻いた。

「かわいいねえ。初々しいじゃない。ほら、二人とも入って」

 やや狭いトレアの部屋の中は心臓の裏をくすぐるような匂いがした。青い絨毯に木のテーブルが一つ。その奥に布団が敷かれていて、布団の周りには蝋の溶けたキャンドルがいくつか置いてある。窓に細いウッドブラインドがかけられていて昼間でも少し薄暗かった。

「とりあえずこれ。いつもの」

 ゼラは背負っていた荷物の中からポーションとキャンドルを取り出してテーブルに置いた。

「助かるよ。お遣いどうも」

 トレアは部屋の奥から紅茶を入れたカップを二つ持ってきて二人の前に並べた。アールグレイだった。ゼラの目が輝いているのがこの部屋の薄暗さでもわかった。

「ありがとうございます」

 シオンは丁寧に頭を下げた。テーブルの上に手を出す勇気はまだなかった。ゼラは早くもカップに口をつけていた。

「シオンちゃんは学生? ゼラとパートナーって結構すごいんじゃないの」

「うん。シオンはすごい魔法使いだよ。っていうか、これからすごい魔法使いになるんだ」

 ゼラはカップをテーブルに置いてシオンの方をちらりと見た。

「あ、紹介するね。私のお母さん」

「みたいな人、ね。血は繋がってないよ」

「魔法使いなんですか?」

 トレアは首を横に振った。優しい表情の奥に青黒くなった心が見えた。

「そんな大層なもんじゃないよ」

「大層な人だよ」

 ゼラの指がテーブルをとんとん叩いた。トレアは息を解いてポーションを持ち上げた。

「これ、なんのポーションでしょう」

「えっと」

 授業の記憶の中を探るシオン。

「媚薬。これがないとね、仕事がしんどいのよ」

「仕事?」

「玄関先にランタンがあったでしょ。夜になったらあれをつけておくの。そうするとね、戸が叩かれる。こんこんって。開けると肉の欲しい男が立ってるのさ」

 トレアは胸元のボタンを緩めた。肌色とその匂いにシオンの頬が熱くなった。蝋が溶けるように汗が首筋を辿る。

「それが私の仕事。あんまり人に褒められるものじゃない」

「私はトレアさんのこと大好きだけどね」

 ゼラは眉を寄せてトレアを見つめていた。

「知ってる。大人になってもそうだと助かるけどね」

「もう大人だもん」

「なにを、まだキスもしたことないくせに」

「なっ、う、うぅ」

 ゼラは顔を赤くして俯いた。いつもは誰よりも大きく感じる背中が子どものように小さくなっていた。その姿を指差しながらトレアはシオンに目を合わせた。

「シオンちゃんはこの子に憧れてるの?」

「え、は、はい」

 口紅で色づいた唇が笑みをたたえた。

「そう。大変でしょ、一緒にいて。シオンちゃんみたいなお淑やかな子にはしんどくない?」

「そ、そんなことは……」

「なんかそんなことありそうな様子だけど、ゼラさん?」

 ゼラは口を尖らせる。口笛は鳴らない。

「ほ、ほんとにないです!」

「そうだぞ! シオンは私のことうるさいとか言わないもん」

「ほんとかよ〜」

 トレアは悪戯っぽく笑った。その笑顔には陽の色の片鱗があった。シオンはテーブルの上のアールグレイに手を伸ばした。

 トレアは川の方に出した洗濯物を取ってきて欲しいと頼んだ。ゼラは喜んで部屋から出ていく。扉が閉まったのを見てトレアはテーブルの上に腕を組んだ。

「シオンちゃんさ」

「は、はい」

 シオンの手が止まる。トレアは笑みを解いてシオンの顔を見つめた。

「ゼラは真っ直ぐでいい子だけど、その分感情的でわーってなる子だから。いざって時は手綱締めてあげてね」

「手綱?」

「真っ直ぐしか走れないのって、いいことばかりじゃないから」

 トレアはブラインドの向こうに見え隠れする黄色い魔法使いを遠目で眺めた。アールグレイが温かく香った。

「それと寂しがり屋だから、たくさん構ってあげて」

「そんなふうには見えないですけど……」

「私も見えない」

 トレアの返しにシオンは首を傾げた。

「でもなんだかね、今日のゼラを見てるとそんな気がするんだ」

「今日の?」

「うん」

 トレアは立ち上がって玄関の扉を引いた。ちょうどゼラが布をたんまり抱えて帰ってきた。いつもの笑顔は陽に干した洗濯物の乾いた匂いを我がものと言わんばかりに携えていた。

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